役人亡国論

国とか地方公共団体に勤める者を役人と言い、日本国憲法は役人のことを公務員と称し、全体の奉仕者であると規定しています。

パブリック・サーバント。本来は主権者である国民に奉仕する者のことを公務員と言うようですが、果たして現実はどうでしょうか。

このところ、毎日のように公務員の不祥事がマスコミを賑わしています。警察とか検察庁が組織的に裏金を操作して個人的な遊興費などに費消していたり、近いところでは大阪市のように市職員のほとんど全てが訳の分からないお金(全て税金です)をフトコロに入れていたりと、呆れてモノが言えません。
このような例は、犯罪そのものですので言語道断なのですが、これ以上にタチの悪いのが、合法の蓑(みの)をかぶった税金のムダづかいです。

厚生労働省のグリーン・ピアとか国土交通省のどうにも理解に苦しむ公共工事とか、あるいは、農林水産省の日本の農業をダメにしているとしか思えない事業等、挙げていけばキリがありません。
どうしてこのようになってしまったのでしょうか。日本という国はいつからこのように情けない国になってしまったのでしょうか。
私には2つの要因があるように思われます。

一つは、公務員が自分では決して国民の奉仕者であると考えてはいないことです。30年の会計士生活の中で、私は多くの公務員に出会いましたが、彼らにあるのはお上(かみ)意識であり、ほとんどの公務員が、パブリック・サーバント(公僕)という言葉は知ってはいても、自分達がそうであるとは決して思っていないのです。
建前と本音とが、これほど乖離している例はあまりないのかも知れません。

二つは、公務員の数が多すぎることです。国、地方合わせて、400万人とも言われていますが、多すぎるのです。
公共の仕事を現在の時点でゼロ・ベースで考えてみますと、どうしても民間に任せておくことができないことはそれほど多くはありません。
外交とか国防(国土保全・警察を含む)とか司法などは、民間に任せる訳にはいかないのですが、郵便とか医療福祉あるいは、農林水産、経済振興など、必ずしも公務員がしなければいけない仕事ではありません。
このように仕事の棚卸(たなおろし)をした上で、まず“余計なお世話”的な仕事を民間に移し、公務員をせめて民間並みに働かせる(本当はこれではいけないのです。サーバントなのですから)ようにすれば、私の見たところ、全体で100万人もいれば十分でしょう。つまり、4分の3の人達を別の分野に振り向けるのです。
少数精鋭のスリムな政府、つまり、チープ・ガバメントの確立を目指し、役人達をガラス張りの監視の下に置いて、本来のパブリック・サーバントの仕事に邁進させるようにすれば、平気で税金をポケットに入れたり、訳の分からない税金の使い方をするような不心得な輩は、自然淘汰されると思うのですが、如何。

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ここで一句。

“庶民には経済制裁やたらとし” -千葉、姫野泰之

 

(毎日新聞:平成17年1月16日号より)

(“政治家をうまくころがすお役人”、“小泉さんブッシュと金(キム)のポチとなり” -アホウ松の逸笑)

 

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