前代未聞の猿芝居―⑮

  1.  平成31年3月4日、刺客・伊藤秀之税理士と山持昌之主査との秘密交渉の結果が明らかになった。 課税庁である松江税務署の掛内典生統括国税調査官(以下、統括官という)が、筆者にコンタクトを求めてきたのは、平成31年3月2日のことであった。
    掛内典生統括官

    「A社の調査について、調査結果の説明をしたい」

    と、筆者に申し向けてきた。

    広島国税局の査察部門は、A社の課税調査に関して、法(国税通則法第七十四条の十一)に定める調査終結の手続きがなされていないことにこの時点になって初めて気付き、慌てたのであろう。
    この時点とは、A社の社長夫人が逮捕された(平成30年11月28日)時点より3ヶ月余り後の、平成31年3月2日のことである。社長夫人は、この日より2ヶ月半前の平成30年12月17日に告発され、告発の翌日・平成30年12月18日に起訴されている。
    つまり、この時点・平成31年3月2日まで、A社の課税標準の調査については少なくとも調査終結の手続きがなされていない、即ち、課税標準を算定し確定するための調査がなされていないことを掛内典生統括官登川幹雄・松江税務署長にかわって自白したことになる。

    掛内典生統括官はその後、松江税務署は調査終結の手続をしていないだけでなく、調査の開始の手続も、調査の途中の手続である留め置きの手続もしていないことを自ら明らかにしている(本稿の⑱で詳述する)。
    このことは、松江税務署の調査が、平成31年3月2日まで全くなされていないことを意味する。
    以上についての法的意味合いに関しては、既に「前代未聞の猿芝居―④」で詳しく述べた。

    掛内典生統括官は、平成30年7月の異動で松江税務署に配置された。掛内典生統括官もまた、刺客であり工作員であった。
    本件猿芝居における猿まわしの元締めである、

    重藤哲郎(平成30年7月まで広島国税局長、現、国税庁直税部長)

    が,筆者を社会的に抹殺(Character Assassination)するために送り込んできた刺客の一人であった。
    この人物に与えられた密命は、すでに筆者と接触している刺客・伊藤秀之税理士と組んで、A社に修正申告させるように誘導することと、筆者がA社に「修正しないことを煽動する」(国税通則法 第126条第一項の罰則)するように仕向けることであった。
    もちろん、筆者はそのような“手”に乗るはずがない。A社が、5億円強もの金額を脱税金額として査察官から吹っかけられていたのが、4分の1程の1億2千万円程度にまで縮んだのをよしとするのであれば、税務代理人である筆者がそれを「やめなさい」という立場にはない。

    A社の税務代理人は長い間森山文夫税理士であったが、森山文夫税理士は査察に切り替った時点で後難(こうなん。相手にとって不利益になるようなことをしたために、あとから受ける災い。-新明解国語辞典)をおそれる余り放り飛げてしまった。従って、平成29年11月20日(筆者とA社との契約締結日)以降、査察調査の税務代理人だけでなく、課税調査の税務代理人も、筆者だけになっていた。

    課税調査の税理代理人には、国税通則法に調査終結の際の権限が与えられており、その趣旨として、

    「調査終結の手続、つまり、調査結果の説明等をする際に、税務代理人がいる場合には、納税者に対してだけでなく、税務代理人にも説明等をしなければならない」(国税通則法第74条の11第5項)

    と定められている。

    査察部門は、筆者を査察調査からだけでなく、課税調査からも切り離そうと画策(かくさく。 計画を立てて立ち回ること、悪い意味に使う事が多い―新明解国語辞典)したが、切り離すことができなかった。
    査察部門が税理士の権限を保障する法の縛り(国税通則法第74条の11第5項)に気付いたのは、A社の社長夫人が逮捕(平成30年11月28日逮捕)されてから3ヶ月後のことであり、告発の2ヶ月半後(平成31年3月2日)のことであった。

(この項つづく)

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