2004年

11/19ページ

038 藤原孝行 国税査察官証票

****3)藤原孝行 (エ)国税査察官証票 一、 藤原孝行が、平成5年9月28日の朝、私の自宅に捜索令状を手にしてやってきたとき、名刺入れをひと回りおおきくした黒革の手帳を私の眼の前につき出した。  水戸黄門の印籠ならぬマルサ手帳(国税査察官手帳)である。藤原は、どうだこれが眼に入らぬかとばかりに胸を張り、誇らしそうに呈示した。チラッと見せただけで、すぐにポケットにしまいこんだ。 二、 その後、藤 […]

飯塚事件について -その4

 飯塚さんが面倒な事件に巻き込まれた原因の一つは、高杉良さんによれば安井誠という公務員の逆恨みであったそうです。  安井誠なる人物は、東大法学部卒のキャリア官僚であり、飯塚さんと初めて出会ったのは、安井氏が大蔵主税局の課長補佐のときでした。  飯塚さんが不当な課税処分を指示した安井氏と大蔵省で議論した挙句、安井氏の上司の判断により課税処分が取り消され、面子がつぶされたと考えた安井氏は、飯塚さんに強 […]

冤罪を創る人々vol.19

2004年07月27日 第19号 発行部数:214部 ◆◇――――――――――――――――――――――――――――◆  「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-     日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。     マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。 ◇◆――――――――――――――――――――――――――――◇  山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942 […]

司馬遼太郎と空海 -その6

 空海の出自は、被征服民である蝦夷(えみし)であり、その死は入定(にゅうじょう)というような特殊なものではなく、通常の死であり、遺体は火葬に付された、-弘法大師空海上人に帰依する人にとっては素直に読み流すことのできない作家の筆致は、空海の女性に対する関心に及ぶと更に大胆になってきます。  森鴎外が自らの性の遍歴を『ウィタ・セクスアリス』で淡々と表白しているように、作家は空海のウィタ・セクスアリスを […]

037 藤原孝行 悪魔の証明 ― 鍵束の押収

****3)藤原孝行 (ウ)悪魔の証明 ― 鍵束の押収 一、 平成6年2月8日、現物返還を強く要求していた鍵の束4つが返還された。藤原孝行が新本修司と共に私の事務所に持ってきたのである。 二、 私は、マルサが鍵を押収し、四ヶ月も保管し返還しなかったことに強い疑問を抱いていた。まず、私は藤原に対して、何故鍵の束を4つも押収したのか、その理由を問い質した。 三、 押収の理由に関して次のような答えが返っ […]

036 藤原孝行 経歴、押収品

****3)藤原孝行 (ア)経歴  広島国税局調査査察部第三部門査察官。  大木洋の部下。大木の指示のもと、私の取調べを担当。収税官吏として、平成8年3月6日検察庁への告発書類を作成した人物。島根県日原町青原の出身。旧姓青田。昭和28年生。    藤原孝行が、ガサ入れ当時所持していた身分証明書等。 +身分証明書(平成2年7月19日交付) 第6297号写真付(割印あり) +国税査察官証票(平成2年7 […]

冤罪を創る人々vol.18

2004年07月20日 第18号 発行部数:212部 ◆◇――――――――――――――――――――――――――――◆  「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-     日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。     マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。 ◇◆――――――――――――――――――――――――――――◇  山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942 […]

司馬遼太郎と空海 -その5

 空海は、承知2年(西暦835年)に62才で死にました。この死の事実をめぐって、作家は「空海の風景」の中で次のように述べています。- ”しかし死んだのではなく入定(にゅうじょう)したのだという事実もしくは思想が、高野山にはある。この事実は千余年このかた継承されてきて、こんにちもなお高野山の奥之院の廟所の下の石室において定(じょう)にあることを続け、黙然と座っていると信ぜられているし、少なくとも表面 […]

035 松田憲磨

****2)松田憲磨 一、 広島国税局調査査察部統括国税査察官  査察部門に移る前まで、課税第二部(法人)資料調査課(俗にいう料調、ミニマルサともいう)課長。大木洋と並んで、マルサ捏造事件の中心人物。  ガサ入れ時の組合関連の捜査責任者。大木洋と共に架空のシナリオを創作し、検察庁への告発書類を、査察管理課長として決裁した人物。広島国税局査察調査部次長、福山税務署長を歴任した後退官し、平成12年、税 […]

034 大木洋 余罪の追及

****1)大木洋 (エ)余罪の追及 一、 平成5年9月29日、私が余罪の追及などするなと抗議したのに対して、大木洋は国犯法の調査に際して、脱税以外の余罪を追及するのは当然であると居直った。   二、 私は、大木の言動を記録に残しておくために、平成6年1月17日に広島の大木洋に架電し、余罪の追及について改めて大木に質した。午後1時20分から30分間、2人で話し合った軌跡は録音テープに残され、15ペ […]

1 11 19