空海と虫麻呂 -その5

 虫麻呂の橋の上の乙女と、空海の住吉の海女、こべの尼僧 ― 。

 これらの女性は虫麻呂と空海の想念上の存在であるとすれば勿論ですが、仮に現実の存在であったとしても、2人の手には届かない存在であったのでしょう。



 奈良・平安時代、知識階級に愛読された作品の一つに「遊仙窟」があります。

 唐代の小説で、一人の男が路に迷って神仙の窟に入り、仙女の歓待を受けるという、いわば桃源郷の物語です。中国では早くに散逸し、日本にのみ残された作品で、万葉集をはじめてとして日本の文学に大きな影響を与えたとされています。

 この小説は、当時四書五経等の勉学の合間の息抜きとしてもてはやされたようで、万葉集では虫麻呂をはじめとして、大伴旅人、大伴家持、山上憶良等が、それぞれの作品の中に「遊仙窟」の痕跡を色濃く残しています。



 平安初期のトップインテリであった空海も例外ではありませんでした。「三教指帰」の中に「遊仙窟」の影響が随所に見受けられるようです。

 空海は仏法を学ぶ以前に、儒教と道教とを学んでいます。道教は神仙思想といわれており、仙人仙女がでてきますので、この関連から「遊仙窟」を手にしたのでしょう。



 虫麻呂は、理想的な女性、あるいは理想的な男女を唱いました。

 先にあげた

 ・橋上の乙女(※巻9、1742番)

をはじめ、

 ・珠名娘子(たまなのをとめ)(※巻9、1738番)

 ・真間の手児名(ままのてこな)(※巻9、1807番)

 ・菟原処女(うなひをとめ)(※巻9、1809番)

等があります。



 空海と虫麻呂は、生きた時代が70年ほど違い、空海は書を極め、仏法を極めた聖人であり、虫麻呂は下級官僚にして、きらびやかな歌を万葉に残し、華麗な四六駢儷体を常陸国風土記に残したと言われています。

 全く異なった人生を生きた二人ではありますが共通するものがありました。



 一つは、女性に対する憧憬であり、二人にとっては現実には達成できなかったようです。

 二つは、漢詩文に対する深い造詣であり、二人とも四六駢儷体を自家薬籠中の物にしていました。

 三つは、二人とも艶事小説である「遊仙窟」を愛読していました。

 空海が一時的ではあっても「遊仙窟」に沈潜し、男性としての業に捉われた事実によって、空海が虫麻呂とオーバーラップし、私にとって身近な存在に思えるようになったのです。

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