131 安部譲二氏との出会い -その後1

***4.安部譲二氏との出会い -その後

****1)その1

その日は島根大学での古文書学の授業の日であった。六十の手習いとばかりに、一年程前から若い学生諸君と一緒に古文書の学習をしていたのである。私より二歳若い先生(相良英輔教授)から、それこそ手取り足取り教えていただいたおかげで、それまでは全く意味不明のナメクジのような筆文字が、スラスラとはいかないまでもなんとか読めるようになっていた。

大学からオフィスに帰って、いつものようにスケジュール帳(普通の大学ノートに線を引いて、時間と用件をメモしたもの。開業してから30年、私には手帳を持つ習慣がないため、オフィスと自宅に一冊ずつノートが置いてある)に目を通したところ、なんと作家の安部譲二さんから電話によるメッセージがあり、東京の連絡先が記されていた。
ホームページに書いた私の記事を読み、電話をかけて下さったのである。それは、2日前の5月24日にアップした記事であり、「安部譲二との出会い」と題するものであった。

正直、驚いてしまった。まさか作家ご本人から直接電話が来るとは思ってもみなかったからだ。しかも、記事を公表した直後であるだけに尚更である。
9年前の勾留中に作家の著作と運命的ともいえる出会いをしたことについては、すでに記したところである。保釈されシャバに出てからも作家の作品は可能な限り買い求め、愛読している。私の手許には二十冊を超える著作が集まっているほどである。
早速東京に電話を入れてみた。時折テレビで拝聴する独特の人なつっこい大きな声が、受話口から溢れてきた。まさに音声が溢れ出てくるといった表現がピッタリであった。
作家は一言二言私の記事についての感想を口にするや、全く思いがけないことを話しはじめた。

「実はね、記事に出てくる6冊のボクの本のうちで「××」は自分が書いたものではないんだよ。元のマネージャーがボクの名前を騙(かた)って勝手に本にしちゃったんだ。直ちに絶版にしたんだが、巷には残っていたんだね。」
「でも」と私。「楽しく読ませていただいたのですが。」
「いやいや、あれは駄目だ。誠に申し訳ない。代わりといっちゃあなんだが、新刊を2冊ほど送らせてもらうよ。」

気になったので、電話が終るや直ちに自宅に帰り、書棚から作家が指摘した「××」を取り出してページを捲(めく)ってみた。
なるほど、言われてみれば少し違うような気がしないでもない。文章はしっかりしているものの、作家特有のユーモラスな言い回しが見受けられないのだ。ストレートな表現が多く、全体が殺伐としている。心の奥底をくすぐり、いつの間にか“安部ワールド”に引き込んでいく何かが欠けているのである。
しかし通常、一人の作家の作品群は、必ずしも一本調子のものではない。バラエティーに富んでいるのが普通である。あるいはメシの種に週刊誌などに書き散らすものがあるかもしれない。この作品についても作家からあのように言われなければ、新しいスタイルへの挑戦と考えておかしくないものだ。
いずれにせよ、この作品は私にとってはこの時点で極めて思い出深いものとなったので、今まで以上に大切に扱っていこうと思っている。作家からは捨ててくれと言われたものの、なに、捨てたりなどするものか。

しばらくして二冊の新刊が送られてきた。私の名前が作家の手で記され、作家の署名が入ったものだ。次の2冊である。
-「塀の中から見た人生」(カナリア書房、2004年11月27日刊行)
-「藍色の海」(PHP研究所、2004年10月20日刊行)
「塀の中から見た人生」は、山本譲司・元衆議院議員と作家との共著である。“元極道と元国会議員による異色の獄窓対談“と銘打ったものだ。
同じような体験をした私には、臨場感をもって読むことができるものであった。虚飾の人生とは無縁となっている二人の対談は本音のぶつかり合いであり、私の心に深く沁み込んでいった。

「藍色の海」は歴史小説である。松浦(まつら)藩という九州の小藩が1000年にわたっていかに闘い、いかに生き延びていったのか、作家の思い入れを存分に注ぎ込んで書き上げられた労作である。
「ある時には勇気と力、またある時は耐えに耐え、長い物に巻かれて時の権力に迎合した」“松浦流儀”を積極的に評価する作家は、1000年にわたる松浦流儀の歴史をわずか200ページ余りの紙面に凝縮し、活写している。
膨大な文献資料が読み込まれたものと思われるが、枝葉が全てそぎ落され、コアの部分を軸に、簡潔な文体で見事にまとめ上げられている。安部ワールドの新たな境地を示すものだ。

私は、作家とは一度電話で言葉を交わしただけである。直接お目にかかったことはない。
しかし、すでに作家の多くの著作に深くなじんでおり、更には最近に至って作家のホームページがあることを知り、折にふれて拝見している。このため、僭越ながら自分勝手に旧知の間柄のような気持ちになっているのである。

現在、ホームページで公開されている「あんぽんたんな日々」「手配写真??」「酒場の戯れ言」の三つの連載エッセーは絶妙なタッチのものであり、私の楽しみとなっている。古稀に近づいている作家のペンは、枯れるどころかますます健在で、鋭い切り口に加えて、いわばいぶし銀の味わいを見せはじめている。安部ワールドは瑞々しい感性に一段と磨きがかかり、いよいよ円熟の域に達してきたようである。

 

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