原発とは何か?-④

 原発政策の大義名分とされた3E(「原発とは何か?-②」参照)について、一つずつ検討し、それらが偽りの大義名分であることを明らかにする。

***1)エネルギー供給の安定性(Energy)

 この大義名分は次の2つの点で誤っており、偽りである。

 まず第一に言えることは、ウランが稀少資源であることだ。決して無尽蔵にあるわけではない。資源の枯渇が叫ばれている石油は可採年数が42年(2007年末)、ウランは100年(2007年1月)であるとされているが、いずれの数字も怪しげなものだ。埋蔵量といい、可採年数といっても、条件次第でどのようにでも細工できる余地があるからである。

 とりわけ石油は、30年ほど前のオイルショック(1973年(昭和48年)、1979年(昭和54年))のときには、「あと30年もすると石油資源が枯渇する」と騒がれたものであるが、年を追うにつれて、枯渇するとされる年数がかえって伸びている。砂漠の中に突如出現する幻の湖と同じだ。目の前に水が見えるが行けども行けども辿りつくことができない。逃げ水である。

 表向きでは新油田の開発が主な要因であるとされてはいるが、実際のところは産油国が原油価格をつり上げるための小細工である可能性が高い。

 エネルギー源としては他に、石炭、天然ガスがある。ことに石炭に関しては、130年分以上の埋蔵量があるとされている。更には、オイル・シェールは一部地域で工業利用されているものの、メタン・ハイドレートについてはいまだ実用に供されてはいないが、それぞれ膨大な埋蔵量が確認されている。近年、日本近海にも大量のメタン・ハイドレートの存在が明らかになっている。新しいエネルギー源として射程距離に入っており、単なる夢物語ではない。

 つまり、原発燃料の原料であるウランは、その他のエネルギー資源と比較しても決して無尽蔵にある資源ではなく、推計埋蔵量が547万トン(2007年1月)と、逆に最も早く枯渇が心配されている稀少資源である。エネルギーの安定的な供給を保証するものではないのである。

 エネルギー供給の安定性という観点に立つ限り、ウランはもちろんのこと、130年分と言われている石炭でさえも有限である。いずれも究極の安定的なエネルギー源にはなりえない。
 真に安定的なエネルギーは、再生可能なエネルギー、即ち、太陽光、風力、水力、潮力などの自然エネルギーしかないということだ。費消すれば枯渇するエネルギー源は、再生可能な自然エネルギーに全面的に依拠するまでの時間つなぎと考えるべきものだ。

 次に言えることは、エネルギーを取り出した後にできる廃棄物、つまり使用済核燃料の最終的な処分方法がいまだ確立されていないことだ。プルトニウムを含んだ極めて危険な物質が野放しに近い状況に置かれているのである。原発はトイレのないマンションだと称される所以(ゆえん)である。原発を稼働させる限り、必ず生成されるこのように厄介なシロモノがある限り、原発がいくらエネルギーの安定供給源であると言っても虚言(たわごと)である。
 福島第一原発で懸念されているのは、高濃度に汚染された大量の水とその原因となったメルト・ダウンした核燃料だけではない。原子炉建屋の貯蔵プールに保管されている大量の使用済核燃料がなんとも危険な状態に置かれているのである。東電は、急遽慌てて耐震補強工事をして、プール内の使用済核燃料が飛散しないようにすると言っているが、フザケているとしか言いようがない。危険極まりない使用済核燃料の保管について、これまでまともな保全対策を施していなかったと言っているのと同じではないか。この高レベル放射性物質が、仮に何らかの原因で大気中に飛散するとすれば、東京を中心とした首都圏は壊滅的な損害をこうむると言われている危険なものだ。ちなみに、3年ほど使用されたウラン燃料は使用前に比べて約10億倍の放射能を持つと言われている。

 私が住んでいる10キロのところに島根原発がある。ここにも当然のことながら大量の使用済核燃料が保管されている。3~5年の間冷却するために貯蔵プールに保管されているのであるが、東電と同様、相当にいいかげんな状況であることが心配だ。懸念されるのはそれだけではない。
 この冷却された後の危険物は、陸上のトラック便と海上の船便で主に青森の六ヶ所村の再処理工場まで搬送される。つい先日も、反原発グループの抗議の声の中、松江市内を搬送されたばかりである。
 万一途中でトラック、あるいは運搬船が事故に巻き込まれた場合どうなるか。考えただけでもゾッとする。安全装置を外した原爆が街中と海上を走りまわっているのと同様だからだ。これは島根原発だけのことではない。全国の原発から、六ヶ所村までいわば「死の行進」が日常的に行なわれているのである。その上、仮に無事に再処理工場に到達し、予定通り再処理が実施されたとしても、その結果生成されるのは、更にやっかいな放射性物質だ。この最終的な処分が宙に浮いており、この狭い島国で貯まる一方だ。まさにトイレのないマンションである。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“原発の工事で町長(ちょうちょ)が蜜を吸い” -宮崎、豊竹屋。

(毎日新聞、平成23年8月2日付、仲畑流万能川柳より)

(玄海原発。ヤラセ知事との名コンビ。)

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