相続税対策のワナ-③

 相続税対策のワナにはまり、失敗した事例として真っ先に思い浮かぶのは、堤義明氏がオーナーとして君臨していた西武鉄道グループである。

 この西武鉄道グループを一代で築きあげたのは堤康次郎氏、堤義明氏の父親である。

 この人物、“ピストル堤”の異名を持ち、ヤクザ相手に大立ち回りを演じたり、戦後のドサクサに紛れて複数の宮家から都内の一等地を騙し取るようにして財を成した男だ。戦前戦後を通じて国会議員の立場をフルに利用して、私腹を肥やすのに余念がなかった。

猪瀬直樹氏は、堤康次郎の資産形成の過程を詳しく追跡し、「土地収奪のカラクリ」を明らかにして、次のように述べている。

“堤家は、天皇家の”藩屏“(はんぺい。帝室を守護する者-広辞苑)である皇族の宮殿と宅地を収奪しそのブランドを借用することによって、新時代のチャンピオンに成り上がった。”(「ミカドの肖像」小学館文庫、P.172)

 更に猪瀬氏は、堤家の相続税対策にも触れ、オーナー的存在である堤義明氏の相続が開始しても、ほとんど相続税を納めなくともよいようになっているとしている。堤家の相続税対策を取り上げた『日経ビジネス』(昭和59年6月号)の記事の中の、

“西武は永遠に『堤家の西武』なのである”

を引用して、

“堤家の”土地本位制”経営は、天皇家と同様に、万世一系のなかに受け継がれてゆきそうな気配なのである“(同書、P.175)

と述べている。

 堤康次郎が生前に練り上げた相続税対策は、本当に堤家の巨大な財産が、子供、孫、曾孫と永遠に続いていくように巧妙に仕上げられたものであったのであろうか。否である。
 猪瀬氏が「ミカドの肖像」を書き上げたのが昭和61年(1986年)。それから20年後の平成18年2月に西武鉄道グループは、銀行主導によって解体され、堤家の支配から離れていくことになった。つまり、永遠どころか、堤康次郎の子の代で終りを告げたのである。
 堤家が支配していた西武帝国が崩壊した原因は何か。
 いくつかの原因が考えられるが、第一の原因は、堤康次郎が仕組んだ“巧妙”な相続税対策だ。西武グループの中核的存在であったコクド(当時は、国土開発)の株式を一族以外の他人の名義を借りて分散し、相続税を逃れていたことである。最も稚拙な脱税工作だ。巧妙な相続税対策とはほど遠い、単なる税金逃れのゴマカシである。オソマツの一言に尽きる。
 私はかつて西武鉄道グループについて、会計工学の視点から分析し、一年ほどにわたってこのブログでいくつかの記事(「西武鉄道の上場廃止」参照)を公表してきた。西武グループの解体は、その後の出来事であるので、いずれ稿を改めて解体のプロセスを、同様の会計工学の視点から分析して公表する予定である。

 昨今、相続税対策と称して、持株会社を作って株式の分散を図ったり、あるいは、香港とかスイスあたりのプライベート・バンクに預金を移したり、投資事業組合などのファンドに資金を移したりと、様々な”対策“が横行しているようである。
 「相続税対策のワナ-①」で述べたように、ほとんどが、証券会社、銀行、コンサルタントの餌食になるのがオチである。その上に、本田博俊氏(「相続税対策のワナ-①」参照)のように、あらぬ疑いをかけられて、刑事被告人にされることもありうる。節税の名にダマされて、脱税の領域に踏み込んだり、財産が雲散霧消したりすることのないように気を付けなければならない。ハッキリと言えることはただ一つ、

「会計士・税理士・弁護士の有資格者、あるいはコンサルタントの中で、相続税対策の真の意味でのプロは皆無に等しい」

ということだ。
 敢えて相続税対策というならば、万一の場合を想定して予め相続税の納税額を計算し、納税資金を用意しておくことである。納税額を少しでも少なくしようと考えると、ワナにはまってしまうことになりかねない。
 西武鉄道グループの相続税逃れの手法は、手口がミエミエの猿芝居だ。相続税逃れの脱税であり、犯罪だ。破綻するのは目に見えている。もって他山の石とすべきである。

(この項おわり)

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 ここで一句。

“歳重ね 生きる喜び 今が旬” -日進、起転再転

 

(毎日新聞、平成23年12月7日付、仲畑流万能川柳より)

(同感! 70才を目前にして、これまでは見えなかったものが見えるようになった喜び、新しい発見の日々。)

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