日本神話のヘンシン-4

 日本神話のヘンシンの最後は、明治維新の際に創作された「国家神道」だ。7番目のヘンシンである。

 「国家神道」で使われている神道という言葉自体、それほど古くからのものではない。平安時代の末頃から用いられたものといわれ、「シンドウ」、あるいは「ジンドウ」と発言が濁っていたらしい。それが「シントウ」と清音になったのは室町時代以降のこととされている。

 この神道が突如として強烈なイデオロギーと化した。それが国家神道である。

 明治維新を歴史の上でどのように位置づけ、評価するか。これまでは日本の封建制に幕を引き近代化を図った輝かしい政治改革であったとされているようだ。長い間鎖国政策をとってきた日本が、世界の潮流に合わせて海外との交流を積極的に図ろうとした、今でいうグローバル化のはしりである。
 しかし、明治維新を積極的に評価するこのような見方は、明治維新の中核を担った連中、つまり、その後維新政府の中軸となって日本を統治した連中の側からのものだ。
 この連中は、江戸時代には全く梲(うだつ)の上がらない連中であった。薩長土肥にせよ、京都の公家にせよ、あるいは幕府側の勝海舟にせよ一様に、徳川幕藩体制のもとでは、国のトップに躍り出て、日本を統治することなど思いもよらぬことであった。身分が低かったのである。
 それが、イギリス・フランス・アメリカなどがたくらむ日本攻略のシナリオに便乗して、旧体制を倒し、それにとって変ることができた、つまり、外国勢の手先となってうまく立ち回り、新しい日本の支配階級にのし上がったということだ。いずれにせよ、この連中が戦いに勝ったのである。
 勝てば官軍。外聞をはばかる謀略は隠蔽され、救国の美談に仕立て上げられた。過去の歴史書が全てそうであったように、明治維新の歴史も全て勝者の側からする、いわば勝者の「つじつま合わせ」であった。勝者の論理である。

 第2次世界大戦が終ったのが1945年(昭和20年)、大日本帝国憲法が廃止されて、新しい日本国憲法が公布されたのが1946年(昭和21年)。その間に、昭和天皇による人間宣言が行なわれ、天皇みずからの言葉として現人神(あらひとがみ)であることが否定され、日本民族の優越性、つまり「他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延(すべ)テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ」(1946年1月1日、詔書)観念が「架空ナル観念」(同詔書)として否定された。「国家神道」の根幹部分が、天皇によって虚妄であったとして明確に否定されたのである。イデオロギーとしての「国家神道」の消滅である。
 この時からすでに70年近くの歳月が経過した。戦後の混乱期からしばらくの間は、戦時中抑圧・弾圧されてきたマルクス主義が思想界を席巻し、猫も杓子もマルクスに走った。ことに日本の歴史学は唯物史観に立った歴史学一色の観があった。科学的という名のもとに、面白くもおかしくもない無味乾燥の歴史書が巷に溢れた。
 このころ学生生活を送った私も例外ではなかった。スミス-ケインズのゼミに主軸を置きながらも、同時に、マルクスの「資本論」、ロシアアカデミーの「資本論」のゼミにも参加し、油汗を流しながら難解な「資本論」に取り組んだ。

 天皇を神格化して現人神(あらひとがみ)にまつりあげ、神道を国家政策を推進するイデオロギーに創り替えたのが「国家神道」であった。
 この「国家神道」というイデオロギーに替って登場したのが、マルクス主義という外来のイデオロギーであった。どちらも虚妄であることに変りはない。

 昭和が終り、平成が始まる頃からであろうか、日本の歴史学に変化の兆しが見えてきた。唯物史観歴史学に対する反省である。この反省は歴史学の分野から自発的に起ったものではない。他の分野、たとえば、考古学、古文書学、国語学、言語学、民俗学、ことに宗教民俗学の分野の知見が、硬直したイデオロギー歴史学を突き動かし、歴史叙述の修正を余儀なくさせたのである。
 近年、江戸時代が見直されてきたり、古代出雲が見直されてきているのがその例である。古代出雲について言えば、従来から古代出雲王国の伝承はあったものの、幻(まぼろし)であるとして歴史学では一顧もされてこなかった。しかし、近年続々と発見される多くの考古資料から、古代出雲王国の存在を否定することができなくなったのである。
 考古資料に加えて、万葉仮名、吏読(りと。朝鮮で、漢字の音訓を借りて朝鮮語を記すのに用いた表記法-広辞苑)と宗教民俗学の研究が進み、万葉集、風土記に新たな光があてられることになり、つれて、古事記、日本書紀の読み方にもメスが入るようになった。

 日本神話は「国家神道」という7番目のヘンシンを遂げ、「国家神道」は敗戦と共に消滅した。
 その後、これに替るものがいまだ現われていない。現在の日本の神道界は思想的基軸を失い、混沌とした状態に置かれている。仏教界が葬式・埋葬に堕し、国民から遊離しているのと同様に、神道界も儀式・儀礼に堕し、一般民衆とのつながりが稀薄になっている。ともに、宗教本来の役割を果していない。
 私はとりあえずは、1200年前に弘法大師空海が打ちたてた神道のあり方-5回目のヘンシン(「日本神話のヘンシン-2」)-に回帰し、その後、順次原点に向かって遡り、原初的形態に収斂していくものと考えている。神ながらの道、日本神道の復権である。

(この項おわり)

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 ここで一句。

“宇宙人 我が家に棲みつき 三十年” -堺、おっちゃん

 

(毎日新聞、平成25年6月30日付、仲畑流万能川柳より)

(お互いさま。)

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