2009年

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検証!! 『ホリエモンの錬金術』-号外

 堀江貴文氏の虚言癖は、本来の性格によるだけでなく、どうも日本語の読解能力がいささか欠けていることにも原因があるようです。  たとえば、私がゴマのハエと言ったのをとらえて、虫のハエと思ったらしく、『ハエ呼ばわりされるのは気持ちのよいものではないですが。つか、普通知らない人たちに向かって、どんだけむかついたからといって「ハエ」はないと思いますけどね。。。自分や自分の家族が「ハエ」呼ばわりされたら、嫌 […]

検証!! 『ホリエモンの錬金術』-2

***(2)論点の整理-2つの虚言  堀江氏がブログで何を自白しているのか、語るに落ちるとはどういうことか、この事実を検証する前に、彼が語っている言い分について整理をしておく必要があります。堀江氏のいくつかの著書がそうであったように、この人物は論理性が相当以上に欠けているだけでなく、敢えて間違ったことを喋ったり書いたりする習性(これを虚言癖といいます)があって、読者をミス・リードするところがあるか […]

検証!! 『ホリエモンの錬金術』 -1

***(1)はじめに  ホリエモンこと堀江貴文氏が、私のブログ記事は、“嘘八百のオンパレード”であるとして、自身のブログで私の批判を開始しました。私が4年前に公表した記事を、何故今更騒ぎ立てるのかといった素朴な疑問が湧くのですが、“弁護団とも相談のうえ、なんらかの対策をとるつもりである。このブログを読んでいたら、該当記事を即刻削除したほうが良いだろう。”(ホリエモンの錬金術なんていう下らないサイト […]

100年に1度のチャンス -31

 情報という宝の山がほとんど手つかずで放置されているのは、何も企業情報だけではありません。公共機関が作成して垂れ流している、おびただしい量の情報も同様です。しかも、企業情報の代表格である有価証券報告書とは異なり、たとえいかがわしい情報であってもインチキの仕放題、チェックするところもなければ、インチキがバレても誰も罰せられることがありません。  「粉飾された2兆円」は、国交省が行っている費用対効果の […]

100年に1度のチャンス -30

 前回述べましたように、全世界が持っている財産の中でも知的財産だけは先陣を切って、全世界の人達の共有の財産になろうとしています。本格的なWeb時代が到来し、開発利益を一人占めする時代が終わりつつあるということです。その先鞭(せんべん)をつけたのは、リナックスであり、グーグルであり、ウィキペディアでした。  Web時代の中核をなすのはインターネットであり、この意味からインターネットは知的財産のインフ […]

松江讃歌

 やっとお出ましホリエモン、お伴引きつれ声高(こわだか)に、小人・売名・屑野郎、ナンジャモンジャと罵詈雑言(ばりぞうごん)、4年前ほどキツクはないが、ただ只管(ひたすら)に謝れと、ワイノワイノと強談判(こわだんぱん)、こりゃまた面妖ご無体な、ウヘーとばかり恐れ入る、お人好しでもあるまいに、恐れ入谷の鐘の音、音に聞えた田舎者、伊達(だて)に田舎にいやしない、知らぬ顔の半兵衛を、きめ込むつもりでいたも […]

100年に1度のチャンス -29

 好むと好まざるとに拘らず、私達は、情報のカオス(混沌とした状態)の中に投げ込まれています。五里霧中(深い霧が五里四方にたちこめて、全く方角が分からないような状態に陥ること、-新明解国語辞典)の状況と言ってもいいかも知れません。  このような状況にあって私達はどのようにしたらいいのでしょうか。膨大な量の情報という深い霧の中をあてどもなくさ迷い、いきあたりばったりに情報を利用し、情報に翻弄(ほんろう […]

100年に1度のチャンス -28

 昨年9月のリーマン・ブラザーズの破綻の後ほどなく、グリーンスパン前FRB議長の発した「100年に1度の危機」という無責任な言葉が一人歩きをして、あっという間に世界中が危機意識一色になってしまいました。マンガおたくで知られる、どこかの国の宰相も、なんだかの一つ覚えのように、ことあるごとにこのフレーズを口にする始末です。考えてみれば、グリーンスパン氏はアメリカの金融政策の中心にいた人物の一人です。つ […]

100年に1度のチャンス -27

 前回述べた悪しき収奪の思想は、これまで一部日本社会の底辺にくすぶってはいたものの、常に日陰の存在で、決して表に出ることはありませんでした。  ところが、株式市場を舞台にして破廉恥な行為を平然として敢行するだけでなく、得々として金の亡者の屁理屈を吹聴してはばからない、異形の人物が現れてきました。ホリエモンこと堀江貴文という若者です。どのようなことをしようとも、お金さえ儲かればよい、稼ぐが勝ちだ、女 […]

100年に1度のチャンス -26

 GDPにせよ、経済成長率にせよ、その実態を直視し、かなりいいかげんなシロモノであることが分かれば、これらの数値に拘(こだわ)るのが空しく思えてきます。だとすれば原点に立ち帰って、経済とは何か、人々の暮し向きを豊かにする経済とは何か、改めて問い直す必要があるかもしれません。あるいは、国家社会の目標とすべき経済のあり方とは何か、改めて問い直すことが必要であると言ってもいいでしょう。このような根本的な […]

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