江戸時代の会計士 -1

恩田木工(おんだもく)、今から250年ほど前、信州松代(まつしろ)藩の財政建直しを殿様から命ぜられ、命がけで取り組んだ人物です。

この人の名前が広く私達日本人に知られるようになったのは、かつて大ベストセラーとなったイザヤ・ベンダサンの「日本人とユダヤ人」の中で、恩田木工の言行録「日暮硯(ひぐらしすずり)」が大きく取り上げられてからのことです。

当時16歳の若い藩主(真田幸豊)が、これまた若い末席家老であった39歳の恩田木工の人物を見抜き、全幅の信頼を寄せ、藩の財政再建についての全権を委任。
このいきさつを詳しく伝え聞いた人が、“感歎の余り、日暮し硯に向ひ、ここかしこ聞き覚へしところ、反故(ほご)の裏に書きつけ”たのが「日暮硯」(ワイド版、岩波文庫)です。

巻頭に、

“古語に曰く、一代の君有らば、又一代の臣下有りと。誠にこの言や。”

と述べ、家来の恩田木工だけでなく、白羽の矢を立てた年若い殿様、真田侯をも思い入れたっぷりに絶賛しています。
イザヤ・ベンダサン(実は、山本七平さんのペンネームのようですが)は、恩田木工を日本人の典型として紹介し、政治天才と位置付けて高い評価を与えました。
日本人は、ユダヤ人やヨーロッパ人から見れば夢想もできないようなやり方で、ものごとに取り組み、丸くおさめてしまう天賦の才能を持っている、しかも、当の日本人はこのことに全く気付いていない、と言うんですね。
この背景には、「理外の理」とでも言うべき日本人に共通する考え方の基盤があり、恩田木工は財政改革という現実の場で、この「理外の理」を見事なまでに実践してみせたとし、更に、

“事実、これが日本人の行き方なのだ。-というのは、木工は一例にすぎないのだから。戦後の日本の、破産に瀕(ひん)した会社を立て直した記録を見れば、すべて「木工流」であるし、日本自体の復興の基本も、煎(せん)じつめれば、恩田木工の行き方にほかならないからである。”(「日本人とユダヤ人」角川文庫版、95ページ)

と言い切っています。

イザヤ・ベンダサンの指摘が、果して正鵠(せいこく)を射ているものであるか否かは、とりあえずさておき、私達が自らを振り返ってみるための参考にはなるようです。
更にベンダサンは筆を進め、恩田木工は二宮尊徳と並んでエコノミック・セイント(経済の聖者)であるとまで称え、決してエコノミック・アニマル(金の亡者)ではないと念を押しています。(前掲書、96ページ)

このたび、改めて「日本人とユダヤ人」と「日暮硯」とを読み返してみました。
恩田木工は一体何者であったのか、ベンダサンの言っていることは本当に的を射たものであるのか、これらのことを吟味するために、とくに「日暮硯」をじっくり読み込んでみたところ、理外の理どころか、極めて数理に明るい人物であることが判ってきました。
いわば、江戸時代の会計士の姿が浮かんできたのです。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“安酒を飲まぬ輩(やから)が税を決め” -大阪、土師角造。

 

(毎日新聞:平成17年1月4日号より)

(恩田木工は、一汁一飯、木綿着用で率先垂範。さて現代のお役人は?)

 

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