152 いじめの構図 -1

***10.いじめの構図

****その1)

このところ、いじめ問題がにぎやかなことである。多くの子供達が、いじめられたことを苦にして自ら死を選んでいる。中には自殺の予告を文部科学大臣とか教育委員会に手紙で訴えたりする者もいる。

いじめは、子供社会だけのものではない。陰湿な村八分、組織内におけるパワハラ(パワー・ハラスメント。立場の上の者が下の者に対していじわるをすること)など、昔からあったことで、今に始まったものではない。菅原道真公の大宰府への左遷とか、近くは、浅野内匠頭の江戸城松の廊下における刃傷事件など、数え上がればきりがない。

菅公にせよ内匠頭にせよ、一種の勢力争い、あるいは権力闘争の側面をも持っているが、いずれにせよ、敗者、つまりいじめられた者には怨念が残る。
菅公の怨念は藤原一族に祟り神となって襲いかかり、内匠頭の怨念は吉良上野介を死に至らしめた。
10年前に経験した塀の中の生活は、いじめ、パワハラのオンパレードであった。もちろんいじめられるのは被告人である私であり、いじめるのは看守をはじめとする官である。

私は子供の頃から、いじめるのも、いじめられるのも嫌いであった。但し、自分がいじめられた場合は別である。不思議なエネルギーが湧いてきて、いじめ状態を直ちに解消させ、その上でいじめた相手に対してしっかりとオトシマエをつけるのが常であった。生まれつきヘソが少々曲っており、もともと聖人君子のタイプではない。素直ではないのである。右の頬をなぐられたら左の頬を向けるどころか、相手の左右の頬に加えて、アッパーカットをお見舞するのである。64歳になった現在でも基本的に変っていない。我ながら、可愛げのないジジイである。
そこで塀の中でのいじめの問題である。逮捕勾留された当初はパニック状態であったので、いじめられていることなど考えるゆとりがなかった。ところが、1日たち2日たってパニック状態が治まってくると、次第に腹が立ってきた。塀の中の処遇が理不尽なのである。

家族から差入された防寒下着を届けてくれない。
1月の下旬、独房の中は暖房がなく、時には氷が張るような寒さだ。じっとしていると寒さで震えが止まらないので、冬山登山用の下着を差し入れてもらった。ところが、私の手許に届けようとしないのである。

「いつになるか分からない。一週間位かかるんじゃないか。」

などと、看守がフザけたことを抜かしている。底冷えのする独房に放っておかれたら、逮捕時にひいていた風邪をこじらせて肺炎にでもなりかねない。私は命の危機を真剣に考えた。こうなると、私の中のアドレナリンが全開となる。理不尽な状態を解消するために、考えうる限りの選択肢の検討が始まる。いわば、ゲームの開始である。
塀の中はシャバとは違い、いじわるをする官に対して直接文句をつけて抗議をすることはできない。バカヤロー、オタンコナス、アンポンタンといった、私の常套句が使えないのである。使ったが最後、塀の中の規則に従って懲罰が待っているからだ。不自由な生活が、更に不自由になったらたまったものではない。
そこでまず思いついたのが主任弁護人に頼むことであった。電報を打って面会に来てもらい、事情を話したところ、30分もしないうちに松江刑務所の総務課長がおっとり刀で私の房まですっ飛んできた。

「弁護士の先生とは日ごろ親しくしている。私の責任で今日中に入房できるように手配します。」

夕方、暖かい下着類が入ってきた。直ちに着替えをしたところ、身体の震えが止まり、ポカポカと暖まってきた。同時に入房した筆記用具とノート、書籍。ものごころついて以来初めて、本を読むことのできない苦しみ、書き記すことのできない苦痛を味わい、寒さでブルブル震えていただけに、地獄から天国に移ったことを肌身にしみて体感し、この上ない幸せな気持になったものである。

 

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