縁結びということ-1

 出雲地方で縁結びの神といえば、大国主命(オオクニヌシノミコト)と稲田姫(イナタヒメ)だ。それぞれ、出雲大社(出雲市)と八重垣神社(松江市)に祀られている神である。この縁結びの神、男女の仲をとりもつ神であるという。このところ、結婚願望の強い若い女性に人気がある。

 大国主命も稲田姫も、古事記、日本書紀に登場するおなじみのキャラクターである。ともに物語性の豊かな存在ではあるが、必ずしも縁結びの神ではない。

 もともと、出雲大社は熊野大神(クマノノオホカミ)を祀っていた神社であるし、八重垣神社は出雲国風土記にでてくる佐草社(サクサノヤシロ)で、スサノオの御子神である青幡佐草日子命(アヲハタサクサヒコノミコト)を祀っていた神社だ。

 出雲大社の神の変遷(「「かごめかごめ」の童謡」参照)についてはすでに述べたところであるが、八重垣神社についていえば、奥出雲町にあった稲田姫の社(やしろ)を今の地に移したものである。今から500年位前のことだ。この旧社地の近辺には、スサノオの大蛇(おろち)退治伝説にかかる「遺跡」が数多く現存する。稲田姫の両親である足名椎(アシナヅチ)、手名椎(テナヅチ)の居住跡であるとか、大蛇が潜んでいた川の淵など盛り沢山だ。これらの「遺跡」は、「中世日本紀」(「日本神話のヘンシン-3」日本神話の6回目のヘンシンを参照)が創作された後にもっともらしく用意されたもので、600年以前に遡るものではない。おそらくは、江戸時代の初め頃に、ストーリーに合わせて創られたものと考えられている。この点、島根県の伝統芸能として知られている、八俣大蛇(ヤマタノオロチ)の神楽(かぐら)も同様に、同じ頃に創作されたものだ。

 そもそも、「縁結び」とは何か。本来、どのような意味合いの言葉であったのか。
 仏教用語として、「結縁」(けちえん)という言葉がある。「仏道に縁を結ぶこと。成仏や得道の因縁をつけること。」(小学館、古語大辞典)といった意味を持っている。これが転じて仏道にだけでなく、広く「縁を結ぶこと。」(同上)に用いられるようになった。仏との縁(むすびつき)から、物ごとの結びつき、人と人との縁に広がったのである。この人と人との縁が、現在のような「男と女の縁」に狭まったのはいつ頃かは定かではない。私は、「結縁」でなく「縁結び」として、もっぱら男女の縁を結ぶことに用いられるようになったのは、江戸時代の半ば以降のことではないかと考えている。
 つまり、「縁結び」という言葉は、仏教語である「結縁」を借用したものだ。
 しかし、借用したものではあっても、ひとたび「縁結び」という日本語が成立した以上、元の「結縁」とは異なった意味を持つことになった。

 「縁結び」は、「縁」と「結び」の2つから成っている。
 「縁結び」となってからの「縁」は、仏教語としての意味合いが稀薄になり、「物事の結びつき。人と人との結びつき。ゆかり。つき合い。関係。縁故。」(小学館、古語大辞典)の中でも、「人と人との結びつき」、とりわけ「男女の仲を結ぶこと」に絞られるようになった。
 大和言葉の「結び」は、ムスヒであり、産巣日、あるいは産霊と表記される。「ムス」とは生える、生じる、発生するといった意味をもつ古語であり、「ヒ」とは魂、神霊を意味する古語だ。上代ではもっぱら神名の構成要素であり(たとえば、高皇産霊(タカミムスヒ)の神、神皇産霊(カミムスヒノ)の神、火産霊(ホムスヒ。火の神、カグツチのこと))、時代が下るに従って、結ぶと関連づけられるようになった(小学館、古語大辞典)。
 つまり、「結縁」から転じた「縁結び」とは、男女の結びつきが自ずから生ずるといったほどの意味を持つ言葉である。

(この項つづく)

 ―― ―― ―― ―― ――

 ここで一句。

“勇気ある?何か違うな橋下氏” -奈良、磯じまん

(毎日新聞、平成25年7月3日付、仲畑流万能川柳より)

(黒を白、白を黒と言いくるめる弁護士話法、あるいは「東大話法」。論点をズラしたり、巧みに言葉のイミをスリ替えたりして相手をケムに捲き、論争に勝つことを至上命題としている弁論術。これといった定見に欠け、目先の利害得失によって意見がクルクルと変るご都合主義。現代のデマゴギー。)

Loading