094 被勾留者の心得

***1.被勾留者の心得

一、 平成8年1月27日、逮捕された翌日の朝のことである。

担当看守が、視察窓ごしに、房内備え付けの2つの冊子をよく読んでおくように申し渡した。

一つは、「被勾留者所内生活の心得」(37頁)であり、

二つは、「被収容者遵守事項」平成6年7月1日達示第4号(9頁)

である。

被勾留者といい、被収容者というのは、日本書紀の言葉によれば、“獄中囚”(ひとやのなかのとらへびと) ― 孝徳紀大化二年三月条 ― のことである。

私は、獄(ひとや)にとらわれた囚(とらへびと)であり、看守は、獄卒(ひとやつかひ)であった。このような古い時代の言葉が、生々しい現実味を帯びて迫ってくる世界がここにはあった。

二、 手許にまだ一冊の本も届いていないし、その上、時間は持て余すほどあった。早速読んでみた。

面白い。第2次大戦前ではなく、戦後の、しかも50年も経っている日本において、このようなシロモノが現実に存在しているのは、正直いって新鮮な驚きであった。
前日のハミガキ粉といい、荒石けん(アルカリ分を多く含んだ洗たく用の固形石けん)といい、現在でも、このような物があったのかと驚いていた矢先に、またしてもといった感じであった。

三、 余りに面白いし、珍品であるので、読むだけではもったいないと思い、暇にまかせて全部書き写すことにした。なにせ、時間は腐るほどある。
ところが、全部ノートに書き写したところで、問題が起こった。
ノートは、一週間に一度は房内から引きあげられ、入念な検閲を受けてから、再び手許に帰ってくるきまりになっていた。そのノート検査に引っかかったのである。
看守長が担当看守と共にやってきて、検視窓ごしに私にいきなりカミナリを落とした。

看守長:「なんでこんなものを書き写すんだ。直ちに削除しろ。ノートを破れ。バカヤロー!!」

大変な剣幕であった。所内の処遇が外部に漏れることに、異常なまでの神経を使っているようである。

山根:「法務省の達示書を部外秘にしなければならない理由はないはずです。余りに珍しいことが書いてあるものですから、記念にと思って書いたものです。多くの時間をかけて書き写していますので、自分で消したり破ったりするには忍び難いものがあります。
どうしてもいけないというのであれば、あなた方の職権で抹消して下さい。」

看守長は窓の外の廊下で、しばらくブツクサ文句を言っていたが、結局抹消されることはなかった。

四、 以下、この珍品ともいうべき冊子の中で使われている言葉で、特殊なもの、あるいは、特別の意味が付けられているものを適宜拾い出してみることとする。
+願(がん)せん=いろいろな願い出をするときに使用する用紙のこと。
+官物(かんぶつ)=施設の所有にかかる物品(施設から貸与されえているもの)。
+私物(しぶつ)=個人の所有にかかる物品。
+自弁(じべん)=差し入れを受けた物、領置の物あるいは自己の領置金等で購入した物を施設内で使用すること。
+拭身(しきしん)=身体をタオルなどで拭くこと。
+検身(けんしん)=身体に不正物品の所持がないか、検査を受けること。
+領置(りょうち)=被収容者の金品を監獄法に基づき、施設において強制的に保管すること。
+仮出(かりだし)=領置している物品を許可を得て所内(房内)で使用すること。
+宅下(たくさげ)=領置している物品を許可を得て外部の特定の人に対して郵送又は施設(面会時等)において交付すること。
+午睡(ごすい)時間=昼食後、所定の方法により横臥(昼寝)を許可した時間。
+休庁日(きゅうちょうび)=土曜日、日曜日、国民の祝日及び年末年始の休庁期間その他特に指定した日。
+情願(じょうがん)=自分に対する施設の処置について、法務大臣及び巡閲官に対して書面又は口頭で不服申立てをすること。
+検閲(けんえつ)=発受信する信書の内容を施設が検査すること。
+懲罰(ちょうばつ)=規律違反者に対して科し、反省悔悟させるための制裁のこと。
+訓戒(くんかい)=懲罰事犯より軽度の規律違反者に対して科し、反省を促すもの。
+官本(かんぽん)=施設が備え付けている本。
+私本(しほん)=自弁に係る本。
その他に、交談(こうだん)、洗身(せんしん)、動作、閉房点検、喫食(きっしょく)、糧食(りょうしょく)、横臥(おうが)、指印(しいん)、閲読(えつどく)、金品、房内放送、認書(にんしょ)、図画(とが)、臥具(がぐ)、ズロース、サルマタ、越中ふんどし、配食、空下げ(からさげ)、抗弁、医務、捜検、中腰、かしわ折り、等があった。

今、改めてこれらの特異な語彙を書き出してみると、当時の気持が鮮明に蘇ってくる。
タイムマシーンに乗って明治憲法下の日本に舞い戻ったのか、あるいはまた、一昔前の日本語を繰る人達の住む、日本ではない離れ小島に置き去りにされたような心持ちとでも言えようか。

五、 珍妙な言葉は、もちろん、2つの冊子の中にだけ存在するのではない。日常活動の中で頻繁にとびかっていたのである。
初めのうちは、看守が、願せんだ、仮出しだ、宅下げだと言っているのを、どこかよその国の言葉でも聞くような思いで聴いていたのであるが、だんだん慣れてくると面白いことに、身についてきた。
今では、愛着さえ湧いてきて、私の出雲弁の語彙に加えて時々使わせてもらっている位である。

 

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