132 安部譲二氏との出会い -その後2

****2)その2

今回の標題についてはなんとも悩ましい思いをした。作家の名前の後に、「氏」とか「さん」をつけるべきか否か悩んだのである。

前回は、「安部譲二との出会い」として、敢えて敬称を付けなかった。勿論、作家を軽んずるが故に敬称を省略した訳ではない。この点、「冤罪を創る人々」において、マルサとか検事の全てを呼び捨てにしたのとは訳が違う。この連中にはどうしても敬称をつける訳にはいかなかったのである。組織をあげて社会正義の名のもとに犯罪的行為をし、個人的にもためらうことなく組織的非行に加担し、一かけらの反省もしようとしないが故に、敬意を表することができなかったからだ。

前回私は「作家安部譲二」と記しているが、そもそも作家なる言葉は、文章を書くことを生業(なりわい)としている物書き全てを指すものではない。物書きの中でもほんの一握りの人のみが作家と呼ばれるのにふさわしい。私にとって作家というのは、物書きにおける最高の尊称なのである。私の独断と偏見にもとづいて「作家」なるものを考えてみると ― 。

まず物書きのうち、フリーライターとかジャーナリストはもちろん作家ではない。新聞記者とか編集者なども同様である。たとえ、名文をものにすることで名高い、朝日新聞の「天声人語」氏でも作家とは言えない。文章の達人であることは作家の必要条件ではあっても、十分条件ではない。それだけでは作家と呼ぶわけにはいかないのである。粕取り雑誌に寄稿している常連など、言わずもがなである。
更には世間で当然のごとく使われている”××賞作家”なる言葉も気に入らない。賞を授けただけで「作家」を標榜させるなどとんでもないことだ。作家の粗製濫造である。真の作家というものは、一握りの選考委員の好みとか出版界の思惑などによって生まれるものではない。生まれるべくして生まれるのが作家であり、多くの具眼の読者の支援と歳月による洗礼が必要だ。
中でも特にひどいのが芥川賞作家と称するものだ。あるいは例外的な存在があるかもしれないが、総じて作家のレベルに達しているとは思われないのである。一人よがりの作品が横行し、まともな日本語がないがしろにされているとしか思えない。芥川賞作家と聞いただけでアレルギー反応を起こし、その作品は私にとっていわば路傍の石と化すことは先に述べた通りだ(※「安部譲二との出会い」を参照)。
あるいはまた、自らのプライバシーをやたらと売り物にしたり、他人のアラ捜しをしたりしている物書きがいる。私生活をネタにして、売らんかなの作品を書いている連中だ。どのように、みずから変った体験をし、あるいは他人のプライバシーに踏み込み、それをもとに作品に仕上げてみたところで、直ちに作家になどなれる訳がないのである。

安部譲二氏の場合はどうか。多彩な職歴を持ち、氏自らの言葉によれば”極道の世界”に長い間身を寄せていたところなど、並大抵の経験ではない。
たしかに、安部氏を作家として世に送り出した「塀の中の懲りない面々」をはじめ多くの作品は、氏の尋常ならざる体験をベースにしたものである。しかし、安部氏と同じような体験をした人であれば、誰でもあのような作品を生み出せるであろうか。生み出せる訳がない。当然のことである。
あるいはこうも言えようか。極道が作家になったのではない、作家がたまたま回り道をして極道の世界に足を踏み入れていたということだ。逆に考えてみるのである。

あるいは例え話で考えてみようか。
仮に、東大生が詐欺行為をしたとしよう。マスコミはきまって「あの天下の東大生が詐欺をした!!」とかいって大騒ぎするに違いない。エリート中のエリートであると一般に思われている東大生が、よりによって破廉恥な詐欺行為をしたと考えるならば、たしかにニュース・バリューが生じ、話題にもなるであろう。
ところが、東大生が詐欺をしたとは考えないで、逆に詐欺師がたまたま東大にもぐり込んでいたと考えるとしたらどうであろうか。現在の入学試験が単なるペーパーテストによるもので、人格識見を問うものではないことからすれば、このように考えた方が、より現実に即しているのではないか。昨今、各分野で怪しげな東大卒が跳梁し、世間を騒がせているのは周知の事実である。
このような見方をすれば、必然的に東京大学は立派なエリート校とは必ずしも言えなくなり、そのようなところにもぐり込んでいた詐欺師が、本来のよこしまな能力を発揮しただけということになる。このように、東京大学は超一流校であるという思い込みによる誤った前提が崩れるとすれば、東京大学の中に詐欺師がいたり、盗っ人がいたりしてもなんら驚くようなことではなくなり、面白くもおかしくもないことになる。ニュース・バリューがなくなってしまうのである。

先に、極道が作家になったのではなく、安部氏のようにもともと作家の素質を持っていた人物がたまたま回り道をして極道の世界に入っていたと述べたのも、同じような意味合いからだ。

そこで今回の標題である。今回は敢えて「氏」をつけ、「安部譲二氏との出会い-その後」とした。何故か。
前回までの私と作家との関係は、もっぱら作家の著作物を通してのものであった。個人的な接点は全くなく、数冊の著作を私が勝手に読み込んだ上での一方的なものだ。そこでは作家の名に値する人物として、私は安部氏のほかに三人取り上げている。司馬遼太郎、森鴎外、三島由紀夫の三名である。
当然のことながら三名とも「氏」とか「さん」を付けてはいない。作家として取り上げた時点で私としては心からなる敬意を込めているのであり、個人的な接点が全くないこれらの方々に、馴れ馴れしく「氏」とか「さん」など付けるとすればかえって失礼にあたると考えたからだ。その上、そのようなものをくっつけたりすると、文脈上いかにも座りが悪い。
安部氏をも「安部譲二」と一見して呼び捨てにしているのは、この三名の作家と同列において論じているからであり、他意はない。
ただ文章の後半に至り、私は安部氏への敬意を明確にするため、「安部譲二」という固有名詞の代りに、「作家」という普通名詞に切り換えている。

しかし、今回は状況が異なっている。直接お目にかかったことはないまでも、私の一方的な関係ではなくなっている。
安部氏はネット上で私の名前を知り、わざわざ架電して下さった。私は、氏の肉声を電話を通して直接拝聴しているのである。
その上、署名入りの著書を2冊まで送って下さった。粗品を送らせていただいたところ、律儀にも直筆で礼状まで賜った。その絵葉書には、路上で一匹の三毛猫が、気持よさそうにひっくり返って長々と寝そべっているユーモラスな写真が配されていた。短文ながら、安部氏ならではの端正な日本語が、味わいのある筆づかいで綴られており、ハガキの裏表から安部氏が目の前で大きな口をあけて話しかけてくるような便りであった。
猫大好き人間である私は、しばらくの間幸せな気分にひたることができたのである。

以上のような次第で、私にとって安部氏は単なる作家ではなくなった。私は一愛読者の枠を越えたのである。しかも氏は、私より5つも人生における先輩だ。人生経験の豊かさにおいては余人を寄せつけない。文章の達人であるだけでなく、いわば人生の達人でもある。いくら作品に敬意を払い、作家として遇しているからといって、もはや森鴎外とか三島由紀夫のように敬称抜きにすることができなくなったのである。標題で「安部譲二氏」とし、文中で「安部さん」と言ってみたり、「安部氏」と言ってみたりしているのはそのためだ。
私の気持ちが、作家への敬意から、作家にして人間安部氏への敬愛へと変ったのである。

 

Loading