空海と虫麻呂 -その4

 万葉歌番号1742番の歌、― 河内の朱塗りの橋の上を、赤いスカートをはき、青い上衣をつけた乙女が優雅に通っていく、― ここには虫麻呂の乙女に対する憧憬が唱われており、この乙女は決して虫麻呂の現実の世界には入ってくることができないのです。



 空海の「三教指帰」巻の下に、”或るときは雲童(うんとう)の娘(をんな)を眄(み)て心懈(たゆ)むで思いを服(つ)け、或るときは滸倍(こべ)の尼(あま)を観て、意(こころ)を策(はげま)して厭(いと)い離る。”とあります。

 雲童娘と滸倍尼は「聾瞽指帰」の中で、それぞれ「須美能曳乃宇奈古乎美奈」、「古倍乃阿麻」と空海によって自注されているそうです。

 この2つの言葉の意味するところは、古来いくつかの説があり、定説がないようです。しかし、2人の女性であることだけは確かです。

 また、この2人の女性は、空海その人の実体験として語られているのではなく、空海が、仏法の優越性を説くのに用いた「仮名乞児(かめいこつじ)」なる人物の体験として語られています。

 ただ、この「仮名乞児」は、空海が自らの思想を分かり易く述べるのに用いた、いわば”仮託の人”であり、決して架空の人物ではありません。

 したがって、仮名乞児の体験は、空海自身の実体験と想念の世界とを大きく反映しているものと考えていいでしょう。

 2人の女性を、一人は「須美能曳乃宇奈古乎美奈」、即ち「住吉の海子女」、今一人は「古倍乃阿麻」、即ち「こべ(地名)の尼僧」と考えてみます。

 空海に擬されている仮名乞児は、住吉の海女については「眄(み)て」、こべの尼僧については「観(み)て」、それぞれ「心懈(たゆ)むで思いを服(つ)け」(心がおこたりゆるんで恋慕の情を起し)、「意(こころ)を策(はげま)して厭(いと)い離る」(心を鬼にして邪念をふりきる)のです。

 校注者は、「眄」を「横目をつかう、流し目に見る」と注し、「観」を「じっと見つめる」と注しています。

 ここには青年空海の実体験、あるいは想念の世界における愛欲の葛藤が表象されているようです。

 生身の人間としての空海が、私の前に忽然と現われた思いでした。

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