乾隆帝の壺-3
- 2010.01.19
- 山根治blog
図録の表紙は、パンフレットと同様の蘭亭序の書き出しの部分であった。
【「北京故宮-書の名宝展」 図録の表紙】

真中に押捺されている4つの印影の3番目のもの、三字の篆書(てんしょ)からなる白文方印が私の捜し求めていたものだ。
【「北京故宮-書の名宝展」 図録の表紙の印(拡大)】

【壷の印】

この印影について言及した解説を捜してみたところ、富田淳氏による「王羲之傑作の残影~蘭亭八柱第三本(馮承素本)に寄せて~(図録P.162~P.169)」の中にあることが分った。
これによって、三文字が
であることが判明した。(図録P.164)
しかし、その意味までは記されていなかったのでネット検索にかけてみたところ、宜子孫は
と読み、
といった意味合いであることが分った。この3文字は、乾隆帝の為政上の処世訓とでも言えるものであった。
-以上は、岩波、広辞苑による。
在位は60年の長きに及び、88才の長寿を全うした乾隆帝は、現代中国においては、歴代皇帝の中でも秦の始皇帝と並んで最も評価の高い皇帝である。
初めて中国を統一したのが始皇帝であるのに対して、その版図を最大にし国威を大いに高めたのが乾隆帝だ。学問芸術に造詣が深く、自ら数多くの詩文をものしただけでなく、能筆の誉れ高く、自ら筆をとった書も数多く残されており、王羲之ばりの堂々たる風格の筆致は見事である。
文武両道に通じ、人心を掌握して巧みな治世を行ない、清王朝の絶頂期を実現させた。
の諺通り、中国清王朝は乾隆帝の時代をピークとして、以後衰退の道を辿ることになる。
―― ―― ―― ―― ――
ここで一句。
(“悪霊(あくりょう)じゃないぞ 私ら官僚だ”。)
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