「福沢諭吉の正体」-⑭

 福沢諭吉は、昭和天皇による人間宣言と共に葬り去られるべき人物であった。

 しかし現実にはそうはならなかった。日本の代表的な紙幣である一万円札の肖像画にも用いられるほど日本人を代表する立派な人物とされ、現在に至っている。

 教育者の風上(かざかみ)にも置けない、福沢のようなデマゴークが何故、国民的英雄であるかのように扱われ、日本の顔ともいうべき紙幣を飾っているのか。何故、日本を代表する国語辞典の一つである岩波の「広辞苑」にまで、麗々しく「教育者・思想家」などと書き込まれているのか。



 理由は三つある。

 一つは、福沢諭吉が創設した慶應義塾大学が存在していることだ。この大学、平成20年(2008)に創立150年を迎えた、実質的に日本で一番古い大学である。加えて、創設者・福沢諭吉の虚名をベースにして発展した大学であると称しても過言ではないほど、福沢諭吉と慶應義塾とは離れ難く結びついている。創設者と密接不離の関係にある大学は、日本では慶應義塾を措(お)いて他にはない。私学の雄を自任し、校歌で「陸の王者」と豪語する名門校の実態は、福沢諭吉の虚像の上に築き上げられた砂上の楼閣であった。

 二つは、三田会と称する慶應義塾大学の同窓会の存在だ。現在30万人近くの会員を擁する巨大組織である。もっぱら身内の利害だけで結束し、他を寄せつけない排他的な、いわば秘密結社だ。
 この特異な組織については、島田裕巳著『慶應三田会-組織と全貌』(三修社刊)にその実態が詳しく紹介されている。ただし、実態といっても表向きのものでしかない。虚像である。
 著者の島田裕巳といえば、かつてオウム真理教をヨイショしたことで知られている宗教学者だ。この著書も同様のものと考えてよい。
 本の帯封に

“日本の政財界を動かす巨大組織の実態を検証する!
       -慶應義塾創立150年” 

と銘打って出版されたヨイショ本である。東京大学出身の売文(ばいぶん。(つまらない)小説・評論などを書き、その原稿料・印税などで生活すること。-新明解国語辞典)を生業(なりわい)とする人物によるヨイショ本だ。
 発行部数が確実に見込める出版物の類(たぐい)で、TKCとその創設者・飯塚毅(参照:「誰が小沢一郎を殺すのか?」-⑤「誰が小沢一郎を殺すのか?」-⑥「誰が小沢一郎を殺すのか?」-⑦「誰が小沢一郎を殺すのか?」-⑧「誰が小沢一郎を殺すのか?」-⑨「誰が小沢一郎を殺すのか?」-⑩)をヨイショしている高杉良著『不撓不屈』(新潮社)と同じ類である。

 三つは、福沢諭吉の虚像を創り上げた御用学者の存在だ。東大教授であった丸山眞男である。
 いまから50年前、私の学生時代には私のまわりでも丸山眞男のファンがおり、よく読まれていたようであるが、私には何となく胡散(うさん)臭く不潔な感じがしたために、スルーしていた存在である。
 当時芥川賞作家としてもてはやされていた大江健三郎の本を買い求めて読み始めてみたところ、あまりの悪文に嘔吐を催し、ゴミ箱にたたき込んだのと軌を一にする(「冤罪を創る人々、“安部譲二との出会い”」参照)。
 著者の安川氏は、次のような都留重人の丸山眞男に対する評価を紹介している(前掲書.P.362)。

「丸山君とは日本学士院でも一緒でしたし、「福沢論」を含めて議論したことがありますが、彼は自分自身の名声に負けて本当に正直になれなかったのではないかと思います。」

 私にはこの都留重人の評言だけで十分だ。一橋大学の大学院に在籍していた時、都留重人教授から直接教えを受けた者としてこの人の言葉の重さを知っているだけに、そのまま素直に受け取ることができるのである。

 安川氏は更に、

「保守的な福沢を、なぜ、あの丸山が神話化させたのか。」

と自問し、その答えとして

「永久革命論者と信奉されている丸山の、(女性問題意識に示唆されている)意外に把握されていない本質的な限界・保守性が「保守的な福沢」への共鳴・共感をさせたのではないか。」

と述べ、これを「端的な私の仮説」としている(前掲書.P.362)。

 安川氏の上記の仮説は、丸山眞男の虚名に引きづられてこの人物を買いかぶりすぎた結果ではないか。どうも安川氏の考えすぎのようである。
 むしろ都留重人の言うように、丸山眞男は単に

「自分に正直になれなかった」

だけのことではないか。黒を白と言いつくろって、ゴマかしているだけのことではないか。

そこで私の仮説である。
 福沢諭吉は、天皇は万世一系の現人神(あらひとがみ)であるというフィクションを信じ込み、あるいは信じ込んだふりをして、このフィクションを彼の全ての言動の原点に据えている。
 ところが、第2次大戦直後、昭和天皇自らがこのフィクションを「架空ナル観念」と明言して否定したことから、福沢諭吉の全言動が砂上の楼閣と化してしまった。福沢諭吉が全否定される運命にあったのである。
 戦前に、天皇を神に祭り上げて侵略戦争を押し進めていった中核グループの一つに秘密結社・慶應三田会の連中がいた。この連中のほとんどは、戦争犯罪人としての責任を問われることなく、戦後何ごともなかったかのように、ひきつづき各界の要職につき、口をぬぐい、口をつぐんでいた。
 慶應のシンボルである福沢諭吉が全否定されて困るのはこれら慶應三田会の連中だ。
 ではどうすればいいか。福沢諭吉は間違いではなかった、正しいことを行なった人物であると言い張るしかない。黒を白と偽るのである。
 そこで白羽の矢が立ったのが、当時気鋭の政治学者であった丸山眞男だ。東京大学法学部教授である。「東大話法」(注)を自在に操る本家本元だ。黒を白といいくるめることなど朝メシ前である。
 かくて丸山眞男によって福沢神話が創られた。安川氏が言うところの「丸山諭吉」の誕生である。

 以上が私の仮説である。安川寿之輔氏のご感想を賜りたいものである。

(この項つづく)

(注)東大話法。黒を白と言いくるめるインチキ話法のこと。安富歩東大教授の造語。安富さん、このところ女装にお目覚めのようで、以前のむさ苦しいヒゲを落してスッキリなさっている。いいですね。あのマツコデラックスさえもズッコケさせるほどの本格派。女装はするものの、好きになるのはあくまでも女性とのこと。これまた、いいですね。

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

”なぜ人はキラキラピカピカ好きなのか” 東京、ショウ雅-

 

(毎日新聞、平成26年10月23日付、仲畑流万能川柳より)

(キラキラピカピカが好きなのはカラス。人間が次第にカラスに向って“進化”しているのかも。)

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