129 断髪 -その1

***3.断髪

****1)その1

勾留中、希望者には散髪が施された。一ヶ月に一度位であったろうか、担当看守が散髪の希望を確認した上で時間配分をして、心得のある受刑者に一人宛髪を切らせるのである。

私は逮捕された当時風邪をひいており、久しく床屋に行っていなかった。そのため髪の毛は相当以上に繁茂しており、かなり見苦しい状態であった。
逮捕の2日位前から、NHKが私の自宅に向けてひそかにTVカメラを向けて、私の影像を撮ろうとしていたことは「2.強制捜査 ― ガサ入れと逮捕勾留 (1) 逮捕直前」で記した通りである。
保釈後、隠し撮りされたTV画面をビデオで見たところ、手入れがなされていないボサボサ髪の私が大きな白いマスクをして自宅の玄関に入るところであった。1月の末で寒かったことに加えて、風邪をひいていたので、毛糸のセーターを二枚着込んだ上に厚手の皮のコートを着ていた。

この皮コートは30年程前に半額に値切って購入して以来、冬になると愛用しているものだ。羊の皮で、皮が表に、毛が裏になっている実用本位のものであり、これを着て、長靴をはいていれば、どんな寒い日であろうとも粉雪が吹きつける松江大橋を平気で歩いて渡ることができるのである。
およそセンスとかファッションなどとは無縁のシロモノで、厚着の上にこの毛皮を着て歩いている私を評して、口の悪い友人が松江の街をヘンな熊がノシ歩いていると言ったほどである。私はこの評言がいたく気に入り、それ以来この毛皮のコートを「クマゴロー」と命名してもっぱら愛用している。

そのクマゴローを着込んだ私が大きな白マスクをして歩いている。しかも髪の毛は伸び放題だ。更には自分の家に入ろうというのにあたりをキョロキョロ見回している。
テレビ画面で放映されたこの図柄は、まさに挙動不審の極悪犯人そのものである。見方によればNHKが検察と手を取り合って極悪犯人を映像的に創り出している訳で、さもありなんと妙に納得した覚えがある。
このように逮捕当時の私の髪の毛は、芝居に登場する天下の大ドロボー石川五右衛門並みに髪ボウボウの状態であった。ちなみに私の髪の毛は、生れつきのくせ毛で、かなりの天然パーマである。三十数年前、私は京都の監査法人に勤務していたが、そこの上司であるK会計士がモジャモジャ頭の私を称して“ベートーヴェンの曾孫(ひまご)”と言ってくれたことがある。うまいことを言うものだと感心したものの、少しばかりシャクにさわったので、それ以来、顔付きだけはベートーヴェンのように深刻ぶることはやめることにし、現在に至っている。

勾留されてから初めて公衆の面前に引っ張り出されたのは、勾留理由開示の裁判の時である。平成8年2月2日、逮捕されてから8日目のことだ。
髪の毛はボウボウ状態が倍加し、収拾がつかない状況になっていた。寒いから当然のことながらクマゴローを着用している。毛皮の上から腰縄を打たれ、手錠がはめられている。このような格好で法廷に引っ張り出されたのである。
傍目(はため)には、ショボクレた石川五右衛門、あるいはワナにかかったドジな熊の様相を呈していたに違いない。

実は、この裁判の前日、主任看守から散髪の希望を聞かれていた。
私は、拘置所→刑務所→散髪→丸坊主(断髪)と勝手に連想し、散髪を断った。
丸坊主にすることは、いわば罪を認め、反省の意を表するとも受けとめられかねないからであり、一貫して無罪を主張し、冤罪を訴えていた私としては、意地でも髪の毛を切る訳にはいかなかったのである。
ところが散髪-丸坊主というのは私の早合点であった。本人の希望に応じて、丸坊主、3分刈り、スソ刈りの散髪が可能だったのである。勘ぐれば、あるいは主任看守が意地悪をして敢えてスソ刈りもできることを私に告げなかったのかもしれない。
その後、平成8年5月7日の第一回公判には、スソ刈りにしてもらった私は、ワイシャツ、背広を着用し、さっぱりした身なりで出廷した。ドジなクマが、形だけは人間になったのである。

 

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