中江滋樹氏からのダイイング・メッセ-ジ-②

 警視庁と東京国税局は、中江滋樹氏と加藤文昭社長を、一年近く日本から追い出しておいて、投資ジャ-ナルグル-プを潰(つぶ)してしまった。会社摘発の情報が流されたことによって、一般の投資家だけでなく大口の金主(きんしゅ。その人の為に事業の資金や必要な費用を出してくれる人。スポンサ-。-新明解国語辞典)からも取り付け騒ぎが起った。金の流入が途絶えただけでなく、取り付けが起こった状態では倒産するのは必然だ。

 中江氏によれば、一部の投資家と大口の金主に対しては、実際に摘発される前に全額弁済がなされたという。大口の金主の一人から債権回収の依頼を受けていたのが、槙枝一臣弁護士だ。かつて、30年にわたって日教組に君臨し、“ミスタ-日教組”の異名を持つ槙枝元文の息子である。日教組の中央執行委員長だけでなく、総評の議長も兼任した槙枝元文は、世に言う典型的な労働貴族の一人であった。

 槙枝一臣弁護士は、投資ジャ-ナルグル-プの大口債権者の弁護士(民事)という立場から中江氏と知り合い、その後一年以上も後になって、中江氏が詐欺罪に問われた際に、中江氏の刑事弁護人となっている。
 

 私は、詐欺罪という信じられないような罪名で起訴された中江氏からの依頼で、刑事弁護人の中に加わった。主任弁護人は槙枝一臣弁護士であった。

 今にして思えば、この時の私の法的な立場は一体何であったのか、判然としない。主任弁護人槙枝一臣弁護士からの依頼を受けて、グル-プ企業全体の経理状況を解明する会計の専門家といったもので、刑事訴訟法第165条に定める鑑定人でもなく、同法第174条に定める鑑定証人でもなかった。

 東京地裁は、小菅拘置所に勾留されていた中江嫌疑者の身柄を、東京地裁に移して、私と中江氏との面談を認めた。昭和62年5月15日、2時間ほどの面談である。



 当時の刑法は、カタカナ書きの旧刑法の時代であった。

 旧刑法246条で、「詐欺の罪」は次のように規定されている。
(詐欺)
第246条 人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス 
      ②前項ノ方法ヲ以テ財産上不法ノ利益ヲ得又ハ他人ヲシテ之ヲ得セシメタル者亦同シ 

 ここに、欺罔(ぎもう)とは、「相手を錯誤に陥らせるように事実をいつわること-広辞苑」であり、騙取(へんしゅ)とは、「人をだまして財物を取ること-広辞苑」である。ともに現在では日常的に使われることがほとんどない難しい言葉だ。

 現在の刑法246条は、「人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取シタル者」に替えて「人を欺いて財物を交付させた者」とされている。意味するところは同じである。即ち、詐欺という犯罪の構成要件は変わっていない。



 この詐欺罪は、昔から犯罪として立件するのが難しいものとされてきた。欺罔行為と騙取行為を合理的な疑いを残さない証拠で固めることが、至難の業(わざ)であるからだ。

 中江滋樹氏の詐欺事件においては、立件した東京地検が、
「何か文句でもあるのか」

と言わんばかりに、虚偽の証拠をデッチ上げて断罪した。刑事裁判で要求される合理的な疑いを残さないどころの騒ぎではない。担当検事が嘘と偽りの証拠(検面証拠)を堂々とデッチ上げたのである。
(この項つづく)

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 ここで一句。 ”猫だまし 猫にやったがシカトされ” - 取手、崩彦(毎日新聞、令和2年3月17日付、仲畑流万能川柳より)


(政と医は誰のためのもの?国民の権利も命も2の次、3の次。政も医も舌先三寸、猿芝居。ともに利権まみれの茶番劇。取手の崩彦さんにこたえて、松江の久延毘古、唱和して曰く、“政治屋と医者がコロナにシカトされ”。)

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