015 証明プロセス3『合算10社の手持ち株と中江の手持ち株をバランスシートから合理的に逆算し返済能力に加える』

***六、証明プロセス3. 『合算10社の手持ち株と中江の手持ち株をバランスシートから合理的に逆算し返済能力に加える』



****一、手持ち株という概念



 この手持ち株という概念は、当然でてきてしかるべきにも拘らず検察はこれに目をつぶったわけです。すなわち、思考を限定させるというトリックを使ったのです。検察のような考え方をすれば、どんな優良企業も全て赤字になり債務超過になってしまいます。



 手持ち現金が存在するのであれば、手持ち株も当然存在するのです。資料182の6-(九)を見てください。樽見ノート分を約50億円も間違って考えていた当局は、59年8月には累計約50億円相当の株券が中江から持ち込まれていることになり焦ったことでしょう。中江が個人資産を約50億円もつぎ込んでいたことになるからです。

 59年5月には、4月との差引分である21億円分の株がグループに貸し付けられているわけであり、59年4月当時中江が21億円分の株を手持ちしていたという結論が出てくるのですが、当局はそれにも目をつぶったわけです。私の有利になることには、一切目をつぶったということがここでも証明できます。



 彼らはそれを覆い隠すために、不明有価証券という科目を設定してごまかしたのです。約50億円もごまかし、不明としたわけです。それでよくまあ 、182の102ページで「約15億円の不明金がある。」などとしゃあしゃあと結論付けられたものであると思います。もはや、これは知能の問題ではなく人間性の問題です。これは陥れるための悪意の捜査資料です。

 手持ち現金の科目があれば、投資ジャーナルグループのような業種の会社であれば手持ち有価証券とでもいうべき科目があってしかるべきなのです。それを当局は、不明有価証券としてごまかしたばかりか、この不明有価証券の裏付けをとってしかるべき各月の現資産をだすのにも含めなかったわけです。58年12月までは、有価証券は手持ちとして余っているわけであり、現資産に当然加えるべきなのです。



 182の六-(九)の不明有価証券の[①-②(累計)]という欄を見てください。57年8月を除いて、57年4月から58年10月までの単純な累計では不明有価証券でもプラスであったわけであります。とするなら、この株券累計分は手持ちしていたことになり、本来、182の八-(五)の現資産集計表の[①資産]の所に手持ち株として加えねばなりません。(ついでながら、この欄には手持ち現金も加えるべき)そういたしますと、八-(六)の負債額に対する現資産対比表は大きく変化いたします。彼らの作成した負債額に対する現資産対比表の現資産は、182の八-(五)の数字です。



 現資産とは何かという質問に、「現金に近いと思われる資産」と当局は答えました。じゃあ、「現金に近いと思われる資産には手持ち株とか手持ち現金というのは入らないのか」と聞いてみたいのです。現金として残っている数字を何故バランスシート上に組み入れないのかということです。

 59年8月は入れなくとも良いかもしれません。ガサ入れ時、それだけの現金が無かったわけですから。しかし、59年7月以前は全て含めるべきなのです。そうじゃなければ、このバランスシートは不完全なものとなって意味を持たず、180億円の返済義務があると何の根拠も無く勝手に決め付けているに過ぎないことになるのです。返済義務金については何の裏付けもないことになるのです。



 バランスシートを用いて彼ら流の考えによる負債額に対する現資産対比表を作ってみますと、表9-1となります。現資産の中に手持ち株や手持ち現金を含めるというのはおかしいという人はいないでしょう。それらを含めた欄が⑤です。当局の出した現資産に手持ち現金と手持ち株をバランスシートから拾ってきて加えたのが⑤ということです。これらに貸付金等を加えるなら100%OKとなります。

 ついでながら、58年2月まで現金科目の合計がマイナスであるというのも、私は常識としておかしいと思います。合算修正する前はプラスなのに、合算修正してマイナスとなっております。これはもう証拠能力以前の問題であり、このことからしても返戻すべき義務金とされている180億円というのも証拠としては客観的に固まっていないということです。

 日計表を見てみますと、59年3月以降の営業と各証券金融以外での出金がスッポリと抜けていることは明らかですので、返済義務について確定的なことが言えるのは59年2月末までということです。つまり59年2月末までのバランスシートは認めることができるとしても、それ以降は資産と負債がチグハグになっているのです。とりあえずここでは彼らが起訴時にこういう表を作成して提出すべきであったという表を作成してみます(表9-1)。

 無論、この表には樽見ノート分が入っていますから真相と違うわけですが、いかに検察の捜査資料が身勝手なものであるかを裁判長にわかってもらうために敢えて作成したものです。現資産をバランスシートから拾ったというのなら、その現資産の中に、手持ち現金とか手持ち株というものを加えないことは明らかにおかしいのです。もし、手持ち現金とか手持ち株(不明有価証券、借方)が信用できないと思って加えなかったのであれば、彼らは自己矛盾に陥っているわけです。



 バランスシートとはその名のとおり、バランスが左右合わなければならないのです。それを勝手に都合の良い所だけ取り出して考えるということは既にバランスシートではなく、「ごうごうシート」でもいうべきものです。彼らもバランスシートとして出してきた以上、手持ち株と手持ち現金を加えて現資産とすべきです。

 本来なら表9-1のような資料を作成すべきであったのです。八-(五)の現資産集計表の①[資産の合計]の所が、表9-1の⑤の数字であってしかるべきなのです。とするなら、起訴時の負債額に対する現資産対比表は、表9-1の数字として出てくるべきであったのです。



 検察がいかに裁判所を騙そうとしてトリックを駆使してきたかがおわかりいただけると思います。無論この表は敢えて作成してみたものにすぎず、真相とはほど遠い表です。おそらく、起訴前にはこの表9-1のような数字の表を作成したはずなのです。ところが、これでは返済能力がありすぎることになるので手持ち株と手持ち現金を除くことにしたのでしょう。

 彼らの本件公判に臨む姿勢は全てこれです。これらの表や数字には全てトリックがあったわけです。表や数字ですのでトリックを暴けたのです。活字である調書のトリックは活字であるために騙されやすいわけですが、数字に関しては客観的事実証明によって調書類に盛り込まれた数字のインチキ性を見破ることができるのです。このようにして調書が明らかにインチキであったことが証明されると同時に、本間検事の証言が偽証であったことも証明できるのです。

 裁判長は証人に「ウソを言えば偽証罪で罰せられます。」と言っておられました。本間検事の偽証は100%明らかとなったわけですので、本間検事を偽証罪で罰するべきであります。

 表9-1に戻ってみますと、樽見ノート分を修正する前でも58年1月までは成功報酬を考えなくとも返済能力はあったわけです。成功報酬と貸付金を考えるなら59年7月まで返済能力があったことになるわけです。すなわち、貸付金を現資産に加え成功報酬分を要返戻額から差し引いてパーセントを出すなら、59年7月末までの返済能力は100%となるのです。検察側はこれでは困るのでバランスシート上の手持ち株や手持ち現金を現資産に加えないというトリックを施した資料を作って公判に出してきたわけです。



 ところが、検察が困ったと思われる多すぎる手持ち現金は、樽見ノート分の誤解によるものだったのです。樽見ノートの扱いを間違ったのをごまかすために、彼らは現資産に手持ち現金を加えないというイカサマな資料を作ったわけです。

 これは本当の笑い話ですが、司法に対するゆゆしき挑戦でもあります。検察と警視庁の生活課による法律と裁判所への挑戦であります。自分達が樽見ノートの扱いを間違っていたのにそれに気付くことなく起訴をしたのです。そして、そのためにその分、現金が多くなってしまったわけです。それをごまかすのに、何と返済能力を考える時に、バランスシート上の手持ち現金と手持ち株を加えないという、およそ考えられないインチキをやったわけです。私ももう少しでこれを看過してしまうところでした。検察は自分で樽見ノートの誤解をして勝手に現金が多くなるようなバランスシートを作成しておきながら、この矛盾をごまかすためにこれらをどこかへ費消したかのように結論付けたわけです。そして、182の19ページでしゃあしゃあと「一斉捜索時、現金は無く云々・・・」と書いているのです。無いのは当たり前なのです。捜索時にはそもそも現金などありませんでしたし、樽見ノートの矛盾によって当局が創作したフィクションにすぎない現金であったからです。こういうインチキを堂々とやってのけて、しゃあしゃあと公判に出してきているのです。しかも、自らの誤解により創作したフィクションを、あたかも私がその金をどこかに持っていってしまったかのように言いつのっていたのです。



 ところが、公判が進むにつれて樽見ノートの読み方が間違いであったことに気付いたわけです。その結果、バランスシートにおいてインチキをしていたことが明らかになったのです。もはや、検察の出してきた全ての資料と調書の信用性は数字によって客観的に崩されたわけです。しかし、論告では一言も自らの間違いを述べもしない厚顔なる対応です。

 

 次の証明プロセス3の(二)では、検察の誤解した樽見ノート分を修正し、バランスシートを使って実際の手持ち株を、計数的逆算によって算出いたします。そして、それを現資産に加えます。表8の(C)が、現資産に手持ち株を加えた実質現資産です。まさか、手持ち株は現資産には入らないとは、いくらインチキかつ低能なる検察であっても主張はできないことでしょう。



****二、バランスシートからの合算10社分の手持ち株と中江の個人分の最低手持ち株の逆算算出説明



 この項目は、最も重要な項目の一つです。



 バランスシートから計数的に、手持ち株を逆算いたします。基本的には各論の主証明①と、同じ方法を使います。主証明①では、57年3月末に大量の手持ち株を持っていたことを証明するために逆算をしたわけですが、ここでは返済能力を証明するために、株券の流れを追うことによって客観的に手持ち株の量を逆算算出していきます。



 まず株券の流れだけを考えていきます。株券とキャッシュを一緒に考えるから頭が混乱するのです。株券で物は買えませんし支払いにも当てられません。親金融への担保としての預け入れにしても、株券を単に親金融に保管してもらっているにすぎません。株券を親金融に取り上げられるのは、キャッシュを返済できない時だけなのです。すなわち、親金融との間ではキャッシュの取引が主であり、株券というのは単にその裏付けとして存在するにすぎないのです。この点をくれぐれも誤解しないでください。株券を親金融へ渡したとしても、それはキャッシュを渡す時のように渡し切りにしてしまうものではなく、単に預けるにすぎないのです。



 このことを頭において株券の流れを追っていきます。まず、株券が入ってくる場合を考えてみますと二つの取引があります。一つは証券会社で買い付けてキャッシュを払う代わりに株券を買うという取引です。すなわち、現物での買いです。二つは当グループの証券金融へ顧客が株券を預け入れる取引です。すなわち、顧客からの預り株です。この二つの取引が考えられます。



 一つめの証券会社より買い付けた株(現物の買い)を算出することは、第三回準備手続調書資料六-四の№2により可能です。しかも、樽見ノート分の当局の間違いが修正してありますので真相に最も近い資料であるわけです。この樽見ノート分修正後の株式売買損益一覧表を使って、買い越した株を算出するための算式は、当月買代金マイナス当月売代金ということになります。ただ、買い越した株の値段が変動いたします。ここでは、買い越した株の毎月末の時価評価を知りたいわけですので、買い越し株=当月買代金-当月売代金+損益としなければなりません。当月売代金=損益+買入原価ですので、当月買代金-当月売代金+損益=買い越し株をマイナスでくくると、当月買代金ー(当月売代金+損益)+買入原価=買い越し株、となります。すなわち、当月買代金-買入原価=買い越し株、となるわけです。ちょうど表に、買入原価が計算されていますので、当月買代金-買入原価の数値を出せば、その月の買い越し株の月末の評価がわかるということです。それだけの分の株が、その月当グループに入ってきたということになります。



 二つめの顧客からの預り株は、バランスシート上は負債欄に預り保証金代用として載っていますが、それらを一まとめにした表が182の六-(七)の表です。この中の株数、評価額という欄だけを見てください。今は、株券の流れだけを考えていますので、一切キャッシュのことは考えないでください。入ってくる株券は、証券会社での買い越し株と、顧客よりの預り株しかありません。

 表9-2を見てください。①が証券会社での買い越し(△の場合は売り越し)株の額の各月別の数字です。②が各月の顧客からの差し引き預り(△の場合は返済)株の数字です。①と②を足した数字が③です。この③の数字が、当グループに各月入ってくる株の額です。



 次に、その株がどうなるのかを考えます。

 入ってきた株の流れとして、二つの場合が考えられます。一つは親金融への担保として、親金融へ預け入れられるケースです。もう一つは証券会社での信用取引の代用担保としてあるいは商品取引会社への先物取引の代用担保として預け入れられるケースです。一つめの親金融へ担保として差し入れた株の各月の額は、資料六-(八)を月別に直すことにより算出できます。その数字が表二の④の欄です。



 次に、信用取引および先物取引への代用担保としての差し入れ株の各月の増減額を出します。これは資料六-(十二)を月別に直すことによって算出できます。その数字が⑤の欄です。

 ④と⑤とを加えた⑥の欄は、入ってきた株が結局どこに差し入れされ保管されているのかを表わしています。各月に入ってきた株の合計は本来なら会社の金庫に全て入るわけですが、担保として使っていたためその入ってきた株の内のいくらかが出ていくわけです。③各月の(入ってきた株の総計)から、⑥(担保代用として持ち出した株)を差し引けば、合算決算分(10社プラス中江の一部)の手持ち株が出てくるわけです。すなわち、検察がこれだけしかないと勝手に決め付けた取引口座での買い越し株の手持ち株分が出てくるわけです。バランスシート上、彼らはこれを不明有価証券としてごまかそうとしたわけですが、樽見ノートを間違って解釈したことによってインチキが露呈してしまったわけです。正しくは手持ち有価証券、もしくは自社金庫有価証券とでも表現すべきなのです。



 ⑦に、合算10社の手持ち株の数字を示しました。これが、各月の株券の動きであります。

 整理してみますと、①証券会社での買い越し(売り越し)株プラス②顧客よりの差し引きの預り(返戻)株マイナス④親金融へ担保として差し入れ(引き出し)た株マイナス⑤証券会社へ信用取引(商品取引会社へ先取取引)の代用担保として差し入れ(引き出し)た株イコール⑦手持ち株となります。①+②-④-⑤=⑦。この場合、⑦の手持ち株の数値がマイナスとなった時はどうでしょうか。入ってきた株以上に親金融へ預け入れられるでしょうか。物理的に不可能です。



 ただ二つの場合に限って、この物理的に不可能と思えることを可能にするケースが現実にはあります。一つは、前月までの累計の合算10社の手持ち株から出してきて親金融に預け入れられるというケースです。⑦の数値(マイナスをとった)が前月までの合算10社の手持ち株の累計より小さい時は、合算10社の手持ち株の前月までの累計分を出してきて、親金融へ預け入れたのだといえます。しかし、累計分以上に、すなわちそのときまで累計で手持ちしていた株券以上に、当月親金融への差し入れがなされていたとしたらどうでしょうか。これが二番めのケースです。

 これは、中江個人の持っていた株を出してきたと考えられるケースです。すなわち、当月足りない株は当月までの合算10社の累計手持ち株と、中江の個人的手持ち株によって賄われたということです。これらの基本的知識をもとに、毎月の株券の動きを、表9-2と表9-3を見ながら追っていくことにより、株の存在を逆探知し、逆算していくことにいたします。



 その月に「入ってきた株もしくは出て行った株」の差引と、「親金融と証券会社(または商品取引会社)へ差し入れられたことが明確なる株の合計」。

 この二つの数字を比較することにより、多くの客観的事実が浮かび上がってまいります。



 受け渡しは必ずされねばなりません。株券の存在なくして受け渡しは成り立ちません。キャッシュと株券の交換、これが証券取引の大原則なのです。株券がないのに受け渡しされることもなければ、株券が消減して四次元の世界へ行ってしまうこともないのです。どこかに必ず存在するわけです。



 57年4月、差し引き4765万7800円分の株券がどこにも差し入れられずに存在しています。この株はどうなっているのでしょうか。手持ちしているということです。金融や証券会社の代用担保に入れるのが当たり前ではないのです。発想が逆なのです。手持ちにしているのが本来当たり前なのです。



 上図のような集合です。手持ち株の中から親金融へ差し入れたり、信用取引の代用として証券会社へ差し入れたりするわけです。手持ち株があって当たり前なのです。私が紙バッグにいつも何億円という株券を持ち歩いていたことは多くの証言で出てきております。また、大山証言によって、私が倒れた58年8月に数億円分の大量の株券を大山君に渡した事実も明らかとなっています。しかも、大山君に渡した株券は、当時中江が手持ちしていた株の数分の一にすぎないのです。合算10社の手持ち株というのは、結局は中江が手に持っていたわけです。ただ、今後説明していく時に、ややっこしくなりますので、10社合算のバランスシートの取引口座において余った株を中江が保有していた分については、「合算10社手持ち株」として表現することにします。合算10社以外に個人的に中江が手持ちしていた株だけを「中江手持ち株」とします。例えば、57年4月以前より手に持っていた株とか、その後マネーウォッシングで儲けた株とかのことです。全くの個人的な株です。



 57年4月から8月までについては各論の主証明①で詳しく説明しましたので、ここでは簡単に申し述べます。

 57年4月に中江が手に持っていた株は4765万7800円、57年5月分として中江が手に持っていた株は1億3719万3550円です。4月分と合計して中江は1億8485万1350円相当の株を合算10社分だけでも手に持っていたこととなります。57年6月、さらに2895万2382円分の株を手持ちに加えます。57年7月、さらに1億4233万4578円分の株を手持ちにします。57年4月から57年7月までの合算10社分の累計だけでも、3億5613万8310円分の株を中江は手持ちにしていたわけです。



 ここまでのところはどなたも異論はないと思います。ただ、物理的に3億円もの株券を手持ちにできるものかとお考えの人がいたら、それは思考力と想像力の狭さと体験の無さです。故小佐野氏は何千億円分の株を保有しておられました。現金は、今や銀行に入れるのが普通になってきていますが、株券はまだまだ手で持っている人の方が多いのです。私の場合も大量の株券を手持ちしていた事実を何度も主張してきました。繰り返しになりますが、この手持ち株の存在を疑う人にとって最もわかりやすいのが57年8月の株券の動きです。



 57年8月、証券会社で買い越した株の残は、評価損益を勘案して1億2229万7640円です。顧客から預かった株の差し引きは、2億5783万3820円です。つまり、合計3億8013万1460円分の株券が、新たに合算10社へ入ってきたわけです。ところが、親金融へは16億9679万8992円もの株が差し入れられているのです。また、証券会社へも1億3289万8726円分の株券が差し入れられているのです。合計18億2969万7718円もの株券が差し入れられているという、物理的事実が存在いたします。

 これに対して、57年8月には3億8013万1460円分の株しかグループには入ってきていないのです。差し引きの14億4956万6258円の株券がどこかから出てきたことになるのです。すでに申し述べましたように、57年7月末、3億5613万8310円の株を累計で合算10社分として手持ちしていることが逆算によって明らかになっています。とすると、どこかから出てきた14億4956万6258円分の株券のうち、3億5613万8310円分はこれでわかりました。と同時に、3億5613万8310円の株券が手持ちにされていたことも証明されたわけです。3億円もの株を手持ちにできないなんていう考えは常識ではなく単なる偏見にすぎないのです。この57年8月の株券の動きがそれを十二分に数字の上から証明してくれたわけです。



 残りの10億9342万7948円分の株券は、どこから来たのでしょうか。これはもう各論の主証明①で詳しく述べました。私から行ったのです。これは中江が個人的に57年3月末までに手持ちしていた株や、57年4月から7月の間に抜けている口座で買い付けた株ということになります。

 57年7月末、中江は14億4956万6258円分もの株を手持ちしていたということです。手持ちしていたからこそ、57年8月に14億4956万6258円もの株が物理的に存在することになったのです。



 ここで、客観的に証明できる最低限の手持ち株はいくら位であったのか考えてみます。検察の有利に考えて最低の数字をとり、57年4月末は手持ち株4765万7800円、57年5月末は1億8485万1350円、57年6月末は2億1380万3732円、7月末は14億4956万6258円分の株券を手持ちしていたことにします(表9-3より)。これなら誰も文句はないでしょう。100%逆算によって、明らかな最低の数字を手持ち株としたわけですから。57年8月末は0とします。実際、手持ち株0なんてことはありえませんが、まあこれも最低で考えます。

 次に、57年9月に入ります。57年8月末と57年9月で一度、累計の考えを切らねばならないことを、良く覚えておいてください。なぜなら、手持ちしていた株は全てもう使ってしまったと考えるからです。57年4月~57年8月末までは、一つの関数で表せますが、57年9月からは違う関数となるということです。不連続の関数となるということです。頭をはっきりと分けて考えねばなりません。

+57年9月、9億2563万8030円分の株券が入ってきました。ところが、差し入れ株券は2億3899万2642円のマイナスとなっています。マイナスということは、差し入れていた株を引き出したということです。このことは合計11億6463万672円分の株券を手で持っていたことを意味します。
+57年10月は、6億8366万4720円の株券が入ってきて、4億9352万456円の株券を差し入れています。差し引き1億9014万4264円分の株券は私が手持ちしていたということです。57年9月末11億6463万672円手持ちしていて、10月1億9014万4264円分さらに手持ちにしたのですから、57年10月末では合わせて13億5477万4936円分の株券を手持ちしていたことになります。
+57年11月は15億7015万3980円分の株券が入ってきて20億1174万8066万円分の株券を差し入れています。15億7015万3980円分の株券しか入っていないのに、20億1174万8066円分の株券を差し入れるということは不可能です。考えられるのはただ一つです。差し引きの4億4159万4086円分については私が差し入れたということです。これにより、私の最低の手持ち株は、11月9億1318万850円ということになります。
+次に57年12月は、1億4336万3307円分の株券が減っているだけなのに、4億6186万5510円分もの株券が担保として差し出していたところから引き出されています。すなわち、私は57年12月に3億1850万2203円分の株券を手に持ったわけです。11月末の手持ち株に、この3億1850万2203円を加えますと、12億3168万3053円分の株券を12月末手持ちしていることになります。
+58年1月は3億741万9901円分の株券を、さらに手持ちに加えたことがわかります。結局1月末、私は15億3910万2954円分の株券を手持ちしていたことになります。
+58年2月5億506万4720円の株しか入ってきていないのに、6億5788万926円の株を差し入れています。ということは、1億5281万6206円分の株券を手持ちより出したということになります。1月末の15億3910万2954円から、1億5281万6206円を差し引くと13億8628万6748円となり、この分を2月末に私が手持ちしていたことになります。
+58年3月は、5万532円分の株券が減っているのに、6088万4411円分の株が差し入れられています。ということは、6093万9723円分の株券を私の手持ち分より出したということです。2月末の13億8628万6748円の手持ち株から、6093万9723円分の手持ち株を出したわけですから、3月末13億2534万7025円分の株券を中江は手持ちしていることになります。
+58年4月は、7億9014万1763円分の株が入ってきて、6億4989万7538円分の株が差し入れられています。差し引き1億4024万4225円分の株券を手持ちに加えたことになります。つまり4月末には14億6559万1250円分の株券を手持ちしているわけです。
+58年5月は、9億7874万6154円分の株券が入ってきて、3億7469万5477円分の株しか差し入れていませんので、差し引き6億405万677円分手持ちが増加します。つまり、58年5月末には20億6964万1927円分の株券を手持ちが増加していたこととなります。
+58年6月は、2億8213万2800円の株券が出ているのに、2億2580万7289円分の株券が差し入れられています。これは、5億794万89円の株券を手持ちから出したということです。つまり58年6月末には、中江は15億6170万1838円分の株券を手持ちしていたことになります。
+58年7月は、6545万1874円分の株券が減っているのに、2億3578万5636円の株券が引き出されています。すなわち、2億3578万5636円分の株券を引き出し、6545万1874円分の株券は顧客への返戻と売りの受け渡しに使い、残りの1億7033万3762円分の株券は、私の手持ちにしたということです。つまり58年7月末17億3203万5600円分の株券を手持ちしていたということです。
+58年8月は、337万3766円分だけの株券が減っているわけですが、差し入れ株券は3億1512万8253円も減っています。ということは、この差額分は手持ちにしたということです。すなわち、3億1175万4487円分の株券を手持ちに加えることになります。つまり58年8月末には20億4379万87円分の株券を手持ちしていたことになります。
+59年9月は13億8880万7233円分の株券が入り、6億9138万1990円の株券を差し入れています。ということは、差し引き6億9742万5243円分の株券をさらに手持ちしたことになります。先月末の分と合わせますと、27億4121万5330円分の株を58年9月末に手持ちしていたことになります。
+58年10月は20億672万21円の株が入ってきただけなのに、25億6772万7142円分の株が差し入れられております。これは、手持ち株の中から5億6100万7121円分の株券を差し入れたことになります。差し入れというのは、繰り返しておきますが親金融もしくは証券会社へ差し入れられているということです。結局10月末には21億8020万8209円分の株券を手持ちしていたことになります。
+58年11月は、18億4386万2125円分の株券が入ってきたのに、14億6650万7309円分の株券しか差し入れていません。ということは、差し引きの3億7735万4816円分の株券を手持ちに加えたということです。手持ち株は、25億5756万3025円になったわけです。
+58年12月は18億7795万2575円の株券が入ってきて、14億4016万9813円の株券しか差し入れられておりません。ということは、差し引きの4億3778万2762円の株券を、手持ちに加えたことになります。58年12月末29億9534万5787円の株券を手持ちしていたことになりました。 
 約29億円分もの株券を手に持っているというのはおかしいと思われる方がいるかもしれません。その人はしばらく後に、その認識の偏見性を反省せねばならなくなるでしょう。とにかくこれは、物理的な事実なのです。何ものにも侵されない真実なのです。いかに、検察の権力でもこの真実をねじ曲げることはできません。これから下される判決においてこの真実は真実として絶対に認められるはずです。裁判所といえども、この客観的かつ合理的な証明を否定することはできません。29億9544万5797円分の株券をこの時私が持っていたことは計数的に明らかとなった真実なのです。
 この株が58年12月に仮に存在しないものとすれば、59年4月と5月には株が足りなくなり受け渡し不能となるのです。受け渡しはちゃんと行われていました。そうでなければ大問題であったはずですし、受け渡しがちゃんと実行されていたことは資料として残っているのです。手持ちの株があったからこそできているということです。もう少しいたしますと、約29億円の株がこの時に現存していたことがまた違った形で証明されます。もうしばらくお待ち下さい。
+59年1月は、43億5492万8959円分の株券が入ってきて、47億7992万7516円分の株券が差し入れられております。ということは、4億2499万8557円分の株券を手持ちより出して親証券金融へ差し入れたということです。手持ち株残からこの4億2499万8557円が減りますから、差し引きで25億7034万7230円分の株券を59年1月末に手持ちしていたことになります。もしこの時点で考えるなら、59年1月末に29億9534万5787円分の株券があったかどうかは別にして、少なくとも4億2499万8557円分の株券はあったわけです。そうでなければ受け渡しができていないことになるからです。受け渡しができていないなどということはありえないのです。
+59年2月は34億2956万1110円分しか株券は入っていないのに、41億2816万2522円分の株が差し入れられています。差額の6億9860万1412円分の株券は私の手持ちから差し入れられたことになります。2月末の手持ち株の残は、これで18億7174万5818円となりました。
+59年3月は、41億145万3702円分の株券が減っています。それなのに、差し入れてあった株券は、45億8470万5380円も少なくなっています。すなわち差額の4億8325万1678円分は手持ちにしたわけです。合計しますと、3月末には23億5499万7496円の株券を手持ちしていたことになります。
+59年4月は、10億8794万3319円分の株券が減ったわけですが、差し入れてあった株券は4億8168万2867円しか減っていません。ということは、その差額の6億626万452円分の株券は、手持ちしていた株券の中から出したということです。3月末には、23億5509万7507円分の株券を手で持っていたわけですから、4月分の6億626万452円を差し引いて、4月末には17億4837万7044円分の株券を手持ちしていたということです。
+59年5月は、6億6907万6080円の株が減っているはずなのに、逆に16億2083万3136円分も差し入れている株券が増えています。ということは、どこからか22億8990万9216円分もの株券を持ってきて入れたということです。どこから持ってきたのか。当然、私が持っていた株しかありません。ところが4月末には、17億4883万7055円分の株しか、持っていないことになっています。
 つまり、57年8月~59年4月までに、この差し引きの5億4107万2161円分の株券相当額を、私が合算10社口座とは全く別のところで儲けていたということです。これこそ私が公判で供述しましたマネーウォッシングの儲け分の一部なのです。
 私は、59年5月、顧客からの出金要請に対応するため、手持ち株とマネーウォシングで儲けた分の株券を会社に提供したわけです。「59年6月6日、営業の現場に復帰する際に大金を持って復帰した。そしてその金は、株券を金融へ差し入れて得ていますから調べてください。」と、公判で供述したはずです。まさにそれが、この59年5月の株券の動きで証明されているのです。
 約22億円もの株を親店へ入れキャッシュをつくったわけです。顧客への返金のために手持ち株を提供したわけです。そして、まだまだ余裕があると思っていたのですが、5月に一挙に22億8990万9216円もの株券を使ってしまいましたので、私が復帰して立て直しにとりかかったのです。私の当法廷での供述とまさにピッタリと一致する客観的数字です。
 59年5月時点で、少なくとも22億8990万9216円分の株券を手持ちしていたことが客観的に証明されたわけです。もし持っていなければ、59年5月に親金融へ16億2083万3136円分もの株券を差し入れることができないのです。物理的に不可能なのです。
+同様に考えていきますと、59年6月末では12億437万9089円を手持ちしていることとなり、7月末では5億4690万4251円、8月24日には12億3517万3311円を手持ちしている計算となります。計算の上では8月24日にあった12億3517万3311円の内の約3億円分は町村家へのソニー株の返済によってすでに無くなっております。あとは、手持ち株の中から顧客への返済を57年5月、6月、7月、8月にかけてしていますので、その分手持ち株は減っているわけです。すなわち、簿外分の株券によって最低でも10億円分は返済しているということです。この意味がおわかりになるでしょうか。

 この頃は返済がいくつもの部署においてなされていますので、着金表とか日計表だけでは出金出庫の全てがわかりません。すなわち、手持ち株も使って返戻をしているわけです。簿外で返済した分の株券は、私の手持ち株から賄われているということです。従って、8月24日に簿外での計算では12億3517万3311円の株券を持っていたことになっていますが、簿外でソニー株関連で町村家へ返したりしていますので、その分なくなってしまっているということです。
 もっとわかりやすい例を挙げましょう。
 8月15日に令状が出てから8月24日までガサ入れが延ばされました。これは、警視庁高級官僚が退官後のことを考えてやった政治的行動です。有力者とか政治家には直ちに返済するように私へ強要したわけです。ガサ入れを延ばすことを条件の一つとして、私へ有力者や政治家へ返済させたのです。ところが、この返済に分については日計表には載っていませんでした。一方、入金分は混乱の前でしたので全部載っているわけです。この日計表や着金表に載らずにひそかに返した株券の一部は私の手持ち株であるということです。
 日計表に載っていない返戻株をXとし、中江の手に持った株をYとすると、

Y=(①-X)+②-⑥ (①、②、⑥は表9-2)

という関数となります。Ⅹが大きくなればなるほど、Yが小さくなるわけであります。すなわち、返戻株が多くなればなるほど、中江の手に持っている株が小さくなるわけです。59年3月以降の返戻株が抜けていることは、当局が日計表分しか返済としていないのですから、抜けているのは当然のことなのです。従って、59年8月に中江が手もとに株を持っていないのも納得していただけることでしょう。

 以上、株券の移動を見てきました。これにより客観的に私が大量の株を手持ちしていたことが証明されたわけであります。この現実は何人といえども否定できません。これを否定するということは物理と数学を否定することになるからです。

 さて、この株券の入と出の動きを精査して判明した真相によって、三つのことが同時に明らかとなりました。
 一つは、57年3月末大量の株をどこにも担保に入れることなく私が手持ちをしていたということです。
 二つめは、この逆算によって計数的に証明された私の手持ち株の存在から、少なくとも59年2月には返済能力が100%あったということです。
 三つめは、検察調書は捏造されたものであることがはっきりとしたということです。計数的に証明された真相と全く逆のことが調書となっているからです。しかも、それは被告人に不利になるように作成されています。すなわち、明らかに検面調書は捏造、偽造されたものであるということであります。

 昨今、通貨偽造の偽札作りが社会をにぎわしておりますが、検事の調書偽造も法律における検察官の立場を考えるなら由々しき問題です。検面調書の捏造と偽造が論理的に明白となった今、検察側にもう一度起訴からやり直しさせるべく、差し戻していただくということはできないものでしょうか。もう一度、113日間の拷問のような取り調べに耐えますので、調書の作成と取り調べのし直しを命じていただくことはできないのでしょうか。今回の事件で私も家族も社員もボロボロになってしまいました。もはや何の望みもありません。強制捜査後に私や家族が受けた地獄は、筆舌に尽くしがたいものがあります。私は結果的にとはいえ、被害者を出した立場ですので、その地獄のような状況を申し上げて情けを得ようなどとは思いません。
 ただ一つの望みは、裁判において真相の下に裁かれたいということなのです。
 計数的に私の公判での供述の正しさを説明いたしました。なにとぞ、この真相を踏まえた上で裁いていただきますようにお願い申し上げます。

 先に申し上げた三つのことがらに加えて明らかになったことは、本間検事の当法廷における証言のウソです。これがはっきりしたわけです。計数的に証明された真相と違う検面調書であるということは、本間検事が調書を捏造したことを意味します。しかるに、彼は公判においてしゃあしゃあとウソをついたのです。しかも、彼は検察官のバッジを指差し、「検事としてウソはつかない」と言いながら、見事にしゃあしゃあと裁判長の前でウソをついたのです。今、彼のウソが数字によって客観的に暴かれました。偽証罪で告訴するのに十分な証拠があります。投資ジャーナル事件に関与した全ての検事はすみやかに自己批判をすべきです。この客観的証明を踏まえ、時間の経過によって必ずや多くの捜査員の中の誰かが真相を語ってくれるでしょう。その時になって恥をかかないためにも、一刻も早く検事達は自己批判をし、しかるべき責任をとるべきであります。

 この証明プロセス3において証明しました手持ち株の存在を現資産にプラスしたのが表8のC欄です。59年2月は100%返済能力があったことになります。
 58年2月、3月、4月、6月、7月、8月、9月、10月、11月、12月、59年1月については返済能力がなかったかのように見えますが、プロセスを進んでいくうちに、客観的に返済能力が証明されていくでしょう。なるほどと納得していただくことになるはずです。
 本プロセス3においては、手持ち株があったことを証明すると共に、最低の手持ち株を算出したわけです。この手持ち株を返済能力に加えることには異論はないでしょう。

****三、中江の個人分の最低手持株を組み込んだ返済能力修正表

 59年5月までの10社合算の手持ち分である17億4873万7044円相当の株を使っても、なお22億8990万9216円分の株券を受け渡しするのには株券が足りません。足りない分はどこからきたのでしょうか。私の手持ち株からしかあり得ません。しかも、私はこの資料を見る前に公判廷において、5月に自分の個人の株券を証券金融に入れ大金をつくって会社に復帰したと供述しているわけです。供述ともピッタリと一致いたします。

 59年5月合算10社分の手持ち株は0となりますので、57年9月より21ヶ月続いた連続関数は59年5月をもって不連続となり、59年6月より新しい関数となります。ここで重要なことは、59年5月に中江が個人分5億4107万2161円もの株券を出したという現実を、どのように返済能力の証明に組み込むかということです。
 59年5月に中江が約5億円分の手持ち株を個人的に持っていたことはもはや明らかであります。では、この約5億円分の株を私がいつから持っていたとするのか、2年前からとするのか、それとも59年5月に儲けたとするのかによって各月の返済能力の証明に大きく影響いたします。

 5億円もの金は株以外に稼ぎ出すことはできません。私が59年3月から株をやっていないことは、証言や多くの状況証拠により明らかです。そこで、59年3月には少なくとも約5億円のキャッシュもしくは株を持っていなければ合理的でなくなります。といっても、それ以前からということは必ずしもいえません。59年2月の関東電化株の1000円高の過程で儲けたかもしれないと言われますと反証のしようがないからです。ここでも疑わしきは検察に有利にと考えて、ギリギリ、59年3月には約5億円を持っていたということにします。それ以前は一応、なかったこととして計算することにします。これなら合理的でしょう。59年3月以降に5億円も儲けることは株をやっていませんのであり得ないことなのです。
 以上の考えを組み込んで返済能力を算出し、表8のC欄の59年3月と4月を修正しました。

****四、約定日による計算と受け渡し日による計算との誤差

 手持ち株の逆算において、最後の一つだけ誤解が生じてはいけませんので説明しておきます。

 当局は、当月買代金と当月売代金を算出するのに約定日で計算しているようです。本来、証券界の人間なら約定日では計算せず、受け渡し日で計算するものです。月末の立会日数で3日前は、翌月受け渡しとなりますので、翌月の買代金、売代金とするわけです。実際にキャッシュが出て株券が入ってくるのは受け渡し日であり、受け渡し日をもって買代金と売代金を計算すべきなのです。私は当局の資料に基づいて逆算しましたので、毎月末、3日間の受け渡しによる若干の誤差が生じます。実際、正しい受け渡し日で計算し直してみましたが、ほとんど影響はありませんでした。ここでは、最も問題となる月である57年3月末、57年8月末および59年5月末についてのみの誤差について説明しておきます。

 57年4月から同年8月末までの表の9-2の①の数字が、少し変わります。つまり57年4月の買代金が57年3月末の3日間分増えるわけです。その3日間の買代金を日付順株式売買集計表によって算出しました。6519万9675円です。売代金は1億146万1570円です。差し引き3626万1895円分だけ買い越し額が減ることになります。
 次に今度は逆に57年8月末の3日間の買代金と売代金は57年9月分に入ります。それを計算してみますと、買いが3708万9257円、売りが1億4542万8069円となります。差し引き1億833万8812円分のマイナス分は9月分ということになります。ということは、この分だけ買い越し額が増えることになるわけです。
 57年3月末分は、3626万1895円だけ買い越し額が減ることになり、57年8月末分は、逆に買い越し額が1億833万8812円だけ増えるわけですので、差し引き7207万6917円だけ買い越し金額が、57年4月~8月の期間増えることになります。すなわち、受け渡し日で考えますと、7207万6917円分だけ株が多く発生することになり、中江の個人的手持ち株を持ち出した金額が7207万6917円分だけ少なくなるということです。
 すでに主証明①で示しましたように私は57年8月末の時点で10億9342万7948円分の株券を持っていたことになるのですが、この数字が7207万6917円分だけ少なくなり、57年8月末、中江は正確には10億2135万1031円分の株券を手持ちしていて、合算10社の受け渡しの不足分を補うために出してやったということになります。誤差は7207万6917円ということになりますが、中江が57年3月末に大量の手持ち株を持っていたことや返済能力の証明にはさほどの影響はありません。

 次に、57年9月から59年5月末までの間の関数についての誤差を考えます。57年8月末の買代金3708万9257円と売代金1億4542万8069円は、57年9月のものとしなければなりません。57年9月から59年5月までの21ヶ月間の毎月では多少の誤差はあっても、合算10社の手持ち株を通期で考えれば誤差は生じません。ただ、不連続関数となる59年5月末の分だけは修正しなければなりません。59年5月末3日間の買代金と売代金は、59年6月以降の買代金と売代金となるからです。
 59年5月末の3日間の買代金は5101万3400円であり、売代金は1億3898万4229円です。57年8月末の買代金は3708万9257円分が増えて、59年5月末の買代金は5101万3400円分が減るわけです。売代金では、57年8月末では1億4542万8069円の売代金が増えて、59年5月末の売代金1億3898万4229円分が減るわけです。すなわち、買代金が1392万4143円分減り、売代金が644万3840円分増えるわけです。すなわち、買越し株が2036万7983円分減ることになります。①+②-④-⑤=⑦ですので、①が減れば当然⑦も減ります。⑦が減れば累計も減るわけです。その分、中江が持ち込んだ分が増えることになり私に有利になります。

 以上で明らかなように、月末の約定で計算した場合と受け渡し日で計算した場合の誤差は取るに足らないものであります。何故かと申しますと、先月末の3日分をプラスして考えねばならない代わりに、今月末の3日分は来月分となるからです。これらの誤差はほとんどありませんので、検察の素人が考えたように約定日による買代金と売代金でもって計算しても誤差はほとんどないということです。
 論告求刑をした丹波検事のように、計数的思考に欠けた低脳なる反論をしてくる可能性がありますので、ここに約定日と受け渡し日の誤差について念のため説明しておきました。以上をまとめてみますと、次のようになります。

項目 (a)買代金 (b)売代金 誤差(a-b)
①57年3月末3日間分 +6519万9675円 +1億146万1570円 ▲3626万1895円
②57年8月末3日間分 3708万9257円 1億4542万8069円 ▲1億833万8812円
①-② +2811万418円 ▲4396万6499円 +7207万6917円
項目 (a)買代金 (b)売代金 誤差(a-b)
③57年9月より +3708万9257円 +1億4542万8069円 ▲1億833万8812円
④59年5月末3日間分 5101万3400円 1億3898万4229円 ▲8790万829円
③-④ ▲1392万4143円 +644万3840円 ▲2036万7983円

****五、修正表による説明-机上の空論の打破

 表8を見て下さい。Bの現資産の欄の57年7月は、3億8549万8762円しかないのに、57年8月には18億7184万3731円と急に増えています。約15億円も急に増えているのです。
 この月の収入は5874万8519円であり、現金による顧客よりの預りが2億3184万3676円、株券の預りが2億5783万3820円です。合計でも5億5千万円しか入金入庫されていないのに、現資産が15億円も増えているわけです。これを考えるだけでも現資産の計算において、何らかの流動性の資産が洩れていると考えるべきです。形を変えてこの現資産の集計の中へ入ったり出たりする資産です。しかも大きな額でです。とするなら、それはもうキャッシュか株券しかあり得ません
 次の月57年9月は、今度は逆に7億7千万円も減っています。この57年9月一ヶ月で、この当時の規模では7億7千万円も損をするわけがありません。とすると、この現資産の集計は実態を表していないということです。もっと、滑らかな曲線になるということです。滑らかな曲線であればあるほど、その計算は正しいということです。企業の資産というものは、そんなに簡単に増えたり減ったりするものではないのです。みんな、経営は真剣にやっているのです。検事が机上で考えているような単純なものではないのです。

 現資産Bに手持ち株を加えた数字での現資産Cは、かなり滑らかな動きとなってきます。57年6月と7月との開きがあるのは、実際は4月、5月、6月にもっと資産があったわけですが、最低で考えていますので、4月、5月、6月が低くなっているわけです。それによる開きにすぎません。59年3月を見て下さい。40億円も減っています。59年6月を見て下さい。30億円も減っています。これは明らかにおかしいわけであり、こういうところにトリックを見破るキッカケがあるのです。証明のプロセスが進むにつれて、これらのトリックもネタがばれていきます。それにつれて真相が現われてくるでしょう。

(つづく)

001 相場師中江滋樹の弁明-目次等

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