倉田まり子事件の真相 -その1

“北浜の若獅子”、“兜町の風雲児”と持て囃された中江滋樹氏でしたが、一転して、多くの投資家を騙して多額の損失を与えた稀代のペテン師として、マスコミから集中砲火を浴びることになりました。

今から20年前の昭和59年8月24日、中江氏が率いる投資ジャーナル社をはじめ関連会社14社は、証券取引法違反によって警視庁の強制捜査を受け、あっけなく破綻してしまいました。

中江氏にからんで芸能マスコミが袋叩きにしたのが、歌手の倉田まり子さんでした。中江氏の愛人と決めつけられ、7千万円の贈与を受けて豪邸を購入したとして連日のように、テレビをはじめ各メディアが大騒ぎしたものでした。
私は、中江氏と倉田さんからの依頼を受けて、事の真相をマスコミを通じて話すことになり、テレビはフジテレビに限り、週刊誌は週刊ポストに限ってインタビューに応じ、真実を語ったことによって、空騒ぎはピタッとおさまりました。

もともと7千万円の件は疑惑でもなんでもないことなので、真実が明らかになってみれば、面白くもおかしくもないことになってしまって、テレビ的にいえば、絵にならなくなったのでしょう。
経済とか法律に疎いワイドショーのキャスターとか、芸能レポーターが、株の世界にまで首を突っ込もうとしたところに無理があったようです。
それにしても気の毒だったのは倉田さんです。芸能界でこれからというときに、マスコミの理不尽としか言いようのないやり方で潰されてしまったのですから。

当時、中江氏と打ち合わせをした上で、倉田さんについての空騒ぎを静めるために私が表に出て事実を話したのですが、どうしても公表できないことがありました。
7千万円の貸与の趣旨について、芸能プロダクションへのスカウト料のかわりの融資であることまでは明らかにしました。しかし、どのようなプロダクションなのかについては、話すことができませんでした。
あれから既に20年経ちました。プロダクションの影のオーナーであったマスコミ界の大物も、投資ジャーナル事件後ほどなくこの世を去っています。もういいでしょう、倉田さんの名誉のためにも、より詳しい事実を明らかにすることにします。

そのころ、各テレビ局には、それぞれボス的な存在がおり、睨みをきかせていました。テレビ朝日の専務であったMという人物も、そのような一人で、メディア界では、「テレ朝の天皇」なる異名で通っていたほどです。
倉田まり子さんをスカウトしたプロダクションは、実はこの故M氏が関係し、事実上支配していたものでした。中江氏は、M氏とは非常に親しい間柄でしたが、このような親密な間柄を公表することは、当時のM氏の立場を考えると、できることではありませんでした。
ましてや、よりスキャンダラスに取り上げられていた倉田さん関係の7千万円がM氏と密接に関連していたことを明らかにすることはできませんでした。テレビ局の大幹部が、芸能プロダクションを事実上経営していることは、道義的な問題にとどまらず、刑事事件にも発展しかねないことだったからです。

私はM氏との面識はありませんでした。専ら中江氏から断片的にいくつかのエピソードを耳にする位のものでしたが、政財界のフィクサーでもあった故M氏ならではのものでした。その一つが、芸能プロダクションの裏経営だったのです。

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ここで一句。

“オスかメス見ても分からぬ猫の顔” -大阪、寅年生まれ;;;rr;(毎日新聞:平成16年8月26日号より);;;;

(フィクサーという人種はどこか人間ばなれしていますね。まだ猫の方がましかもしれません。このあいだ辞任したどこかの球団のオーナー氏の葉巻をくわえた顔が浮かんできました。)

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