冤罪を創る人々vol.25

2004年09月07日 第25号 発行部数:240部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-



    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。

    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。

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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ

 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント

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●(第六章)権力としての検察 ― 暴力装置の実態



「(2) 逮捕当日 ― 別件逮捕 ― 」より続く

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(3) 勾留請求の裁判



一、 平成8年1月27日、逮捕された翌日の午後7時頃、私は手錠・

 腰縄つきでワゴン車に乗せられ、松江刑務所拘置監から松江地方裁

 判所へ移送された。勾留請求の裁判のためである。裁判所に着いた

 のは午後7時半であった。



二、 中村弁護人が面会にきてくれた。

  昨日聞いた2人(私を含めると3人)に加えて、昨日の夕方、組

 合の増田常務も逮捕されたことを知る。私に全幅の信頼を置いてく

 れた人達が次々と逮捕され、やり切れない気持ちに陥った。

  中村弁護人は、この日マスコミを集めて記者会見をし、「明らか

 な別件逮捕であり、不当である。犯罪事実は全くないので、直ちに

 全員釈放すべきである。」旨述べたと話してくれた。



三、 面会室から、1階の面談室に移され、勾留請求の裁判が始まった。

  一人の裁判官が容疑事実について簡単に質問をし、書記が調書に

 とっていた。その間、15分。おざなりを絵にかいたような単なる

 儀式であった。



四、 夜中の11時すぎに、熟睡していた私は、夜間担当の看守にた

 たき起こされ、独房から管理棟の別室に連れ出された。

  そこで、看守立会のもとで、主任らしき人物から、拘置決定の告

 知と接見等禁止の告知がなされた。決定番号は、平成八年(む)第

 2号であった。



五、 平成8年1月28日、この日は日曜日であったが、中村弁護人

 の面会があった。



「拘置請求に対する異議申立(準抗告申立)をした。準抗告申立書を

 房内に入るように差し入れしておいたが、異議申立が認められるの

 は、0.27%位のものであるので、期待しないように。」



  私は、中村弁護人に、寒くて仕方がないので、丹前、ジャンパー、

 下着などできるだけ暖かいものを差入れるように依頼した。他の逮

 捕されている3人にも、同じ手配を頼む。



六、 中村弁護人から、仕事の都合で、2日程面会に来ることができ

 ないと聞いたとき、私は思わず大粒の涙を流した。接見は弁護人し

 かできず、中村弁護人は、その時唯一人の頼みの綱だったからだ。

  私は、小さいころから泣き虫で、涙もろかった。それが、突然逮

 捕され、十分な心の整理ができていない状態であったので、感情の

 起伏は激しくなっており、なにかあると、すぐ涙が出るようになっ

 ていた。

  ちょっとした人のやさしさとか思いやりに触れると、自動的に私

 の眼は涙で溢れるようになっていたのである。今にして思えば、一

 種の拘禁症にかかっていたのであろうか。

 

七、 平成8年1月30日、松江地方裁判所は、拘置請求の却下を求

 める準抗告を棄却した。却下の理由は、検察側の偽りの主張をその

 まま鵜呑みにしたものであった。





(4) 拘置理由開示の裁判



一、 平成8年2月2日、起きて窓外に目をやると、雪が降っていた。

 この日は、午後拘置理由開示の裁判が予定されていた。

  いつもより早く、戸外運動場に連れ出され、粉雪の舞う中で、30

 分程、大きな声でエイッ、エイッとかけ声をかけながら、天突き体

 操、舟こぎ体操をした後、ジョッキングをする。

  8m四方の運動場は高さ2m位のコンクリート壁に囲まれており、

 小分けにしたいくつかの運動場が見渡せる位置に看守がすわり、か

 け声をかけて監視していた。

  囲われた運動場の中の一部にビニールの屋根があった。そこにつ

 ららができていた。つららを見るのは何年ぶりのことであったろうか。

  看守によると、昨夜は気温がマイナス5度まで下がったという。

 寒いはずである。

  30分程の運動によって身体が汗ばんでくる。運動時間中に、看

 守から爪切りを借り受け、逮捕以来はじめて、爪を切る。

  運動の後、囲いを出たところで、リゴール液によるうがいをして、

 独房に帰る。



二、 午後1時10分、拘置理由開示の裁判が開廷される5分前に、

 私は看守に率いられ、松江地裁1階の鉄格子の部屋から階段を歩い

 て、3階の第31号法廷に入った。

  傍聴席は満席であった。30人位きていたのであろうか。

  入廷時は手錠腰縄状態であり、傍聴人の見ている前で外された。

 さらし者である。





(続きはWebサイトにて)

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●山根治blog (※山根治が日々考えること)

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・月給一億円のサラリーマン



  私は、中江滋樹氏を通じて、株の世界の実際をつぶさに見ること

 ができましたし、仕手筋と言われる相場師とか、証券外務員という

 名の歩合制の勝負師とも親しく付き合うことができました。



  ケタ外れの金額が毎日のように動き回る相場の世界は、私のよう

 に自ら相場を張ることのない、いわば傍観者からすれば、実に面白

 い世界でした。

  中江氏の周りには、金の亡者のような人達が群っており、他では

 見ることのできない人間模様が展開されていました。金銭に敏感な

 かなり多くの政治家が、現ナマのエサにつられて中江氏の意のまま

 に動いて、大口顧客の紹介をしたり、相場の形成に一役買っていま

 した。一人一回について一本(1000万円)が渡されていたよう

 です。私の知っているだけでも20人を超える国会議員が中江氏の

 手先となって動いていました。

  いわゆる井戸塀(政界に乗り出して私財を失い、井戸と塀しか残

 らない)政治家などいるはずもなく、表向きは立派なことを言って

 はいても、こと現ナマともなると眼の色が変わってしまう人達を間

 近に見ることができました。



  中江氏の縁で知り合った人達の中でも特に私に強いインパクトを

 与えたのは、証券外務員のK.Y氏でした。

  K.Y氏は出会った当時40歳の前半で、エネルギーの塊のよう

 な人物でした。K.Y氏は株の世界ではかなり名が通っており、相

 方であるK.G氏と組んで相場を張っていましたので、株式市場で

 は「KK軍団」と畏敬の念を込めて呼ばれていました。



  彼はまた、月に一億円程の稼ぎがあり、日本一の給料取りの異名

 も持っていました。身長、体重は、それぞれ180cm、90kg

 を超える堂々たる体躯の持ち主で、まさに偉丈夫という名がピッタ

 リの人物でした。オットセイよりは大きい、トドといったところで

 しょう。

  8人の女性に子供を産ませ、それぞれに一軒家を与え、月に50

 万円の生活費を渡している、-初対面の時の話題からして誠に破天

 荒なものでした。5人や10人の女性と付き合っている人は、さほ

 ど珍しくもないのですが、8人全部に家を与え、子供まで生ませ、

 当時としては少なからぬ生活費を渡しているのですから、脱帽する

 ほかありませんでした。

  一人の女性だけでも息切れがし、持て余してしまう私のような普

 通の男には、K.Y氏はまさに神様のように思えましたね。子供ま

 で生ませた8人の女性をキチッとコントロールしていくことは、金

 さえあればできるというものではなく、男の器量が不可欠なのでしょ

 う。



  一日1000mの水泳をし、サウナに入り、牛の生肉をしっかり

 食って、毎日8人の女性の家にかわるがわる行き、一人ずつ相手に

 している、-これが体調と仕事を維持する秘訣であると淡々と言っ

 てのけたのには、ひたすら御説拝聴とばかりに聞き入るほかありま

 せんでした。

  最近久しぶりに、K.Y氏と東京で飯を食い一杯やったのですが、

 とても60歳の後半の人物とは思えませんでした。今でも一日にプー

 ルで1000m泳ぎ、牛の生肉を必ず食べているそうです。ただ、

 女性に関する感想が若い頃とは少し違っていました、-



 “女は年をとると、グチとシワが多くなる。”



  K.Y氏だからこそ、このような言葉が生々と躍動するのでしょ

 うね。



  K.Y氏は偉丈夫であると同時に快男児であり、まさに小説の中

 から抜け出してきたような人物でした。事実、何人かの作家が彼に

 興味を抱き、彼をモデルとした小説をものにしています。



「清水一行とか黒岩重吾なんかが、急に親しそうに近づいてきて、オ

 レにメシを食わせたり、飲ませたりするんだよね。ヤバイ筋の連中

 ではないんで、オレもいい気になって飲んだり食ったりしてたんだ

 よ。後で気が付いたんだが、オレのことをダシにしていくつか作品

 を書き上げて、しっかり元をとっていたようだね。一つの作品など

 映画にもなって、田宮二郎がオレの役をやっていたよ。」



  豪快な愛すべき人物であり、女性のみならず男性をも引きつけて

 やまないフェロモンの持主ではあるものの、かつての田宮二郎ほど

 の二枚目ではないようです。



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 仲畑流万能川柳より。



   “目に浮かぶ0を数える橋本氏” -船橋、異語僧



(日本歯科医師会から1億円の裏献金を小切手で受取ったと報じられ

 た橋本龍太郎氏が、記者団の質問責めにあって、苦虫をかみつぶし

 たような顔をして発した一言、-“記憶にありません”)



 ついでにもう一句。



   “さて次に記憶失う議員誰” -東松山、きみちゃん



      (二句共に、毎日新聞:平成16年8月23日号より)

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