冤罪を創る人々vol.22

2004年08月17日 第22号 発行部数:230部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-



    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。

    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。

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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ

 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント

http://www.mz-style.com/



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●(第六章)権力としての検察 ― 暴力装置の実態



1.「正義の砦」としての検察 ― その虚像と実像 ―

 

一、 日本の検察は、刑事事件の捜査や起訴について、広範かつ強大

 な権限を持っている。

  しかも、起訴するかしないかは検察官の自由裁量にゆだねられて

 いるために、確実に有罪になるだけのものを選んだ上で起訴に持ち

 込む傾向がある。起訴便宜主義といわれるものだ。



二、 そのためであろうか、日本における刑事事件の有罪率は100

 %に近い99.7%という驚異的な数値を示している。

  社会的に許しがたい犯罪に的をしぼって摘発し、起訴しているの

 であろう。なかなか結構なことである。



三、 巨悪に敢然と立ち向う正義の砦として、検察は、社会秩序の維

 持を、いわば担保する役割を担っており、国民の検察に寄せる信頼

 と期待には、絶大なものがある。

  検察は、時の権力者による汚職事件を摘発し、経済社会の暗部を

 暴き、正義のメスをふるってきた。秋霜烈日、 ― 検察官バッジは

 白く輝いていた。

  マスコミはこぞって、検察を社会正義の鑑としてもてはやし、国

 民はそれを素直に受け入れ拍手をもってこたえてきた。



四、 検察官は、該博な知識を有している人格高邁な人達であること

 が求められ、彼らも、休日を返上して、もっぱら国家社会に奉仕す

 ることを使命としてきた。

  誠に立派なことであり、頭の下がる思いである。



五、 狡猾な犯罪者を追いつめる和久峻三の人気シリーズ「赤かぶ検

 事」の世界であり、ピシッとスーツを着こなしてさっそうと刑事法

 廷に立つ、セレブなイメージの女優が演じる2時間ドラマ「検事霧

 島夕子」の世界である。

  テレビのワイドショーには、検察OBの弁護士達が毎日のように、

 日本の良識の代表として、タレント・コメンテーターの役割を演じ

 ている。



六、 検察は、絶大な権力を持っているだけに、その行使には慎重さ

 が求められ、間違った使い方をしないことは当然の前提とされてき

 た。

  検察は、正義の砦であり、彼ら自らが、間違ったことをするなど

 およそ想定されていないし、国民一般もそれを信じてきた。 彼ら

 のすることは、全て正しいことであった。

  検察の無謬神話といわれるものだ。



七、 平成8年1月26日の早朝、私の前に突然逮捕状をもって現わ

 れた検察は、私が漠然と描いていた以上のような検察とは似ても似

 つかないものであった。暴力団そのものが、ヌッと現われた感じで

 あった。

  しかも、マルサが日本刀を振りまわすチンピラ集団であるとする

 ならば、検察は、さしずめ、実弾入りのピストルをつきつけてきた

 広域暴力集団であった。

  マルサは、強制調査をし、検察に告発するだけの権限しかないの

 に対して、検察は、その上に、逮捕し、刑事法廷に引きずりだし、

 断罪する権限を持っているからだ。



八、 以下、松江地方検察庁が広島高等検察庁の事前了解のもとに行っ

 た強制捜査と、それにつづく一連の逮捕・勾留・起訴等がどのよう

 なものであったのか、当時の私の日記等と裁判記録をもとに、具体

 的に記述し、広域暴力集団としての検察の実態を明らかにする。





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●山根治blog (※山根治が日々考えること)

http://consul.mz-style.com/catid/21



「司馬遼太郎さんについて-その8」より続く

http://www.mz-style.com/item/99



  空海のルーツについて、作家は空海=蝦夷説に固執している訳で

 すが、真実その通りであったとするならば、功成り名をとげた55

 才の空海が、自らのルーツをカムフラージュするために、敢えて先

 祖を悪しざまに罵っていることになります。

  ルーツの真偽はともあれ、作家は空海の主要な作品を丹念に読み

 込んでいるようですので、以上のようなことを十分に承知したうえ

 で、「小説」の出発点に「空海=蝦夷」説を据えたのでしょう。



  ミカドによって平定され、人質として都に連行されてきた蝦夷の

 末裔が、平城、嵯峨、淳和、仁明の四代にわたるミカドに対して、

 いわば仏門の師として君臨し、その影響力を巧みに行使したこと、

 つまり、精神世界における王者として、四人のミカドを自在に使い

 こなしたこと、-これは、被征服民の立場からすれば、誠に痛快な

 ことであり、小説に面白さを一段と加えるものでしょう。

  地方豪族の一員で、非征服民の末裔である「佐伯直(さへきのあ

 たひ)」が勉学精進の末、仏法者空海として天下に名をなし、時の

 ミカドとも直接交流し、仏法に帰依せしめたというのです。



  空海以前にも、時のミカドに重用され、大きな影響力を行使した

 仏法者は存在しています。例えば玄ボウとか道鏡などですが、二人

 とも晩年がよくありませんでした。

  玄ボウは、聖武天皇の生母である藤原宮子の四十年にも及ぶ病気

 (おそらく、ウツ病)を快癒せしめたことが機縁となって、聖武王

 朝の中枢にまで入り込んだ僧侶ですし、道鏡は、聖武天皇の娘であ

 る孝謙上皇(後に称徳天皇)の看病をしたことから彼女の寵愛を受

 け、太政大臣禅師に任ぜられ政権を掌中にした僧侶でした。



  二人とも生臭い政治に直接かかわったからでしょうか。君側の奸

 を排除することを旗印にして、玄ボウに対しては、藤原宇合の息子

 である広嗣が乱を起し、道鏡に対しては、藤原武智麻呂の息子であ

 る仲麻呂が乱を起しました。これらの反乱そのものは失敗に終わっ

 ていますが、玄ボウ、道鏡ともに支えになっていた保護者を失うや、

 前者は、筑紫の造観世音寺別当に配流され、後者は下野の造下野国

 薬師寺別当に左遷されています。



  二人に共通しているのは、仏法者の立場で、政権の中にいる女性

 に取り入り、政治そのものに深くかかわったことでした。

  この点、空海は女性に取り入ったり、政治に直接かかわったりし

 ていません。62年の仏法者としての生涯を完結し、1200年後

 の今日まで弘法大師空海上人として、多くの人の讃仰の的となって

 いるのも、故なしとしないでしょう。



  作家が、空海を、生涯不犯ではなかったとしたり、山っ気があり

 世間的才覚にたけており、ずるがしこい人物であったとしているの

 は、人間空海を作家の冷徹な眼が直視した結果であって、仏法者空

 海を少しも傷つけるものではないことは、すでに述べた通りです。

  この春、空海の直筆に接した衝撃に促されるようにして、作家の

 導きをもとに人間空海を辿ってきた三ヶ月間でした。それは又、今

 まで天平5年(出雲国風土記の勘造の年)を中心としたいわゆる万

 葉の時代からなかなか抜け出すことのできなかった私の興味範囲を

 広げる役割を果たしてくれました。

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