天の逆手(あまのさかて)-3

 これまでの検討から導くことのできる結論は、「天の逆手の所作は、ごく普通の拍手(かしわで)であり、その意味するところは、日本国の支配権を天孫に譲り与え、自らは身をひくこと」といったところになろうか。

 伴信友は、以上の見解をもとに、伊勢物語96段の「天の逆手」について次のように解釈した。

「按(あんずる)に、こは秋は必ず逢はむと約(ちぎ)りおきつる女の云々せるによりて、男深くいきどおりけれどもせむかたなく、今はその女の心にまかせておのれは想いを絶ちて避(さく)る意もて避手(さかて)うちし趣ときこゆ[のろひをるより以下の文は、しかさかて打ちつつも、女を恨む心のふかきにえたへで、詛(のろ)ひごとを為(す)るさまなり。此ののろひごとは、詛ひ事か、詛ひ言かしりがたし]」(前掲書、P.145)

 上記の[ ]の中の説明は、かなり強引なもので、いささか説得力に欠けている。
 この点、天の逆手(あまのさかて)-1で述べたように、「古代出雲王国が恨みを残して滅亡したという伝承をもとに、「逆手」を借字とは考えず、字義通りに解釈したもの」と考えたほうがより自然であろう。

 「避(さ)く」に関連する事例として、伴信友は4つ取り上げている。
+「事瑕之婢(ことさかのめのこやつこ)」(孝徳紀、大化二年三月条) 「妻(め)の為に、嫌(きら)はれ離(はな)たれし者有りて、特(ひとり)悩(なや)まさるるを慙愧(は)づるに由(よ)りて、強(あながち)に事避(ことさか)の婢(めのこやつこ)とす。」(夫が妻に捨てられたのを恨み、夫の方から離縁したようにみせかけて元妻を婢とした) (前掲書、P.144)
+「避文(さけふみ)」-古事談、「避状(さけふみ)」-東寺蔵、延喜の古文書。「所領を人に譲り与ふる書」のこと。 (前掲書、P.144~P.145)
+「席を譲る時に、坐っていた跡を手で叩く慣習」 「今の世の俗(ならはし)に、我居たる座(くら)を起ちて人を請(ませ)むとするに、居たる跡を手掌(たなひら)もてたたくも、我が座を人に避(さ)け譲る意なり[むかしは手拍ちたるにやあらむ]」 (前掲書、P.144)
+「一本締め」
「商人どち物の価をあらかひて後、つひに買う人の乞ふままに売り与ふるとて、手拍つ事をするも、買う人に避(さ)け与ふる意なり[此の時、買ふ人もそれに和して手拍つなり]」 (前掲書、P.146)

「物いさかひしたる人どち中直りといふ事を為(す)る時に手拍つも、もとはかたきの怒をさけて、それが心にまかせ和(なご)むるかたの人の為(す)るわざなるがごとくなれど、なべてはかたみに手拍つなる。こはおのづからしかあるべきいきほひなりかし。これら事別なるがごとくなれど、人に避(さ)けゆづる時にも手拍つならはしの、かつかつ残れるものなるべし」 (前掲書、P.146)
(この項おわり)

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 ここで一句。

“森壊し「自然の森」が出来上がり” -白石、よねづ徹夜

 

(毎日新聞、平成25年7月10日付、仲畑流万能川柳より)

(川壊し ビオトープで お化粧し。)

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