冤罪を創る人々vol.62

2005年05月17日 第62号 発行部数:383部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第五章)勾留の日々

「3.原体験への回帰」より続く
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四.書写と古代幻視

一、 平成8年2月5日、逮捕11日目のことであった。廊下でゴロ
ゴロ音がして何かが独房の前に運ばれてきた。官本であった。3冊
を限度に貸し出すという。
見れば、台車に乗せられ三段に仕切られた小さな本箱の中に、
100冊位の本が並んでいる。
検視窓越しに背表紙を見る。早く早くと急かされるのでゆっくり
吟味する暇がない。
とくに読みたい本はないが、私本の房内所持が3冊に制限されて
いるため、本であれば何でもという気持で、いいかげんに官本3冊
を選ぶ。

二、 3冊の中に、たまたま山本夏彦のエッセー集「ダメの人」(文
芸春秋刊)があった。親しくしている高庭敏夫会計士が、常日頃愛
読している作家の一人が山本夏彦であった。

三、 その中の「写し」というエッセーで、作家は自らの体験をふま
えて、文章を書き写すことの意味合いを説いている。書写の勧めで
ある。

四、 この文章に接して、私は急に手許にあった万葉集を書き写した
くなった。当初、私の拘置は長くとも1ト月位であると考えていた
ので、退屈しのぎに、気に入った歌を適当に選んで書き写してみよ
うと思ったのである。

五、 2月5日、午睡時間を早めに切り上げて、フトンをたたみ、座
り机に向った。
初めに書き写したのは、その時の私の心境をそのまま表現してい
る大伴家持の歌であった。巻第17の歌番号3978の「恋の緒
(こころ)」を述べたる歌」である。

“妹(いも)もわれも 心は同(おや)じ 副(たぐ)へれど いや
懐かしく 相見れば 常初花(とこはつはな)に 心ぐし めぐし
もなしに 愛(は)しけやし 吾(あ)が奥妻 大君の 命畏(み
ことかしこ)み あしひきの 山越え野(ぬ)行き 天離(あまさ
か)る 鄙治(ひなおさ)めにと 別れ来し・・・・
・・・近くあらば 帰りにだにも 打ち行きて 妹が手枕(たまく
ら) 指し交(か)へて 寝ても来ましを・・・思ひうらぶれ 門
に立ち 夕占(ゆふけ)問ひつつ 吾(あ)を待つと 寝(な)す
らむ妹を 逢ひて早見(はやみ)む ”

六、 私を取り調べた中島行博検事は、「否認を通すのであれば、保
釈は認められないだろう。いったん認めておいて、法廷で否認すれ
ばいいではないか。早くシャバに出て、仕事のあと片づけをしたら
どうか。」と、私にしきりにもちかけ、嘘の自白を促していた。
私は検面調書の特信性を知悉していたので、中島の偽りの申し出
を無視した。
そのためであったろうか、私は起訴後も保釈されることなく、勾
留されつづけたのである。

七、 初めのうちは軽い気持で万葉集を書き写していたのであるが、
なかなか保釈されないので、途中から本腰を入れて書き写すことに
した。
そのうち、退屈しのぎが退屈しのぎでなくなってきた。万葉の世
界に没入するにつれて、面白くなってきたのである。

八、 平成8年4月12日のノートには、 ―
「万葉における様々な人々との出会い。昨日は、時守に会った。宮材
引く民、津守、飛騨の匠にも会った。舟を操る舟人、塩を運ぶ官船
が行き、葦荷を積んだ官船が来る。塩を焼く志賀の海人がおり、玉
藻を刈る比良の浦の白水郎がいる。沖合には、鱸を取る海人の漁火
があり、湊の中には葦をかきわけつつ入ってくる小舟がある。駅路
には舟が綱で引き渡されていく。春の山沢には村中で“ゑぐ”を摘
む民がいる。天平より古い(おそらく600年の半ば頃)時代のパ
ノラマが私の脳裏をよぎっていく。」
― 、と記されている。

更に、4月20日のノートに、 ―
「万葉14巻、東歌完了。東歌には想像以上にすばらしい歌が多くあっ
た。東歌に限らず、読み人知らずの歌にいい歌が多い。万葉のすご
さ、奥の深さ。これを1000年以上にわたって手で写し、大切な
民族の宝として伝えていった人々。祈りにも似た気持があったので
はないか。私の中に万葉の世界が大きく拡がっていく。」
― 、と記す。

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
http://consul.mz-style.com/catid/21

「ホリエモンの錬金術 -9」より続く
http://www.mz-style.com/item/302

・ホリエモンの錬金術 -10

堀江さんが自らの持株と仲間3人の持株の評価(=時価)を
1,440倍につり上げていることについては、第8回で詳しく説
明しました。
次に、ディスカウントキャッシュフロー方式を悪用したゴマカシ
を明らかにいたします。
堀江さんが、上場前の株価の算定でDCF法を採用したと法定書
類の中で明記しているのは次の2回です。

1.第三者割当増資の時
平成11年9月に、(株)光通信と(株)グッドウィル・コーポレー
ションに対して一株300万円で割当。このとき、発行済株式数は
800株。

2.株式買取の時
平成11年11月、堀江さんが有馬晶子さんから一株300万円
で譲受。このとき、発行済株式数は1,000株。

一株300万円ですので、現在価値に還元されたキャッシュフロー
の総和P(これが企業価値と見なされているものです)は、それぞ

1.P=24億円(300万円×800株)

2.P=30億円(300万円×1,000株)

となります。尚、2.と同時点での会社の株式の時価について、堀
江さんは「40%の株の時価は5億円にも達していた」(「堀江貴
文のカンタン!儲かる会社のつくり方 第一版 P.119」)と言っ
ていますので、

P=12億5千万円(5億円÷0.4)

となります。

更に、平成12年1月17日に上場申請をし、上場と同時に行な
う公募増資(1,000株)の値決めがなされます。ブックビルディ
ング方式(資料G)によるものです。

ホリエモンの錬金術 -7(※資料)
http://www.mz-style.com/item/296#g

第一回目の値決めは、平成12年3月17日になされており、仮
条件として「350万円以上500万円以下」とされています。
最終的には、目論見書の第四回目の訂正の際に決定されたもので、
一株600万円とされています。
上場申請後の値決めは、既に株式が12分割され、株式数が12
倍に増えて12,000株になっていますので、会社の株式の時価
は、それぞれ

3.P=420億円~600億円(350万円~500万円×12,000株)

4.P=720億円(600万円×12,000株)

となります。

以上をまとめてみますと、わずか半年程の間に会社の価値(企業
価値P=株価×発行済株式数)が次のように自由自在に変わってい
くことが判ります。

(続きはWebサイトにて)
http://www.mz-style.com/item/305

 

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