100年に1度のチャンス -20

 次に3.の大量消費について。

 第二次大戦が終ってから、日本は、政治・経済だけでなく生活全般にわたって覇権国家アメリカに依存し、アメリカ人のライフスタイルを進んで取り入れるようになりました。中でも、日本社会に染(し)み付くまでになった悪弊は、モノを大切に扱わない「使い捨て」のスタイルです。

もともと、日本には米粒一つも疎(おろそ)かにしない食文化があり、使い古したものを大切に扱うリサイクルの文化がありました。そのピークの時期は江戸時代でした。幕末の日本にやってきた欧米の人は、アメリカとかヨーロッパと比べて、異質ながらもはるかに高いレベルの文化を持ち、高度な文明を築いている日本に対して一様に驚嘆の声を上げているほどです。世界の片隅の小さな島国が、未開の野蛮な国どころか、緑豊かな環境のもとで高度な文明社会を築いていることに目を瞠(みは)っているのです。経済は国内だけで充足する自給自足を貫いており、そのためにも心をこめて創り出したものを大切にする伝統的な文化があり、さらには森林、とくに里山を大切にすることによって、森林資源を確保すると同時に、農業環境を確保し、水産資源を涵養(かんよう)することに努めてきました。
 近頃アフリカのノーベル賞受賞者であるワンガリ・マータイさんがキャッチフレーズにしてから世界的に有名になった“モッタイナイ”精神は、島国である日本に生きる私達に根付いてきたDNAとも言うべきものでした。
 このモッタイナイ精神と反対のことが、特に第二次大戦後アメリカの影響のもとで推し進められ、気が付いてみたら、日本人は豊かさにまかせてどんどん買い物をし、古いものは修理することなしに次から次へと捨てていくようになりました。
 これに理論的な根拠を与えたのが、ほかならぬケインズ経済学でした。大量の公共投資を行ない、消費者に必要以上のものを買わせて消費を多くすることは、もともと大恐慌を脱出するための一時的な処方箋にすぎないものだったのですが、いつの間にか日本の経済運営の中核的な存在にまつり上げられ、日本経済を維持発展させていくためにはできるだけ多くの消費をすることが必要だ、その挙句、消費は美徳だなどとトンデモないことを言い出す人達まで輩出するに至ったのです。
 経済活動の原点に立ち帰って冷静に考えてみたら、そのような言い草が誤っていることは明白です。必要とされている以上のものを消費することは浪費であり、濫費です。このような行為は、カンフル剤として一時的なガス抜きとして、あるいは景気刺激策としてはありうるでしょうが、恒常的に行なえば個人だけでなく、社会全体の豊かさを増大させるどころか、毀損(きそん)しかねないからです。
 経済が高度成長に入るまでの日本、ことに江戸時代の人々が当然のこととしていた節約の精神、“モッタイナイ”という精神を改めて噛みしめてみる必要があるようです。

 次に4.の食料輸入について。
 私はスーパーとか百貨店の食料品売場を歩き回るのが趣味のようになっており、宍道湖の岸辺を散歩し、堀川が縦横に流れている松江の街中をブラブラするついでに、必ずといっていいほど散歩筋にある食料品売場に立ち寄ることにしています。晩年の永井荷風がストリップ小屋にしげしげと通い、浅草とか銀座の洋食屋でメシを食うことを常としていたのと同じようなことでしょう。
 食料品売場に行くたびに思うことは、品数のあまりの多さと、外国からの輸入品の多さです。日本で生産されている加工品であっても、手にとってラベルを見てみると、原材料の多くは外国産だったりして、純粋の国産品を探し出すのが難しいほどです。
 もともと、主食である米とか麦、その他の雑穀はもとより、野菜、果物、魚など日本国内で全てまかなってきました。それが今では食料自給率が40%(平成19年)と、先進諸国の中では最低の水準にまで落ち込んでいます。コストの安さを最大の理由として、世界中から食料を買いあさり、日本での食料生産は経済性の観点から採算が合わないとして、有効な手立てを何ら打たないまま、専ら諸外国からの食料供給に頼り続けてきた結果です。
 農業の世界には「ノーキョー」という怪しげな存在があり、日本の農業を支配しています。かつてはその存在自体にそれなりの意義があったのでしょうが、現時点では本来の役割を終え、日本の農政を壟断(ろうだん)し、日本の農業に資するどころか逆に、日本の農業と農家の人々を食いものにしている感さえあります。農政の多くは、「ノーキョー」をはじめとしてゼネコンや農機具メーカーの為のものであり、農家の為でもなければ、まして一般国民の為でもありません。
 世界全体から見たコストについては、前回述べた安い輸入工業製品と同様に、必ずしも安上がりではありません。加えて、食料品の場合外国に頼っていては、安定的な供給について常に不安がつきまといます。この1~2年で現実になっているように、小麦、トウモロコシ、大豆といった重要な品目の供給が極端に減少したり、あるいは供給価格が急上昇したりするのでは、日本国民の食生活が外国まかせの極めて危うい不安定なものになりかねません。
 主食である米と麦、準主食ともいえる大豆、魚くらいは外国に頼ることなく、100%の自給率を目指すべきでしょう。

(この項つづく)

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 ここで一句。

“イマ彼と 言うんだろうか 僕のこと” -名古屋、正八。

(毎日新聞、平成21年1月22日号より)

(そんな余計なこと、考えることはありません。間もなくモト彼になるでしょうから。)

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