司馬遼太郎と空海 -その3
- 2004.07.06
- 山根治blog
「空海の風景」における主人公空海は、日本の古代にたくましく生きた一人の人間として描かれています。後世付加された3000にも及ぶ数多くの空海伝説はことごとく捨象され、できる限り当時の資料にもとづいて、作家の人間空海像が浮かび上がるようになっています。 空海を弘法大師として讃仰し、即身成仏として礼拝の対象としている人々からすれば目をむくような叙述がなされていますので、いくつか取り上げてみます。 […]
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「空海の風景」における主人公空海は、日本の古代にたくましく生きた一人の人間として描かれています。後世付加された3000にも及ぶ数多くの空海伝説はことごとく捨象され、できる限り当時の資料にもとづいて、作家の人間空海像が浮かび上がるようになっています。 空海を弘法大師として讃仰し、即身成仏として礼拝の対象としている人々からすれば目をむくような叙述がなされていますので、いくつか取り上げてみます。 […]
空海24才の時の真筆に接したことは既に述べましたが、その後空海関連の書をいくつか読んでみました。 その中の一つに司馬遼太郎さんの「空海の風景」(中公文庫)がありました。 「空海の風景」は、もともと1973年1月から1975年9月までの足かけ3年の間、中央公論に連載された小説です。作者が50才から53才までの作品で、10年間の準備期間を経て完成したと言われています。 作家の円熟期にさしかかる […]
国民的な作家であった司馬遼太郎さんがお亡くなりになったのは、平成8年2月12日のことでした。行年73歳。 司馬さんの訃報は、当時勾留されていた松江刑務所拘置監の房内放送によって知りました。 私は、司馬さんとは面識もないし、著作をそれほど読んでいたわけでもありません。ただ漠然と「気にかかる人が存在する」位の思いを抱いていたのでした。 平成8年4月2日に差し入れのあった文芸春秋3月号に、たまた […]
「遊仙窟」は、万葉の歌人達に大きな影響を与えたようですが、中でも、のめり込むほどに作品に反映させたのは、大伴旅人でした。 「松浦河(まつらがは)に遊ぶの序」という、旅人による漢文の説明を付された11首の短歌は、神功皇后の伝承を踏まえたフィクションです。 ”是(ここ)に、皇后(きさき)、針を匂(ま)げて、鉤(ち)をつくり、粒(いひぼ)を取りて餌にして、裳(みも)の縷(いと)を抽取(と)りて緡(つ […]
八年前、松江刑務所拘置監に閉じ込められ、無聊を慰めるために、書写と読書に没頭する日々を送っていました。 万葉集、各国の風土記、あるいは懐風藻を書写したり読んだりしていると、「遊仙窟」という作品の名が本文もしくは注釈の中にしばしば出てくることに気付きました。 シャバにいれば、直ちに必要な本を手に入れて読むのですが、塀の中ですから容易にできることではありません。 仮にこの作品が塀の外で入手でき […]
空海の縁によって「遊仙窟」(張文成作、今村与志雄訳。岩波文庫)を読み返してみました。 科挙に合格したエリート張文成が、赴任の途中で、深山幽谷に迷い込み、この世のものとは思えない桃源郷に足を踏み入れるところから物語は始まります。 そこには、十娘(じゅうじょう)という名の仙女が、五嫂(ごそう)という名の兄嫁と数人の侍女と共に暮らしていました。 十娘は16才、五嫂は19才。二人共未亡人で、夫亡き […]
虫麻呂の橋の上の乙女と、空海の住吉の海女、こべの尼僧 ― 。 これらの女性は虫麻呂と空海の想念上の存在であるとすれば勿論ですが、仮に現実の存在であったとしても、2人の手には届かない存在であったのでしょう。 奈良・平安時代、知識階級に愛読された作品の一つに「遊仙窟」があります。 唐代の小説で、一人の男が路に迷って神仙の窟に入り、仙女の歓待を受けるという、いわば桃源郷の物語です。中国では早くに […]
万葉歌番号1742番の歌、― 河内の朱塗りの橋の上を、赤いスカートをはき、青い上衣をつけた乙女が優雅に通っていく、― ここには虫麻呂の乙女に対する憧憬が唱われており、この乙女は決して虫麻呂の現実の世界には入ってくることができないのです。 空海の「三教指帰」巻の下に、”或るときは雲童(うんとう)の娘(をんな)を眄(み)て心懈(たゆ)むで思いを服(つ)け、或るときは滸倍(こべ)の尼(あま)を観て、 […]
高橋虫麻呂は、山部赤人、山上憶良、大伴旅人らと共に、天平時代の歌人で、万葉集に長歌15首、短歌20首、旋頭歌1首、あわせて36首の歌を残しています。 女性のエロスを高らかに歌い上げ、色彩感豊かに言葉を紡いでいく手法は見事というほかありません。 私が291日の間いた独房という空間は、華やかな色のない、いわば単色の世界でした。白い壁、茶色の畳、ステンレスの流し台。色彩的には単調そのものでした。 […]
四六駢儷体は、四六文(しろくぶん)とも言い、広辞苑では、次のように説明されています ― ”漢文の一体。古文と相対するもの。漢魏に源を発し、六朝(りくちょう)から唐に流行。四字及び六字の句を基本として、対句を用いて口調を整え、文辞は華美で典故を繁用するのが特徴。奈良、平安時代の漢文は多くこの風によった。” 今から8年前、平成8年の今頃、私は、無実の罪を着せられて、松江刑務所の拘置監に閉じ込められ […]