158 続・いじめの構図 -2

****その2)

これには実は伏線があった。昨年の5月の連休明けから3ヶ月にわたって、私に対して税理士法違反の捜査が国税当局によって行なわれていたのである。いわゆるニセ税理士の摘発だ。大木洋氏をはじめとする国税局OB達の意をくんで、現職の国税局職員たちが大挙して私の摘発に乗り出したのである。私の息の根を止めるためだ。5月の連休明けといえば、3年の執行猶予期間が満了する5ヶ月前のことである。

私は、平成15年10月に税理士登録が抹消されると直ちに、知り合いのK公認会計士が主宰する税理士法人に私が従来行なっていた税理士業務の全てを委譲し、自らは経営コンサルタント業務に専念することにした。執行猶予中は、たとえば交通事故など、どんな些細な事件を起こしても執行猶予が取り消され、収監されるおそれがあるからだ。ましてや、私に対する逆恨みを持っている、大木洋氏とか永田嘉輝氏のような国税局OBが、ウの目タカの目で私に狙いをつけ、懲役刑が用意されている税理士法違反で告発しようと手ぐすねひいて待ち構えている。私は慎重の上にも慎重を期し、全ての税理士業務を税理士法人に任せて、税務には一切タッチしないように用心していたのである。

というより、謹慎期間とも言うべき執行猶予の間は、税理士業務などやっている暇がないほど多忙であり、充実した期間であったと言ったほうがいいかもしれない。確かにこの3年間は、私の60年余りの人生の中で最も実りある、豊かな期間であった。結果、望外に多くのものを得ることができた。
その中の最大のものは、“山根治blog”の開設である。振り返ってみれば、自分でも驚くほどのボリュームの文章を一字一字紡いでいた。当初の軽い思惑をはるかに超えて、思ってもみなかった大きな反響があり、このブログを縁に秀れた人々との新たな出会いがあった。更にはじっくりと考えながら書き続けることによって、私の中に新しいアイデアが次から次へと生まれてきた。それは、これまでに味わったことのない喜びを私にもたらし、新しい可能性を示唆した。税務から全く離れ、税務当局とのわずらわしい折衝から解放されたことが幸いしたのかもしれない。

また、かねてから考えていた古文書の勉強にも没頭することができた。2年間、島根大学公開授業の聴講生として授業に参加し、若い学生諸君と机を並べた。相良英輔教授の懇切丁寧な指導のおかげで、古文書がなんとか読めるまでになり、日本の歴史がより身近なものになってきた。
古文書のテキストは合わせて5冊書写することができたし、平成8年に発見された松尾芭蕉自筆本奥の細道の書写を行ない、不世出の俳聖の息吹に直接触れることもできた。このことについては「松尾芭蕉と夢紀行」で既に述べたところである。
足利尊氏を賛美する異色の歴史物語「梅松論(ばいしょうろん)」については、半年にわたって島根大学に通い、その天理本の解読を、福田景道教授の指導のもとで行なった。ほれぼれする書体の京大本については、福田教授の所蔵する複写本を借り受けてコピーし、自習として、一字一句ノートに書写をし、いくつかの辞典とか参考書をひっくり返して味読した。14世紀中頃に成立したとされている「梅松論」を、時間をかけて徹底的に読み込んだおかげで、すんなりと「太平記」に進むことができた。40年以上前の学生時代にタイムスリップした思いであった。「梅松論」の講義を受けていたのは、まさに国税当局が私を摘発すべく捜査している最中であり、私は学習に没頭することによって精神的に救われた。
更には、上野の博物館で弘法大師空海の直筆に接して身震いするほどの感動を覚え、それに導かれるようにいくつかの空海の著作に進んだ(「空海と虫麻呂」「司馬遼太郎と空海」参照のこと)。空海を縁として、これまたかねてからじっくりと腰をすえて取り組もうと考えていた法華経に向った。岩波文庫版の法華経をノートにとりながら1ト月かけて読み終えた。仏教の経典というより哲学書に接した思いであり、大学3年の夏、信州高遠の学生村にこもって、カントの岩波文庫版純粋理性批判と汗だくになって格闘した想い出と重なり、久しぶりに脳が煮えかえる思いを経験することができた。

このように、神経をすり減らす税理士業務から完全に離れ、通常ではとてもできそうにない“遊び”に没頭していた私に対して、あろうことか税理士法違反の嫌疑を振りかざして国税当局が襲いかかってきたのである。やってもいないことをやったに違いないと決めつけて捜査が始まった。まさに、平成5年に着手し、同8年に私を逮捕せしめた、マルサによるインチキ摘発と同じ構図である。犯罪のデッチ上げが現職の公務員達によって再び行なわれた。国税局という暴力装置がまたしても犯罪集団と化し、牙をむいてきたのである。
税理士法人の本部がある東京、支部がある岡山と松江において、総勢20人以上の国税局と税務署の職員が私を告発するために一斉に事情聴取を始めた。個人的かつ組織としての遺恨を晴らすために、国家組織を動員し、関与していた複数の税理士等に対して恫喝行為を行ない、供述調書の捏造まで行なって私を告発し、逮捕に持ち込もうとしたのである。

広島国税局調査査察部長を最後に退官し、現在は広島で税理士をやっている大木洋氏の思惑を忖度(そんたく)して、松江在住の国税局OBのY税理士が現職の公務員と共にインチキゲームに参加した。
主要な役割を演じた現職の公務員は次の4名である。敢えて実名を記す。
+坂本昭雄(広島国税局:税理士監理官)
+小川正義(広島東税務署:税理士専門官)
+小川裕章(松江税務署:個人課税第二部門統括調査官)
+黒目啓治(大東税務署:総務課長)
ちなみに坂本氏は、大木氏が広島国税局調査査察部長であったときの、同局総務部総務課長補佐であり、小川裕章氏は、同局調査査察部査察第二部門の主査であり、黒目氏は、同局調査査察部査察第二部門の総括主査であった。中でも、黒目氏は、私の逮捕の発端となった、平成5年9月29日の違法なガサ入れに参加した一人であった。私が取引をしていた証券会社のN部長をおどしあげ、部長をして「ヤクザのような若造」と言わしめた人物である。また小川裕章氏は、3年前ある会合の場で私をあからさまに侮辱し、『冤罪を創る人々』を実名公表に切り替えさせた張本人である(”実名公表について”参照のこと)。
国税当局による違法な捜査が開始されてからしばらくして、ホームページで公開していた「冤罪を創る人々」とそれに関連する記事の公開を一時的に中断した。このたびとりあえず、大木洋氏と小川裕章氏についての関連記事に限って、再度公開することにする。以下のサイトである。
実名公表について
TKC と大木洋氏 -その1
TKC と大木洋氏 -その2

尚、私の冤罪事件については、週刊ダイヤモンド誌2004/10/30「特集 丸ごと一冊 図解 節税入門」で、『冤罪だった“脱税日本一”国家権力との10年間の死闘』と題して簡潔に紹介されている。

週刊ダイヤモンド 2004/10/25発売号 (10/30号)
http://www.fujisan.co.jp/Product/5771/b/40644/

 

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