042 「正義の砦」としての検察 ― その虚像と実像 ―

***1.「正義の砦」としての検察 ― その虚像と実像 ―

一、 日本の検察は、刑事事件の捜査や起訴について、広範かつ強大な権限を持っている。

 しかも、起訴するかしないかは検察官の自由裁量にゆだねられているために、確実に有罪になるだけのものを選んだ上で起訴に持ち込む傾向がある。起訴便宜主義といわれるものだ。

 

二、 そのためであろうか、日本における刑事事件の有罪率は100%に近い99.7%という驚異的な数値を示している。

 社会的に許しがたい犯罪に的をしぼって摘発し、起訴しているのであろう。なかなか結構なことである。



三、 巨悪に敢然と立ち向う正義の砦として、検察は、社会秩序の維持を、いわば担保する役割を担っており、国民の検察に寄せる信頼と期待には、絶大なものがある。

 検察は、時の権力者による汚職事件を摘発し、経済社会の暗部を暴き、正義のメスをふるってきた。秋霜烈日、 ― 検察官バッジは白く輝いていた。

 マスコミはこぞって、検察を社会正義の鑑としてもてはやし、国民はそれを素直に受け入れ拍手をもってこたえてきた。



四、 検察官は、該博な専門知識を有している人格高邁な人達であることが求められ、彼らも、休日を返上して、もっぱら国家社会に奉仕することを使命としてきた。

 誠に立派なことであり、頭の下がる思いである。



五、 狡猾な犯罪者を追いつめる和久峻三の人気シリーズ「赤かぶ検事」の世界であり、ピシッとスーツを着こなしてさっそうと刑事法廷に立つ、セレブなイメージの女優が演じる2時間ドラマ「検事霧島夕子」の世界である。

 テレビのワイドショーには、検察OBの弁護士達が毎日のように、日本の良識の代表のような顔をして、タレント・コメンテーターの役割を演じている。



六、 検察は、絶大な権力を持っているだけに、その行使には慎重さが求められ、間違った使い方をしないことは当然の前提とされてきた。

 検察は、正義の砦であり、彼ら自らが、間違ったことをするなどおよそ想定されていないし、国民一般もそれを信じてきた。 彼らのすることは、全て正しいことであった。

 検察の無謬神話といわれるものだ。



七、 平成8年1月26日の早朝、私の前に突然逮捕状をもって現われた検察は、私が漠然と描いていた以上のような検察とは似ても似つかないものであった。暴力団そのものが、ヌッと現われた感じであった。

 しかも、マルサが日本刀を振りまわすチンピラ集団であるとするならば、検察は、さしずめ、実弾入りのピストルをつきつけてきた広域暴力集団であった。

 マルサは、強制調査をし、検察に告発するだけの権限しかないのに対して、検察は、その上に、逮捕し、刑事法廷に引きずりだし、断罪する権限を持っているからだ。



八、 以下、松江地方検察庁が広島高等検察庁の事前了解のもとに行った強制捜査と、それにつづく一連の逮捕・勾留・起訴等がどのようなものであったのか、当時の私の日記等と裁判記録をもとに、具体的に記述し、広域暴力集団としての検察の実態を明らかにする。

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