空海と虫麻呂 -その3

 高橋虫麻呂は、山部赤人、山上憶良、大伴旅人らと共に、天平時代の歌人で、万葉集に長歌15首、短歌20首、旋頭歌1首、あわせて36首の歌を残しています。

 女性のエロスを高らかに歌い上げ、色彩感豊かに言葉を紡いでいく手法は見事というほかありません。



 私が291日の間いた独房という空間は、華やかな色のない、いわば単色の世界でした。白い壁、茶色の畳、ステンレスの流し台。色彩的には単調そのものでした。

 このような中にあって、虫麻呂は彼が生きた天平の時代を、華麗に唱い上げ、私の想念の世界を彩ってくれました。小さな独居房が、光り輝く空間へと変質し、私の心を豊かに包み込んでくれたのです。



 私が最も好きな歌は次の一首です。”級照(しなて)る 片足羽(かたしは)川の さ丹塗(にぬ)りの 大橋の上ゆ 紅(くれなゐ)の 赤裳裾(あかもすそ)引き 山藍(あゐ)もち 摺(す)れる衣(きぬ)着て ただ独り い渡らす児(こ)は 若草の 夫(つま)かあるらむ 橿(かし)の実の 独りか寝(ぬ)らむ 問はまくの 欲しき我妹(わぎも)が 家の知らなく” (巻九、1742番)

 当時、石橋とか船橋など水面の高さに架けた橋が一般的で、現在普通に見られる高く架けた橋は珍しい存在であったようです。進んだ架橋技術が必要とされたからです。

 この歌の河内(かふち)の大橋は、大橋であることだけでも特別な存在であるのに、その上に、「さ丹塗」、つまり朱塗りの大橋であり、中西進さんは「河内の大橋の名をもって世に著名だったと思われる」と述べています。(中央公論社:「旅に棲む-高橋虫麻呂論」)

 つまり、ここで唱われている河内の大橋は、天平人のいわば観光スポットであり、注目の的であったのでしょう。

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