C01 物言わぬ税理士1

***(序)

納税は国民の基本的な義務である。しかし、一口に納税といっても、立場によっては全く異なったものとなる。税金を取る側(国、税務署)は、できるだけ多く取ろうとし、税金を払う側(国民、納税者)は、できるだけ少なく払おうと考える。このような両者のせめぎ合いは今に始まったことではない。戦前にも存在したし、江戸時代、あるいはそれ以前にも存在した。

現代の日本は、主権在民を基本とする民主主義国家である。税に関しても日本国憲法は、国民に対して、納税の義務を定めていると同時に、国に対しては法律の規定によらなければ勝手に国民から税金を取り立ててはならないことを定めている。つまり、各種の税法は、国民に対して納税の義務を具体的に規定しているとともに、一方で、国家が恣意的に税金の徴収をすることができないように規定している。
しかし、現実の税務行政においては、前者の国民の義務の側面が専ら強調されるあまり、後者の国民の権利の側面がないがしろにされることが多い。現在施行されている各種の税法は、条文が多岐にわたり、煩瑣をきわめている。条文の内容も難解なものであり、とても一般の納税者の手に負えるものではない。
そこでいきおい、税の専門家とされている税理士に税金の処理を依頼することになる。納税者から依頼を受けた税理士は、果してその依頼にこたえるに十分な仕事をしているであろうか。一部の例外を除いて、納税者の信頼に満足にはこたえていない、といったところが実情ではないか。

納税者の代理人である税理士の多くが、税理士の本分を忘れて税務当局の言うがままになっている。大半の税理士が税務署のいわば下請けのような存在に堕し、納税者にかわって言うべきことを言わないのである。何者かにおびえ、納税者の権利を守るべく、法に認められた当然の主張さえしないのである。まさに、「物言わぬ税理士」だ。税務に関する多くの事件の背景には、このような「物言わぬ税理士」と、権力をカサにきて横暴をきわめる税務署員の歪んだ思い上がりとがあるようである。
国民の正当な権利が、税務の現場で日々蹂躙されるのを手を拱(こまね)いていることはない。税理士が税務署に対して言うべきことを言ってくれないのであれば、納税者自らが物を言う他はない。権利の上に眠る者を法は決して保護してはくれないのだから。
納税者として、税務署に対してどのようなことが、当然の権利として堂々と主張できるのか、実務の現場から具体的に考えていくことにする。

 

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