130 断髪 -その2

****2)その2

散髪は、拘置監の廊下にビニールを敷きその上に椅子を置いて行なわれた。理容師の免許を持っていると思われる受刑者がバリカンとクシだけを用いて散髪をするのである。ハサミとかカミソリなどの刃物を一切用いないのは、刃傷沙汰が起るのを未然に防ぐためであろう。

見張りの看守が一人いて、坊主頭の受刑者が黙々と髪を切ってくれる。被収容者は互いに話をしてはならない決まりになっているからだ。交談(こうだん)の禁止である。
スソ刈りが終ったとき散髪をしてくれた受刑者がポツリと言葉を洩らした。

「うしろのキズが目立たないようにしておきました。」

たしかに私の後頭部の下の方には小さなハゲがある。小さい頃にケガをした跡だ。
そのハゲを気づかってキズと呼び、しかもそれを目立たないようにスソ刈りしたというのである。
私にはその心づかいが何とも嬉しく、思わずこの受刑者に向って最敬礼をし、心から「ありがとうございます。」と感謝の言葉を発したのであった。

断髪といえば、私は20歳、大学の2年生までは坊主頭で通していた。それ以降長髪にしているのであるが、二回だけ坊主頭になったことがある。
一回目は松江市で会計事務所を開設してから10年近く経ったころのことである。事業も順調に軌道に乗り、私は忙しく飛び回っていた。
事業以外でも住民運動に参画し、宍道湖中海淡水化反対運動の急先鋒の一人として、農水省と島根県と松江市に対して、あるいは地元の経済団体に対して、淡水化事業の弊害を多くの仲間達と共に科学的データを手にして説いて回っていたのである。
淡水化事業が見直されることなく強行されるようなことがあれば、宍道湖と中海の2つの汽水湖が汚染されて死の海になることが確実視されており、死の海となり豊かな生活環境が破壊されるならば、経済活動の基盤に図り知れない損害を及ぼすことが懸念されたからである。

私のファミリーに大きな問題が起ったのはこのように公私ともに繁忙な時であった。
2人の息子の一人が、学校仲間と一緒になって事件を起し、私の配偶者が学校に呼び出されたり、警察に呼び出されたりしたのである。
私の父は三歳の時にフィリピンで戦死しているため、私には父親がどのようなものなのか実感する機会がなかった。緊急時の対応についての心構えができていなかったのである。
とりあえず2人の息子と私の3人で話し合いをすることにした。しかし、事件を起した息子はもっぱら首をすくめているばかりであるし、もう一人の息子は、われ関せずとばかりに迷惑そうな顔をしている。
二度と不祥事を起こさせないようにするにはどうしたらよいか、考えあぐねた末に罰として丸坊主にすることを思いついた。色気のつきはじめた男の子にとって最も恥ずかしいことを懲しめのために課すことにしたのである。案の定、丸坊主にすると宣告された息子はポロポロと涙を流し始めた。
一人だけ罰として丸坊主にすれば、思春期にさしかかろうとしているだけに、反省の念が生ずるどころか、かえって被害者意識が大きくなって、逆効果を生むおそれがあった。
そこで連帯責任という理屈をつけて、もう一人の息子と私も同時に断髪することを提案した。
事件の当事者である息子はめそめそと泣いているだけであるし、もう一人の息子は迷惑千万とばかりにフグのようなふくれっ面をしている。
話し合いを中断して、翌日私は床屋へ行って断髪し、丸坊主になった。準備完了とばかりに、学校から帰ってきた息子をとっつかまえて、今度は有無を言わせずに、私がバリカンを使って丸坊主にしてしまった。散髪の間中、涙を流し続けていた息子の姿を今でも鮮明に覚えている。
事件に無関係の息子については、断髪を強制はしなかった。しかし、自ら考えるところがあったであろうか、一週間後に床屋に行き丸坊主になった。親子3人が頭を丸めたのである。
あれから二十年余りが過ぎた現在でも、自発的に丸坊主になった息子は、私が持ち出した連帯責任の意味合いがよく分からないといって折にふれてぼやいている。

二回目は、15年前のことであった。冤罪事件の原因ともなった佐原良夫(仮名)の詐欺行為によって、関係者に多大な心配と迷惑をかけたお詫びを形であらわすために断髪した。
後に冤罪事件の主任弁護人となった中村寿夫弁護士を同伴し、頭を丸めて詫びを入れ、償いを約束した。

二回の断髪について、私のまわりにいる口の悪い連中は、浮気でもバレてカミさんにお仕置されたに違いないと軽口をたたいていたが、当らずとも遠からずなので放っておいた。もっとも私は、浮気くらいでは頭を丸めたりするつもりはない。

 

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