江戸時代の会計士 -15

領民の代表達は、それぞれ自分達の村に帰って村民一同を集めて、勘略奉行恩田木工からの提案について報告します。村民一同が喜んだのは言うまでもありません。

“あの足軽共の在方(ざいかた)へ出(いで)て荒びるには困り果てたるに、向後(きょうご)一人も出すまじくとの仰せなれば、こればかりにても有難きことなるに、以後諸役までも御免との事なれば、向後倍金、二年分づつ御年貢差上げ候ても苦しからず候。早々御請(うけ)申し上げ、殿様、木工様、御安気(ごあんき)遊ばされ候様になし下され候へ。”
(あの足軽連中が村方にやってきてはやりたい放題をするのに困り果てていたところを、今後は一人も足軽を出向わせないとの仰せだ。このことだけでも有難いことであるのに、その上今後労役奉仕までも免除するとおっしゃるのであるから、今後は二倍、一年に二年分の年貢を納めてもいいくらいのものだ。早いところご承諾申し上げて、殿様にも木工様にも御安心していただくように取り計って下さい。)

更には、役人達に対する不平不満があれば密書にして書いて出すようにというのですから、

“今までの意趣晴しはこの時ぞ。有難き事なり。誠に闇の夜に月の出でたる心地、胸の曇りも晴れて、これより行末(ゆくすえ)安楽になるべしと、悦び勇まぬ者こそなかりけれ。”
(これまでのうっぷんを晴すのはこの時だ、有難いことだ、誠に闇夜に月が出てきた心境だ、胸につかえていたわだかまりも消えて、これから先は安楽な暮しができるというものだ、と皆で喜び合ったことである。)

恩田木工は、後日改めて領民たちとの話し合いの場を持ち、領民たちに宿題として申し向けていた3つの無心のうちの最後のもの、つまり先納・先々納の年貢を帳消しにした上で、更に当年分の年貢を月割にして納めることを領民たちが心から承諾したのを確認します。
同時に、役人たちの悪事をしたためた封書を受け取り、

“これは手前が見るものにあらず。御前へ御覧に入るるなり”
(この封書は拙者が見るものではない。殿様に御覧いただくものである。)

と領民たちに申し向けるのでした。

恩田木工はすぐさま殿様に報告いたします。

“御悦び遊ばさるべく候。御勝手十分に相直り申すべく候。その訳は、御借用金の分は残らず横に寝て仕廻申し候へば、無借金の上、当月より十万石まるく納まり申し候。一粒も紛失御座なく候故、御勝手十分に相調(あいととの)ひ申し候。その上、一人も御上を御恨み申す者御座なく候。却(かえ)って有難がり候て、「二年分なりとも上納仕るべし」と申し候故、当月より滞(とどこお)りなく御年貢上納仕り候筈に御座候。これみな御前の御仁心深き故の御高徳にて御座候。”
(どうかお喜び下さい。藩の財政は十分に立ち直りますでしょう。その理由を申し上げますと、- 御借上げのお金については、返済を棚上げにいたしましたので、無借金と同じことになります。無借金になった上に、今月より十万石まるまる年貢の納入がなされます。一粒の米といえども紛失することはございませんので、財政状態が健全になるのでございます。その上誰一人、殿様を恨んだりする者もございません。かえって感謝するあまり、「一年に今までの二年分の年貢でも納めましょう」と言ってくるほどですので、今月から年貢の上納は滞ることなくなされるはずです。これらはみな、殿様の慈しみ深い御心にもとづく御高徳の賜物でございます。)

殿様は木工の報告を受けてことの外満足し、

“これわが徳に非(あら)ず。皆其方が働き、広大の勲功、金石にも銘すべき忠勤なり。”
(これは自分の徳によるものではない。皆そなたの尽力によるもの。またとない勲功であり、碑文にでも残すべき忠勤である。)

と木工を心から賞賛するのでした。

木工は殿様の過分なおほめの言葉に感謝の意を表し、領民がしたためた封書を差し出し、

“これは百姓共が相認(したた)め候ものにて御座候。御覧遊ばさるべし。”
(これは領民たちが書き記したものでございます。どうかご覧下さいませ。)

と申し上げ、御前から退出します。

「日暮硯」の作者は、恩田木工に対しひとかたならぬ思い入れをしています。それだけに、木工の人柄と施策を、できるだけ多くの人に伝えようと懸命です。全体が平易で簡潔な文章で貫かれているのは、その表われでしょう。
それに加えて、今回出てきたような言い回し、即ち「闇の夜に月の出でたる心地」とか、あるいは「横に寝て仕廻」といったように、印象的で分かり易い表現がその他にも随所に見受けられるのは、より多くの人に面白く読んでもらいたいとする作者の工夫がうかがえます。
江戸時代から200年以上にわたって、さまざまな立場の人に読み継がれてきたのも、故なしとはしないでしょう。

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ここで一句。

“飛びそこねチョット照れてる猫の老い” -藤井寺、加藤庸子。

 

(毎日新聞:平成17年10月26日号より)

(このところの日本の政界、なんとなく殺伐としていますね。政治家はえたいの知れない何かに追われ、心のゆとりをどこかに忘れているようです。)

 

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