冤罪を創る人々vol.46

2005年01月25日 第46号 発行部数:321部

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「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-

日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。
マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。
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山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ
株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント
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●(第六章)権力としての検察 ― 暴力装置の実態

「3) 尋問」より続く
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4) 問答

一、 供述調書として残された尋問と応答は、中島と私との間のいわ
ば建前の問答であった。お互い激しくぶつかり合いながらも、質問
する中島も答える私もどこかとりすましたやりとりに終始している。
その最大の理由は、検面調書の作り方そのものにあることは、す
でに述べたとおりである。つまり、中島が私の答えを自分なりに理
解してとりまとめ、私の答えと称して自ら口述して、書記官に録取
させているからだ。本音が出てくるはずがない。
中島と私との間に交された問答は、以上の建前としての尋問の十
倍をはるかに超える時間を費やしてなされた。いわば本音のぶつか
り合いと言ってよい。
以下、私の獄中ノートをもとに、二人の本音の問答を再現する。

(ア)「リーク」

1. 平成8年1月31日、午後3時。取調べの冒頭、私は中島に向っ
て厳重な抗議を申し入れた。

山根:「検察はマスコミに対して、あることないことリークしている。
何てことをするんだ。デタラメを言うことはやめてくれ。」
中島:「オレはリークなんかしていない。それにデタラメとは何だ。
本当のことじゃないか。」
山根:「あなたは、検察の代表として職務上私に接しているわけであ
るから、あなたを通じて検察に文句を言っているんだ。いいかげん
なことをマスコミに流さないようにして欲しい。
逮捕された上に、あることないこと書きたてられていたら、オレ
の信用がますます落ちて、地元で仕事をすることができなくなって
しまう。」
中島:「信用が落ちる?地元で仕事をしていく?山根はそんな寝ぼけ
たことを考えているのか。
大体、検察が乗り出して逮捕までした場合、まずほとんど立件す
る。立件したら日本の場合、有罪率は99.87%だ。
あるいは、有罪であろうと無罪であろうと、逮捕されたらそれだ
けでまずその連中の社会的生命は抹殺される。ことにあんたのよう
な会計士の場合、信用で成り立っているわけだから、再起したケー
スはないんじゃないか。
山根も夢のようなことなど考えていないで、いいかげんに観念し
たらどうか。」

2. マルサの大木洋と同じような心理作戦を、今度は組織ぐるみで
やっている。逮捕という現実があるだけに、私の心は大きく動揺し
ていた。
たしかに、この時点では、私の事務所は崩壊し、私の会計士人生
は終わるであろうとは考えていたものの、自ら投げ出してしまうつ
もりはなく、やれるところまでやって、その時々で考えていけばよ
い位の気持ちであった。

(イ)「自決の慫慂」

1. 中島は、私を逮捕した直後から、
「山根の人生はもう駄目だ。早く身辺の整理をすることだ。悪あが
きするだけ無駄というものだ。」
といった趣旨の発言を取調べのたびに繰り返し、私の気力を阻喪
させることに意を注いだ。とどめを刺すつもりであったろうか、中
島は私に自殺を暗に慫慂する内容の話を仕向けてきたのである。

2. 取調べも半ばにさしかかったある日、中島はさりげなく自らの
体験談を語り始めた。

中島:「最近のことなんだが、広島で殺人事件があって、オレが担当
することになった。犯人は山根と同じ50才前半の男で、以前にも
殺人罪で無期懲役を食らい仮釈放されたばかり。シャバに出てみた
ところが、男の女房が他の男と一緒に暮らしていることが判った。
奴っこさん、頭に血が昇ったんだろうね。乗り込んでいって、女房
とその母親とをメッタ刺しにして殺してしまったんだ。
すぐに逮捕されて、私のところにきたって訳だ。」
山根:「あなたは経済犯が専門ではないんですか。」
中島:「いや、そんなことはない。こんなこともやらされるんだ。」
山根:「いろいろな経験をするわけですね。」
中島:「うん、そうだ。ところが、この男、取調べの途中で死んでし
まった。」
山根:「何があったんですか。」
中島:「拘置所で自殺しちゃったんだよ。」
山根:「なんですって。拘置所で自殺?そんなことできるんですか。
房内には刃物とかひも類のような自殺ができるようなものは一切持
ち込むことができないし、その上に、一日中看守の目が光っている
わけですからね。」
中島:「それが、首を吊ってしまったんだよ。」

(続きはWebサイトにて)
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●山根治blog (※山根治が日々考えること)
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「倉田まり子事件の真相 -その3」より続く
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・ペアシティ・ルネッサンス・高輪

中江滋樹氏は東京の住所を品川駅の近くのマンションに置いてい
ました。高級マンションのはしりともいうべきもので、“ペアシテ
ィ・ルネッサンス・高輪”の7階にありました。当時、人気歌手の
山口百恵さんも住んでおり、芸能マスコミにはよく知られていたと
ころです。

警備が厳重で、門のところで警備員から誰何(すいか)を受け、
居住者への連絡がなされ、居住者の了解があってはじめて門を通過
できるシステムになっていました。

私は、品川駅からいつも徒歩で行っていましたので、7分位歩い
て門に至り、チェックを受けてから再び歩いて玄関まで行くのにか
なりの距離があったことを覚えています。

玄関で再び居住者と連絡をとり、ロックを外してもらって玄関に
入り、彼のアパートメントに行ったものでした。今でこそ、このよ
うなセキュリティ・システムは一般に普及していますが、当時とし
ては珍しいものでした。

中江氏は、このマンションに、同い年の奥さんと二人の息子(一
人は養子、一人は実子)の4人で暮らしていました。

中江氏の奥さんは、中江氏と出会うまでは京都のクラブでピアノ
を弾いていました。一度クラブで紹介されたのですが、しばらくし
て京都の山科のアパート(彼の住居兼会社の所在地でした)へ行っ
たところ、彼女がそこで机に向かって仕事をしていましたので、血
のめぐりの悪い私には事情がすぐにはのみこめずポカンとしていま
すと、二人がニヤニヤと笑っていましたので、なんとなく納得した
いきさつがありました。その後二人は奥さんの離婚成立を待って、
正式に結婚し、奥さんと前夫との間の子供を養子にしたようです。

中江氏は、豪華なマンションの居住空間を意識的に汚して使って
いるようでした。とにかく部屋の中が汚かった。その上、饐(す)
えたような異臭が漂っていて、臭いがことのほか気になる私などゆっ
くりくつろげる雰囲気ではありませんでした。

店屋物の丼(どんぶり)やら重箱やらが部屋のすみに積み上げら
れており、衣類や書類が雑然と放置されていましたので、そこらか
ら臭気が発生していたようです。

あるいは、中江氏自身が、髪とヒゲは伸び放題で、風呂嫌いだっ
たようですから、彼の身体から発していた臭いも混じっていたので
しょう。文字通り、においが立ち昇っている人物であり住居でした。

中江氏は20歳の半ばで、カリスマ的な相場師になりきろうとし
ていましたので、若さをカムフラージュするためにも、敢えてデカ
ダンを演じていたフシがあります。

中江氏のマンションに足を踏み入れるたびに、私は学生時代の寮
生活を想い出していました。木造二階建の寮で250人位が共同生
活をしており、その当時はあまり気にせず、むしろ快適に暮らして
いましたが、卒業してから、寮の外で生活していた連中から、「よ
く、あんなゴミの中で暮らしていたもんだ」と言われたものでした。

友人が東大の三鷹寮に住んでいましたので一度訪ねていったこと
があります。私たちの一橋寮(いっきょうりょう)と比べて、ずい
ぶん汚いところだと思っていましたが、客観的には五十歩百歩で、
どちらもゴミ溜め同然の状態だったのでしょう。

住めば都、外部の人たちから見ればゴミ溜めとしか思えない寮の
生活を、楽しい快適なものであると私が感じていたように、中江氏
も奥さんも当時の日本では最高級であったマンション生活を楽しん
でいたのかもしれません。

―― ―― ―― ―― ――

ここで一句。

“30度涼しく感じる適応力” -八千代、マローン
(毎日新聞:平成16年9月1日号より)

(今年の夏は40度にも達する日があって、犬のように舌を出して暮
らしていました。真夏日の基準が30度、これを涼しく感じる-ま
さにゴキブリ並みの順応力ですね。)

 

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