181 珍書 -3

***その3)

 珍書といえば思い出がある。今から50年ほど前のこと、私はしばしば島根県立図書館に通い、孤独な受験勉強に没頭していた。学習室の書棚に、マーガレット・ミッチェルの小説「風と共に去りぬ」の題名をパクったと覚しき5冊の本が目についた。勉強の合間の気分転換に書棚から引き出し、パラパラとめくってみた。それは同郷の人物の手になるものであった。一見して怪しげな雰囲気を持った本であったが、当時日本国中を騒がせた大事件のキーマンが、大真面目にもっともらしいことを喋っているので、じっくりと読むために借り出した。

森脇将光著『風と共に去り、風と共に来りぬ』
+謀略篇
+捜査篇
+疑獄篇(前編)
+疑獄篇(後編)
+終曲篇
の5冊である。

 森脇将光(もりわきまさみつ)。明治33年1月17日、島根県出雲郡平田市(現、出雲市平田町)に生まれる。生まれるとすぐに父親が33歳の若さで亡くなり、25歳で寡婦となった母親とその弟(叔父)に育てられる。上京して、郷里出身の岸清一弁護士のもとで書生としてつかえ、第一高等学校を目指すも挫折、慶応義塾に入学。その後、高利貸しとしての道を歩み、昭和23年度長者番付で一位となり、“日本一の高利貸し”の異名をとる。岸清一弁護士と極めて近い親戚であった作家の安部譲二氏(岸清一の妻は安部氏の母の姉)によれば、森脇将光は岸清一弁護士の裏の仕事を引き継いだという。
 昭和29年に世間を騒然とさせた“造船疑獄事件”、その発端をなした「森脇メモ」で一躍有名に。71名の逮捕者を出した世紀の疑獄事件は、逮捕が時の政権与党の佐藤栄作幹事長に及ぼうとしたとき、犬養健法務大臣の指揮権発動によって突如として終結。指揮権発動は、前代未聞のことであり、長く法治国家の汚点として残ることとなった。
 その後、高利貸しとして立ち直るも、昭和40年、吹原事件にからんで再び恐喝未遂容疑で逮捕、38億円の脱税容疑で追起訴され、懲役5年の刑に。以後、表舞台に立つことはなく、平成3年6月2日逝去。享年91歳。

 「風と共に去り、風と共に来りぬ」5冊本は大部の書である。田中森一氏の「反転」のゆうに4倍の分量がある。登場人物が全て実名で記されたノンフィクションだ。
 この5冊本、何とも名状しがたい書物であるが、敢えて言えば珍書である。ただ、同じ珍書といっても、田中氏の珍書「反転」とは随分趣が異なっている。自らの正当性を主張する、同じような暴露本であっても、「反転」とは異なり、それなりに一本筋が通っている。“天下の高利貸し”を自任し、その当否はともかくとして、確固とした高利貸しの哲学を持ち、一貫して押し通しているのである。

 森脇将光の手になる珍書に出会ったのは、高校2年の時であった。高校2年といえば、私の人生において一大転機をもたらした年だ。
 貧しい家庭に育ったこともあって、小学校、中学校時代の私には大学に進学する選択肢はなかった。義務教育を終えたら実業高校で学び、その後直ちに仕事に就くことが当然のこととされており、何の疑問も感じなかった。5つ上の兄は工業高校に行き、私は商業高校に進んだ(この間の事情については“引かれ者の小唄、3.原体験への回帰”に記した)。
 転機は突然やってきた。訳もなく日本の外へ飛び出したくなったのである。そのためにはもう少し勉強しなければならないことに気がつき、初めて大学進学を意識するようになった。私が進むべき大学を一橋大学に定めたのは、進学を意識するのとほとんど同時であった。
 高校2年がスタートしてほどなく、開校記念日に一人の講師が招かれた。松江商業の先輩である一橋大学の山城章教授である。今思い起こそうとしてもどのような話がなされたのか全く記憶にない。ただ、このとき初めて一橋大学なるものの存在を知り、母校の先輩が一人、教授をしている事実を知った。その後調べてみると、日本で唯一、キャプテン・オブ・インダストリーを標榜(ひょうぼう)している大学であることが判った。
 進学する大学を一橋大学に定めて勉強をスタートしたのは、高校2年の2学期からである。受験勉強を始めてみて驚いたことがある。過去の試験問題をのぞいてみたところ、難しくてチンプンカンプン、何のことかまるで分からない。実業高校であったため、簿記会計などの実用的な授業が大半であり、数学とか英語などの基本科目は刺身のツマ程度でしかなかったから当然といえば当然のことであった。
 そのような時に出会ったのが、森脇将光の珍書であった。5巻合わせて1800ページにも及ぶ大作である。時間が限られている受験勉強の合い間に、受験にはプラスになりそうもないこのような類の本を何故読み通したのか今もってよく分からない。ただ、島根の片田舎の、私と同じような貧しい境遇の中から、青雲の志を抱いて上京、有名な弁護士の書生となり、慶応義塾という立派な大学に学びながら、賤業とされていた高利貸しを敢えて自らの仕事として選び、独自の信念をもってやり抜いている人物に興味を抱いたことは事実である。しかも、日本中を騒然とさせた造船疑獄の陰のキーマンとされながらも、悪びれるどころか胸を張り意気軒昂たるものを持っている。時の権力に叩き潰されても不死鳥のように甦った人物を、あるいは私自身の漠然とした未来像とダブラせていたのかもしれない。

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