156 いじめの構図 -5

****その5)

その方法とは何か。情願の内容をそっくりそのまま手紙に書き写すことである。情願そのものは私の指印によって密封されているために官の側としては見ることができない。ところが外部に発信する手紙の場合には事細かな検閲がなされるために、官の側に筒抜けだ。私はこれに目をつけた。いわば、検閲制度を逆手に取ったのである。

このことに思い至ったのは、手紙の書き直しを要求されたことに端を発する。私はもともとやじ馬根性が旺盛で、好奇心の塊(かたまり)である。なにせ拘置所という世界は、想像を絶することのオンパレードだ。見るもの聞くもの、私の好奇心をいたく刺激するのである。このことについては既に、「被勾留者の心得」、「房内の所持品」で詳述したところである。
私はやじ馬根性がしみついていることに加えて、生まれついてのヘソ曲りときている。手紙の大幅な書き直し、あるいは削除を要求され、この要求に応じなければ手紙の発信を差し止めると言い渡されたのである。やむなく黒のボールペンで、ほぼ手紙一枚分に相当する文章を削除した。権力をカサに着た理不尽な要求に渋々ながら従ったものの、腹の虫がおさまらない。なんとかしてオトシマエをつけなければならない。全く同じ文面の手紙を堂々と発信することができないものか、思いをめぐらした。ゲームの開始である。
そこで思い至ったのが情願だ。情願手続きを取って、実際に情願を行ない、その事実を手紙にしたためて発信することを思いついた。

『本日、法務大臣宛に次のような情願を行ないました』

と書き始めて、情願の内容を手紙の中にそっくり書き写したのである。

申立事項

一、 不服とする処置の内容
年月日 平成8年8月××日
施設名、場所 松江刑務所拘置監
『処遇首席(氏名不詳。以下首席という)の意をうけた担当看守によってA氏宛の手紙が不当に検閲され、削除を命じられました。不当かつ違法な検閲であり、承服できません。』

二、 申立の理由
削除を命じられたのは次のような文面でした。

『戸外運動をしているとき、突然刑務所の中庭にどなり声が響きわたりました。ジョギングをしながら何ごとが起ったんだろうと耳を傾けていたところ、運動後の拭身についてもめているようでした。
「拭身中止! 終りだと言っているのに分らんのか!」
「…。」
「何?! まだ洗面器に一杯しか水を使っていないだと! ヤッカマシィー! もう一分を過ぎたんだ、止めないか!」
「…。」
「つべこべ抜かすんじゃネエ!」
「…。」
「コノヤロー、言い返しやがったな! 反抗だ! よし!」
この段階で更に三人ほどの看守が新たに加わり、口々に大声でどなりまくっていました。
「ここをどこだと思ってんだ! シャバじゃねぇんだ。反抗したらどんなことになるのか、分かってんだろうが! 連行だ! 連れていって締めあげよう、クセになる!」
「…。」
「グダグダ抜かすんじゃあねェ! バカヤロー! 懲罰だ!」
この後、連行するガヤガヤという声が、拘置監の方ではなく、管理棟の方に消えていきました。この被告人はその後どうなったのか分かりません。別室で吊し上げられ、供述調書をとられて、懲罰に付された可能性があります。まさにヤクザの出入りを思わせるような汚ない言葉が、中庭を飛びかったひとときでした。』

首席の意を受けた担当看守に、この部分の削除の理由を尋ねたところ、『被勾留者所内生活の心得』の第10(6)カの「施設の見取図や構造を書き加えたり、所内事情について誤解を招くような内容のもの」に該当するから抹消せよ、ということでした。私はその部分を抹消しなければ発信を許さないと言われましたので、仕方なくボールペンで真黒になるまで塗りつぶしましたが、とうてい納得できるものではありませんでした。
この文面がどうして「所内事情について誤解を招くような内容」なのでしょうか。私は当所に8ヶ月間勾留されています。この間、私自身に対して首席をはじめ多くの看守から浴びせられた罵詈雑言は、これ以上のものがありました。
バカヤロー、コノヤロー、ナメルンジャアネエ、フザケンジャネエ、シャバジャネエンダなど、当刑務所拘置監ではごくあたりまえの日常の言葉ですし、私が中庭で運動中に耳にしたことは、看守達が常日頃頻繁に使っている言葉が使われていただけのことであり、私が耳にした通りのことを手紙に書いたとしても、一体どのような誤解が生ずるというのでしょうか。現在の松江刑務所の生の姿を自らの経験に即して手紙に託すことが、何故「誤解を招くような内容」であると断定され、削除の対象とされなければならないのでしょうか。
現場の責任者である首席自らが、暴力団顔まけの顔つきで、これまた暴力団顔まけの聞くに耐えない汚ない言葉を頻発し、大声で恫喝し、被収容者を虫ケラの如くなぶりものにしている松江刑務所なのですから、その部下である看守達が上記のような、普通の社会ではめったに耳にすることのないような汚ない言葉を当然のこととして被収容者に発しているのです。当刑務所の実態を自らの見聞をもとに、ありのままに描いたことが、どうして検閲による削除の対象となるのでしょうか。不当かつ違法な検閲以外の何ものでもないと思料します。

以上。

この手紙は、検閲によって再度訂正命令がなされることなく、そのまま発信された。

次の日、私は独房から連れ出され、管理棟の一室で首席から直々、説教を受けることになった。

「オレは山根を恫喝したことはないし、虫ケラのようになぶりものにした覚えもない!」

黒ずんだ顔を赤黒くして、頭から湯気を立てている。私が発信した昨日の手紙のことを怒っているのである。

「いやなに、一般世間の言葉で言えば、あのような言い方になるだけのことで、他意はありません。」

そもそも、処遇首席に一発噛ませることが目的であって、他意がないどころではない。他意だらけである。私はおかしさを噛みこらえながら、つとめて冷静に答えた。首席の顔が一段と赤黒くなり、頭からの湯気が一段と増加した。目的の達成である。
291日の勾留中に行った情願の回数は都合5回、その全てについて、保釈が決定した日に取り下げた。ゲームの終了である。

 

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