大塚家具の親子ゲンカ-⑦

 従来、資本という勘定科目は資本金と剰余金(資本剰余金と利益剰余金)とで構成される、実体のないものではあるが、しかし、企業経営のゆとりを示す指標として重視されてきた。



 実体がないことについていえば、資金収支会計が主軸である会計システムを採用している国とか地方自治体、あるいは学校法人、社会福祉法人などにあっては、毎年の資金収支の残は現金等価物として残るもので、その累積である剰余金も必ず現金等価物として残ることになる。このような剰余金にはその金額に対応する現金等価物という実体がある。

 これに対して、資金収支会計が主軸ではない企業会計においては、毎期の純利益には、現金等価物のような個別に対応する資産は存在しないし、その累積である利益剰余金も同様に個別に対応する資産を有しない。このような意味から利益剰余金は実体がないのである。

 資本金とか資本剰余金についても同様だ。それらが出資(払い込み)された事実は確認できるものの、各年度末における資本金にせよ資本剰余金にせよ、それらに対応する個別の資産は存在しない。

 会計処理に関していえば、資本金と資本剰余金にはかつては厳しい規制がなされており、会社が自社株を購入して資本金を減らしたり、あるいは、資本剰余金を取り崩して配当に充てることなどもってのほかのことであった。なかでも配当金の支払いは、当期純利益の範囲内が妥当とされ、最大でも利益剰余金を超えることはご法度(はっと)であった。

 ところが株式の時価発行が常態化するにつれて、時価発行に応じた株主の立場からすれば、自らが払い込んだ金額(時価発行額)は、自分達のものではないかという考え方が浮上してきた。機関投資家、ファンドの立場である。
 この時価発行、会社法の成立を境にしてその内容とか取り扱いが大幅に変ったようである(「大塚家具の親子ゲンカ-⑥」参照)。
 従来は、時価発行といえば概ね上場企業に限られており、すでに上場されている相場(株価)が時価の基準とされていた。
 ところが、会社法の成立によって資本についての考え方が大幅に変った結果、時価発行が上場する前の会社でも採用されることになった。
上場していないのであるから市場価格は存在しない。上場しようとする会社が自由に自社の株価を決めるシステムが、制度として認められることになったのである。

 ここで登場するのがディスカウンテッド・キャッシュ・フロー・メソッド(DCF法)だ(「 ホリエモンの錬金術」参照)。将来の収益を計算して現在の企業価値(株価)を計算するやり方である。
 DCF法を用いれば、やり方次第ではさほど企業実績のない会社でも上場することができる。DCF法によってフーセンのように企業実体をふくらませて上場するのである。上場してひとたび市場価格が形成されればそれが一人歩きし、株式分割を利用して増資を重ねたり、怪しげな金融商品を活用して、株式市場からいくらでも資金を引っぱり出すことができる。まさに手品である。
 これこそ、ホリエモンこと堀江貴文氏がかつて行ったマジックだ。彼は上場前のポンコツ会社をあたかも前途有望な優良会社のように見せかけて、つまり大幅な粉飾(ドレッシング)を施して、その上でDCF法と極端な株式分割を濫用して、時価総額2,000億円ものライブドアという幻の会社をデッチ上げた。もともとは5千万円の出資金を、粉飾決算(上場前だけでなく上場後においても粉飾決算をしていた!!)とDCF法と株式分割とを濫用して、1,440倍(!!)の720億円(「 ホリエモンの錬金術 -8」参照)にまで増やしたITバブルの詐欺師である。
 ホリエモンの場合は、粉飾決算という禁じ手を用いて株式市場を騙したことから敢えて詐欺師というのであるが、DCF法をベースにした時価発行と株式分割などを繰り返すことで会社を大きくしていったソフトバンクとか楽天といった会社も私の目からすると大同小異の存在だ。二人ともITバブルの申し子だ。
 ソフトバンクの孫正義氏も楽天の三木谷浩史氏も、ホリエモンのように粉飾決算に手を染めていないようであるからもちろん詐欺師ではない。しかし、共に、それぞれの会社の時価総額に比較して、それに対応する会社の実態が見えてこない。時価総額に見合うだけの収益構造が幻に近い不透明なもの、つまりバブルであるということだ。この点がホリエモンのライブドアと酷似しているのである。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

”朝帰る猫もチョッピリ伏し目がち”-大分、田中勇司

 

(毎日新聞、平成27年4月11日付、仲畑流万能川柳より)

(後朝(きぬぎぬ)の別れの後に夜叉(やしゃ)が待つ。)

Loading