161 続・いじめの構図 -5

****その5)

そもそも、税理士は、税理士法第2条第2項において、第2条第1項に定める独占業務のほか、付随して財務書類の作成もすることができるとされている。条文は次のようなものだ。『税理士は、前項に規定する業務(以下「税理士業務」という。)のほか、税理士の名称を用いて、他人の求めに応じ、税理士業務に付随して、財務書類の作成、会計帳簿の記帳の代行その他財務に関する事務を業として行うことができる。』 この規定は、税理士会の強い要望によって、昭和55年の税理士法改正において創設されたもので、本来、自由な業務として誰でも行うことができる会計業務を、税理士の名称を用いて行うことができるというだけのもので、それ以上のものではない。確認的規定と称される所以(ゆえん)である。

換言すれば税理士の名称さえ使わなければ、財務書類の作成は誰がやってもよいということだ。税理士法の本法において、このように明確に規定されていることを敢えて無視し、偽って、一覧表の中に入れている。取締りの任にあたる者が、偽りのマニュアルを堂々と作成し、それを水戸黄門の印籠のように振りかざしては、人を犯罪人呼ばわりし、恫喝しているのである。暴力団と何ら変るところがない。
単なる無知なのか、あるいは知悉した上でのことかは分らない。いずれにせよ、ことは通常の行政指導ではない。ニセ税理士の告発という、犯罪の摘発行為の一環として行われたのである。
これは公権力の名の下になされた恫喝であり、ヤクザ並の犯罪行為と言っても過言ではない。既に述べた公用文書の捏造といい、この理不尽な恫喝行為といい、私自らが身をもって体験した、国税当局の実態の一端を示す、紛うことのない現実であった。それは、大木洋氏がマルサのキャップとしてデッチ上げた、脱税事件の捜査とそっくりであった。国家組織が犯罪集団と化し、なんでもありの世界を、またしても白昼堂々と繰り広げたのである。このような犯罪行為は、広島国税局だけでなく全国的になされているのであろうか、この3年のうちに、明らかにデッチ上げと考えられる脱税事件の事例が、全国各地から4件寄せられた。私の手許にはそれらに関する膨大な量の裁判資料が積まれている。

私に対する取調べが一段落した頃、私は、坂本昭雄氏、小川正義氏の両名に対して文書による申し入れを行った。公用文書の捏造と理不尽な恫喝に加えて、その他いくつかの非違行為を具体的に列挙し、厳重に抗議をすると共に猛省を促すものであった。平成18年7月4日のことである。
ただ私は、無用な泥仕合になることは、できれば避けたかった。そのために、文書による申し入れと同時に、両名に妥協案を申し出ている。

捜査が始まってからほどなく、ネットでの『冤罪を創る人々』の公開は自発的に中断していたのであるが、仮に今後再び公開する場合には、国税当局の職員を含めた全ての公務員について、実名ではなく仮名にすることがその一つ。
今一つの妥協案は、このたびの国税当局による非違行為については一切を水に流し、なかったことにすることである。この2つが私の側から申し出た妥協案であった。
私が国税局側に要求したことは唯一つ、公用文書を捏造したりしてインチキ告発をしないことであった。かつて広島国税局が脱税の罪をデッチ上げて、私を冤罪に陥れたことを改めて指弾し、二度と再び同じ轍(てつ)を踏むことのないように釘をさしたのである。私の申し出にも拘らず、仮にインチキ告発の挙に出た場合には、直ちに全ての事実を公表し、考えうるあらゆる手段を講ずる旨、申し添えた。単に事実を公表するだけでなく、民事及び刑事にわたる法的措置を講じ、あわせて国政調査権の発動を促すことを予告した。組織もなければ権力もない私にとって、自らを防衛するための、せめてもの対抗措置である。

事実の公表。これまでの日本にあって、公務員の非行に関しては事実を公表する場が限られていた。殊に国税当局の非行は闇から闇へと葬られるのが常であった。陰湿な仕返しをおそれて、報道の任にある各マスコミが取り上げようとしないからである。触らぬ神に祟りなし、とばかりに口をつぐみ、黙殺した。
ところが現在は状況が一変している。敢えて既存のマスコミに頼らなくとも、誰でも、全国どころか全世界に向けて情報の発信ができるようになった。インターネットの目覚しい普及によるものだ。責任の所在を明らかにする限り、自らの情報について誰の束縛を受けることなく自由に発信することができるようになったのである。幸いにも私のブログの読者は、数はさほど多くないものの、しかるべき立場の方が多く、真摯に耳を傾けて下さっている。私の基本的スタンスは、事実を分かり易い記録として残すことと、たとえ一人でも私の記録に目を通し、理解して下さる方がいればよいということに尽きる。単に騒ぎ立てるのが本意ではない。
問題なのは勿論マスコミ側だけではない。従来、税務署員の非行を告発したくとも被害者である納税者にためらいがあった。それ以上に、納税者の代弁人であるべき税理士の腰が引けていた。徴税権力の陰険なシッペ返しをおそれるからだ。江戸のカタキは長崎でとばかりに、平気で権力の濫用に走り、何をするか分ったものではない暴力装置であることが知れわたっていたからである。

この暴力装置としての徴税権力とは一体何者なのか、その正体は何か、突き詰めて考えていくと、なんだか分からなくなってくる。なかなか正体が見えてこないのである。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と孫子の兵法にある。戦う相手のことを十分に把み、自らの状況を十分わきまえて戦えば、決して戦いに負けることはない、ということだ。敵を知ること、つまり相手の正体を見極めることだ。相手が何者か分からないうちは、むやみにケンカなどしてはいけない、つまり、ひとときの感情だけで事を起こしてはいけないという戒めが孫子の言わんとしているところである。

徴税権力とは一体何者なのか、長い間疑問に思っていたが、昨年の5月に再び暴力的な殴り込みをかけられたことをキッカケとして、はからずもその正体の一端を把むことができた。国税当局は、税理士法違反の嫌疑で私を告発しようとしているのであるから、目先の火の粉を振り払うために、私はやむなく税理士法と真剣に向き合うことになった。通常は目を通すことさえしない税理士法を徹底的に調べた結果、権力のカラクリ、徴税権力の暴力装置としての正体が浮かび上がってきたのである。
煩瑣(はんさ)にして膨大な量の法体系を背景とした、わが国徴税制度の暴力的側面を支えていたのは、実は、わずか7万人弱の専門家集団を律する税理士法であった。これが結論である。
税理士法とその運用の実態は、誠に巧妙に仕組まれており、暴力装置としての徴税権力が貫徹できるようになっていたのである。その暴力装置を無力化するには、税理士法の中に組み込まれているカラクリを摘示し、その非なることを明らかにすればよい。現在私は、その作業に着手しており、ほどなく完了する見込である。「千丈の堤も蟻穴(ぎけつ)より崩る」(韓非子)ことになるであろう。

かつて私は「ホリエモンの錬金術」において、ライブドアの金の力は幻にすぎないことをデータをもとに論証し、そのときもこの孫子の言葉を引用している(“ホリエモンの錬金術-5”)。あれから2年が経過した。孫子の言葉が真実であることを、改めて実感し、かみしめているところである。

 

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