149 おぞいもん -1

***9.おぞいもん

****その1)

出雲方言で、「おぞい」あるいは「おぞいもん」という。「恐ろしい、こわい」、「恐ろしいもの、こわいもの」という意味の言葉である。

小さい頃から出雲弁が身体にしみついている私には、標準語で恐ろしいとか怖いとか言われてもどうもピンとこない。怖いという思いが生じてこないのである。「おぞい」と言われてはじめて鳥肌が立ってくる。

私にも人並にいくつか、「おぞいもん」が存在する。その筆頭に位置するのがゴキブリである。出雲弁ではゴキカブリという。試みに広辞苑にあたってみると、ゴキブリはゴキカブリ(御器噛)の転とあるので、昔は他の地方でもゴキカブリと称していたものとみえる。

“体は甚だしく扁平で幅が広く楕円形。多くは褐色や黒褐色で、油に浸ったような光沢がある。元来は熱帯産で、種類が多い。家住性のものは人間や荷物などの移動に伴って広く伝播し、台所などで食品を害するほか、伝染病を媒介する。”(広辞苑)

やっとの思いで書き写したところである。書き進めるにつれて、黒光りするゴキブリがガサゴソと紙の上を這い回る思いがして、文字通り鳥肌が立ってきた。
かつて、何故ゴキブリが「おぞい」のか分析してみたことがある。苦手なゴキブリを克服するためであった。しかし無駄であった。「おぞい」理由が見当らないのである。おそらくは、何かの拍子に私の潜在意識の中にゴキブリが忍び込み、『オゾイもん』だということが刷り込まれたのであろう。

独居房の生活は孤独である。訪れる者は誰もいない。
しかし、一つだけ例外があった。ゴキブリである。もちろん私が好き好んで招き入れたわけではない。許可もなく入ってきては、忍者のごとく、いつの間にか独房の中にいるのである。
書写に没頭し、古代日本のロマンにひたっていたところを、一匹のムシが瞬時にして私を厳しい現実へと連れ戻すのである。こうなったら、落ち着いて座っているどころではない。パニックである。
シャバにいるときには、私は一目散に逃げ出して、助っ人に助けを求めることにしていた。小さいときは母が、結婚してからは配偶者が助っ人の役割をしてくれた。
しかし、鍵のかかった独居房である。逃げようと思っても逃げることができない。もちろんゴキブリを退治してくれる助っ人などいるはずもない。
一度だけ、駄目もとと考えて、担当看守に願い出たことがあった。無駄なことであった。

“ナーニ、ゴキブリは噛み付いたりしないから大丈夫だ。”

こちらとしては、大丈夫どころか、まさに死ぬような思いをしているのに、ノンキなものである。

身の毛のよだつ思いを2~3回してから、はたと思いつき、ゴキブリがどこから入ってくるのか、調べてみた。すると、壁と床の接点、床とトイレの木枠の接点にわずかのスキ間があるのが判った。
早速このスキ間をふさぐことにした。チリ紙を丸めたり折り畳んだりして、ピッタリとふさぐことに成功。
これで安心とばかりホッとした気持でいたところ、以前より随分減ったものの、それでも折りにふれてテキは出没するのである。今に至るも、あのゴキブリ達は一体どこから独房に出入りしていたのか、私には謎である。

 

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