157 続・いじめの構図 -1

****その1)

平成19年1月25日、私の税理士の再登録がなされた。会計士の再登録が去年の10月17日のことであったから、遅れること3ヶ月である。



税理士登録。独占業務とされている税理士の仕事は、税理士登録をしなければすることができない。私は30年以上前から税理士となる資格を持っているのであるが、たとえ税理士の資格を持っていても、登録しないことには税理士業務はできないのである。いわゆる“ニセ税理士”(税理士登録をしないで税理士の仕事を行っている者のこと)には、税理士法第52条と第59条によって罰則として2年以下の懲役刑が用意されている。

三年余り前の平成15年10月4日に、執行猶予付きながらも有罪が確定したことによって、私の税理士登録が抹消された。この時、私の冤罪事件をデッチ上げた広島国税局のOB達は、よほど嬉しかったのであろうか、わざわざ集って乾杯をしたという。中でも首謀格の大木洋氏と永田嘉輝氏の喜びようは尋常なものではなかったと聞く。共になにくわぬ顔をして、大木氏は広島で、永田氏は岡山で税理士事務所を営んでいる。
当時、マルサ事案については日本一の脱税事件として告発したものの、広島国税局のインチキ行為の数々が法廷の場で明らかにされ、結果、マルサ事案については完全無罪となったのであるから、告発した当事者としてのメンツは丸つぶれとなったはずである。しかも、私が逮捕され刑事裁判にかけられた時点で、私の事務所は崩壊してもおかしくないのに、一向につぶれる様子がない。デッチ上げの当事者が相当以上にイラついていたことは想像に難(かた)くない。
そこで、彼らが待ちに待った、私の税理士登録の抹消である。彼らの喜びも一入(ひとしお)であったろう。とうとう山根も年貢の納め時だ、永久に税理士業界から追放できる、メデタシ、メデタシとでも考えたのであろうか。
確かに、仮に公認会計士の再登録がなされても、税理士の再登録がなされなければ、今の日本では会計事務所の運営は事実上できない。世界でも類を見ないほどの悪法である税理士法があるからだ。尚、いくつかの点で憲法違反のおそれがあり、納税者をないがしろにし、一般国民に害悪を及ぼしている、この業界法とその運営の実態については、稿を改めて詳しく論ずるつもりである。

税理士の登録事務は、もともと国税庁が行なっていたが、昭和36年の法改正によって、業界団体である日本税理士会連合会に移譲されており、同会が国の登録事務を代行している。移譲され代行するに至ったのは、登録事務処理の迅速化を図り、税理士団体の自主性を保持するためとされている。しかし、この大義名分はあくまでも建前であって、その実態は全く異なっている。現在、税理士会には7万人近くの税理士が登録されており、建前上は自主的な運営を行なうことになっているものの、その実態は、当局の意のままに動く国税庁の下部組織である。
国税庁の無責任かつ場当たり的な行政運営がそのまま反映されており、この自主運営なるもの、勝手気ままで恣意的な側面を多分に持っており、とうてい公正なものとは言い難い。その端的な例が税理士の登録事務だ。

私の場合に即して言えば、まず登録するのに必要な申請書類を交付してくれないのである。事務所の職員に指示をして、窓口となっている中国税理士会から申請用紙を取り寄せようとしたのであるが、酢だのコンニャクだのと言いがかりをつけてなかなか交付してくれない。業を煮やした私は、コンニャク問答を繰り返すナメクジのような税理士会の担当者を電話口で怒鳴りつけた。

「登録のための申請用紙を交付しないとは何ごとか。四の五の言わずにすぐに送りなさい。」

ちなみに、「酢だのコンニャクだのと言いがかりをつける」、「四の五の言う」ことを、わが正統出雲弁では、“つっぺら、こっぺら抜かす”と言う。

私の剣幕にびっくりしたのか、申請用紙一式と日本税理士会連合会発行の「税理士登録開業の手引」なるものが直ちに送られてきた。当り前のことである。
しかし、税理士会による、陰湿なイヤガラセともいじめとも言える行為は、まだほんの序の口であった。案の定、私を冤罪に陥れたマルサの責任者である大木洋氏と永田嘉輝氏の2人が、私の税理士登録をなんとしても阻止しようと裏で躍起になっていたのである。このことは後日判明したことであるが、筋違いの逆恨みであり、私にとって迷惑この上ないことであった。

 

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