125 看守という名の執事

※「(第五章)勾留の日々」より続く

***1.看守という名の執事

私が逮捕勾留されたのが平成8年1月26日であったから、すでに9年の歳月が経っている。逮捕されてから同年の11月12日までの291日間、私は松江市の郊外にある松江刑務所拘置監に囚われの身となって閉じ込められていた。

自らを総括するために綴った「冤罪を創る人々」をWebサイトでアップし終えた今、改めて想うことは、拘置所で過した日々がなんとも懐かしいということだ。

そのためもあるであろうか、私は気分転換のドライブがてら折にふれて松江刑務所まで行っては往時を偲んでいるのである。
敷地内に入って拘置監まで行き、私が住んでいた独房とか風呂場とかを確かめ、あるいは新米の見本のような若い医者がいた医務室とか、町中ではとうてい開業などできないような未熟な歯科医がいた部屋など、今はどうなっているのかを覗いてみたいのであるが、国の施設であるとはいえ、なにせ特別の建造物であるために思うにまかせない。
そこで、表玄関で記念写真を撮ってみたり、小高い所まで行って刑務所を見下ろして見物しては楽しんでいるのである。

拘置所という所、別荘とはよく言ったもので、考えてみれば、働かなくてもよいばかりか、三食昼寝つきで、毎日洗濯までしてもらえる。多少口うるさくてやかましいことさえガマンすれば、看守という名の執事がいて、それこそ24時間体制で身の回りの世話をつきっきりでしてくれるのである。執事付きの別荘といったところだ。
用事があれば、独房の廊下側のドアについている指示器のボタンを押せばよい。看守の肩書きをもった執事ドノ、なかなかしつけが行き届いているとみえて、指示器の札が廊下側でパカッと上にあがるや、すっ飛んできてくれるのである。それもドタバタと廊下を踏み鳴らしたりはしない。忍者のごとく音もなくヌッと現われるのである。
独房の住人としては、おもむろに用事を言いつけるだけでよい。

「エンピツを削って下さい。」-独房内に小刃とかエンピツ削りがないのである。自傷とか自殺防止のためだ。

「ハエたたきを貸してください。」-無断侵入してきたゴキブリを退治するためである。

「情願用紙を下さい。」-拘置所の処遇に文句をつけるためである。

「房内放送の音を小さくして下さい。」-夜になると決って野球の実況放送が流れていたが、野球にさほどの関心のない私にとっては雑音以外の何ものでもなく、うるさいのである。

「仮出しのお願いがしてある本はまだ持ってきていただけないでしょうか。」-本の差入れが外部からあっても直ちに入房することはなく、願箋に仮出し願を書いて待つのであるが、黙っていると一ヶ月経っても入ってこないことがある。入ってくるまで根気よく言い続けないといつまでも放っておかれるのである。

ところで、看守が独房までやってくるのは、一日にどの位の回数であったろうか。
まず、朝晩の点呼で2回。3食の配食と回収とで6回。自弁品の注文取りに朝1回、自弁品の配達に昼食前に1回。手紙、電報の配達と回収に数回。洗濯物の回収と配達で2回。書籍、新聞の配達と回収に1回。裁判関係の文書の配達。これに、上記のような臨時の用事が一日数回。
更に、一日2回に限定されている一般面会の連れ出しに2回。回数が制限されていない弁護士の面会、検事取調、あるいは裁判所への連れ出し。
このように数え上げてみれば、看守が所要のために独房まで足を運び私と話しをするのは、一日に20回は下らないことになる。
しかも私の場合、手紙とか葉書の数が半端なものではなかったので、担当看守はさぞかし大変な思いをしたことであろう。
入房する手紙類は全て差出人の名前等が記入されたノートによって監理されており、一通一通確認した上で手渡してくれるのである。受領の証として黒スタンプ台に右手の人差し指を押しつけ、指先を黒くしてノートに指印を押捺することが求められた。二日ほどして手紙類が房内から回収され領置される際にも同様に一通一通指印を押すわけで、それを正確に管理する看守の作業量はかなりのものであった。
私の方も結構メンドウくさいのである。入房の時は指印を押すだけでいいが、領置(出房)の時には、願箋に領置願いを書いた上に、看守のノートに一つ一つ指印を押さなければならなかった。
手紙を書くことについては一日2通、1通につき便箋7枚以内(但し、弁護士宛は無制限)とされていたものの、受け取る郵便物に制限はなかったので、多いときには一日20通もの手紙とか葉書が入房していた。接見禁止措置が解かれてから、200日ほどの間、ある友人と、主に万葉集の勉強をしていたためだ。現在私の手許には2,000通を超える手紙と絵ハガキが残されている。
この間私も便箋用紙で1,000枚は超える手紙を書いている。
この拘置所という異空間には、昔懐かしい検閲なるものが存在しており、手紙類は勿論のこと、入出房する全ての書類がチェックされるのである。
私も何回か差し出す手紙の一部を削除するように命ぜられた。拘置所内のことをこまごまと書いたためである。何故か刑務所内とか拘置所内のことは秘密にしておきたいらしく、4回転房した部屋番号とか物の寸法など手紙に書くことは許されなかった。
もっとも私は、ノート検査でも分からないようにして、転房した部屋番号とか測定できる限りのものの寸法を測って記録し出房した。意地というものである。

検閲している連中の反応を確かめるために、何回かお互いに万葉仮名で手紙のやりとりをしたことがあった。その都度、独房から引っ張り出されて厳しい尋問を受けたものである。

「訳の分からないことを書くんじゃない! 手紙は日本語で書く決まりになっているだろうが! こんな暗号のようなもの、書いてはいかん!」
「お言葉ではありますが、これは万葉仮名というものでして、少しばかり古いのですが、れっきとした日本語なんですが。」

私が大真面目にスッとぼけていたのに対して、刑務官達は、ケシカラン、フザケルな、とか何やら喚いていたものの、日本語で書くべしとする検閲の規則に触れるわけではないために、削除とか訂正を命ずることができず、かなりイラついていたようであった。今にして思えばあるいは申し訳ないことをしたのかもしれない。

 

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