引かれ者の小唄 -勾留の日々とその後 [序]

***(序)

引かれ者とは、私が愛用している広辞苑によれば、「捕吏に捕えられ引かれていく者」、「江戸時代、引回しの刑に処せられた者」のことである。

逮捕勾留され、手錠腰縄つきで法廷に引っぱり出される刑事被告人は、さしずめ現代における引かれ者だ。引かれ者としては、引きずり回されてショボクしてばかりもいられない。敢えて肩肘を張ったり、鼻歌の一つも歌いたくなる。負け惜しみである。

引かれ者の小唄という。再び広辞苑によれば、

“引かれ者が捨て鉢になって、わざと平気をよそおい小唄を歌うこと。転じて、負惜しみで強がりを言うこと。”

とある。

私は、平成8年1月26日に松江地検に逮捕され、その後保釈されるまで291日の間、松江刑務所拘置監に収監されていた。(※「冤罪を創る人々」参照)
その間、被告人として松江地方裁判所の刑事法廷に手錠腰縄姿で引っ張り出され、一段と高い所に鎮座している三人の裁判官の裁きを受ける身となった。
ある日突然、一枚の逮捕状によって思ってもみなかった罪を着せられ、身柄を拘束され、塀の中にぶち込まれた私は、定期的に塀の中から法廷に引きずり出されては、公衆の面前でさらし者にされたのである。

それまでの人生において私を精神的に支えていたのは、人としての誇りであり、職業会計人としての矜持であった。
それが一瞬にしてズタズタにされた。人生最大の屈辱を味わうことになったのである。負けず嫌いの私としては、負け惜しみの一つでも口走り、強がってみたくもなろうというものだ。

以下、思いつくままに私の負け惜しみの小唄を書き記し、思いっきり強がってみることにした。題して「引かれ者の小唄」という。
大半が負け惜しみと強がりのオン・パレードであろうが、わずかばかり異質のものが混入するはずだ。この単なる負け惜しみでもなければ強がりでもない、ごく微量の異質なものこそ、ドン底にたたき込まれた私を引っ張り上げ、新たな光を与える役割を果してくれたような気がするのである。

***<追記>
「引かれ者の小唄」は平成17年11月15日から平成18年5月13日まで公開していました。諸事情により公開を中断していましたが、平成18年10月4日をもって執行猶予期間の3年が経過したことを受け、再び公開する運びとなりました。なお、「引かれ者の小唄」の背景については「冤罪を創る人々」をご覧下さい。 (平成18年10月4日 山根治)

 

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