冤罪を創る人々vol.19

2004年07月27日 第19号 発行部数:214部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




「2)松田憲麿」より続く


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(3)藤原孝行




(ア) 経歴




  広島国税局調査査察部第三部門査察官。


  大木洋の部下。大木の指示のもと、私の取調べを担当。収税官吏


 として、平成8年3月6日検察庁への告発書類を作成した人物。島


 根県日原町青原の出身。旧姓青田。昭和28年生。




  藤原孝行が、ガサ入れ当時所持していた身分証明書等。


 1.身分証明書(平成2年7月19日交付) 第6297号


 2.国税査察官証票(平成2年7月19日交付) 第769号


 3.収税官吏章(平成2年7月19日交付) 第1122号


  1.2.3.共に広島国税局長発行のもので、3つ共に藤原の官


 職は大蔵事務官となっている。






(イ) 押収品




一、 平成5年9月28日、捜索令状を手にした藤原孝行らは、私達


 のところから、おびただしい量の物を、証拠品と称して押収して


 いった。


 


二、 押収された翌日、私は、税務署に出頭する前に、事務所に立ち


 寄り、押収品の状況をチェックした。


  営業を続けていくうえで、直ちに必要となるものを拾い出し、藤


 原孝行に対して返還要求することにした。




三、 主なものは次のとおりであった、 ―


 1.業務日誌


 2.会計伝票、会計帳簿、現預金出納帳、資金繰り表及び資産負債


一覧日報等。


 3.過年度決算書申告書控


 4.電話番号控(自宅分を含めて8つ)


 5.顧客台帳


 6.社会保険関連書類綴り




四、 以上について、私は現物の返還を要求し、必要なら、コピーを


 とって保管するように申し入れた。


  しかし、藤原は現物の保管が原則だといい、現物の返還には応じ


 ず、私の方にコピーを寄こしたのである。


  二、三日かかったのであろうか、1000枚はゆうに超える量の


 コピーを、新本修司が事務所まで持ってきた。ドサッという感じで


 ある。


  それぞれ全てが、常日頃使い慣れているものであって、現物では


 なくコピーとなると、はなはだ使い勝手が悪くなった。


  とくに電話番号控については、コピーではどうしても使いにくい


 ので、改めて現物の返還を要求してみた。


  しかし、藤原は頑として応じなかった。何故現物の返還ができな


 いのかと食い下がってみたが、藤原は、犯則嫌疑者に理由など言う


 必要はないと、ケンもホロロに言い放った。




五、 藤原孝行らが、押収していったものの中に、何故こんなものま


 で押収するのか、首を傾げたくなるものが含まれていた。


  例えば、


 1.合鍵の束、4つ。


 2.パスポート、2通。一つは職員大原輝子氏のものであり、今一


  つは、古賀益美氏のものであった。


 3.未使用の名刺50数枚。男性職員Oのもの。


 4.宝石鑑定書、3通。




  上記、1.~3.は、何回も返還を要求した末に、4ヶ月後にやっ


 と返還された。返還を求めた際に藤原孝行は、返還理由をしつこく


 私に問い質した。


  もともと、合鍵の束とか、パスポートとか、未使用の名刺など、


 押収すること自体間違っている。こちらが返還理由など説明する必


 要のないものだ。


  本来なら、一言謝ってから返還すべきであるのに、藤原は、「ま


 あ、理由はいいや」とか言いながら、しぶしぶながら返還したもの


 である。


  3通の宝石鑑定書の他、多くの押収品は、裁判が終結してもなか


 なか返還されなかった。




  この原稿を執筆するうえで必要な資料が押収品の中にあったので、


 マルサから押収品の引き継ぎを受けた松江地方検察庁に対して押収


 品の一部返還を要求することにした。


  平成15年12月19日午後4時、松江地検のA事務官から返還


 の用意が整ったので、松江地検まで取りにくるように連絡が入った。


 私は、電話口にA事務官を呼び出し、厳しく叱責した。




 「取りに来いとは何ごとであるか。ふざけるんじゃない。バカヤロー。


 こちらが頼みもしないのに、君達が勝手に持っていったんじゃない


 か。お詫びの一言でも言って、こちらに持ってくるのが筋だ。つべ


 こべ言わずに早く持って来なさい。」




  一時間半後の同日5時35分に、松江地方検察庁のS、FびAの


 3名の事務官が緊張のあまり引きつったような顔をして、山根会計


 事務所に押収品の返還のために訪れた。






(ウ) 悪魔の証明 ― 鍵束の押収




一、 平成6年2月8日、現物返還を強く要求していた鍵の束4つが


 返還された。藤原孝行が新本修司と共に私の事務所に持ってきたの


 である。




二、 私は、マルサが鍵を押収し、四ヶ月も保管し返還しなかったこ


 とに強い疑問を抱いていた。まず、私は藤原に対して、何故鍵の束


 を4つも押収したのか、その理由を問い質した。




三、 押収の理由に関して次のような答えが返ってきた、 ―




(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/90






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「司馬遼太郎さんについて-その5」より続く


http://www.mz-style.com/item/87






  空海は、承知2年(西暦835年)に62才で死にました。この


 死の事実をめぐって、作家は「空海の風景」の中で次のように述べ


 ています。-




  空海の出自は、被征服民である蝦夷(えみし)であり、その死は


 入定(にゅうじょう)というような特殊なものではなく、通常の死


 であり、遺体は火葬に付された、- 弘法大師空海上人に帰依する人


 にとっては素直に読み流すことのできない作家の筆致は、空海の女


 性に対する関心に及ぶと更に大胆になってきます。




  森鴎外が自らの性の遍歴を『ウィタ・セクスアリス』で淡々と表


 白しているように、作家は空海のウィタ・セクスアリスを、ごく自


 然なタッチで検証していきます。


  一般に空海は、生涯不犯(ふぼん。女性との性交渉を持たないこ


 と)であるとされてきました。作家はこの通説に対して異を唱え、


 空海が自ら著した諸作品等の足跡を辿ることによって、空海が不犯


 であったどころか、女性に対しては人一倍強い関心を持ち、性交渉


 を持ったに違いないと推断しています。




  空海の性について語るとき、作家は、空海二十四才の時の処女作


 「三教指帰」を克明に辿っていきます。空海の出家宣言書ともいえ


 るこの戯曲には色情にちなむ叙述が多く、その一端は既に述べたと


 ころです。(「空海と虫麻呂-その4」参照)


 http://www.mz-style.com/item/53




  作者もこの事実についてはかなりのスペースを割いて指摘してい


 ます。ただ、「蛭牙公子(しつがこうし)」という名の、狩りやば


 くちや酒色にふけっているやくざな若者についての記述、あるいは、


 その若者を説教するために登場する「亀毛(きもう)先生」(儒学


 を代表する人物)とか「虚亡(きょぶ)隠士」(道教を代表する人


 物)の記述に関する色情的記述が指摘されているだけで、空海の分


 身である「仮名乞児(かめいこつじ)」については、何故か女性問


 題が省略されています。作家は、私が以前に指摘した二人の女性-


 雲童娘(うんとうのをんな)と滸倍尼(こべのあま)を何故とりあ


 げなかったのでしょうか。




  法華経は、不男(ふなん)に近づいて親しくつきあってはいけな


 い、と教えています。


  不男、-男根不具の者のことで、五つの類型に分類されています。


 その第一に挙げられているのが、「生不能男」であり、生まれなが


 ら婬する能わざる者、とされています。




 ”亦、また、五種の不男(ふなん)の人に近づいて、もって親厚


 (ねんごろ)をなさざれ。”




 (亦復不近、五種不男之人、以爲親厚、-安樂行品、第十四)




  求法者たる者は、決して不男に近づいてはいけないということで


 すが、当然の前提として、求法者自らも不男であってはいけないこ


 とになります。通常の性欲をもち、生殖能力を持った者こそが、仏


 の道を歩むことができるという訳です。


  このように見てきますと、作家が空海の生涯不犯伝承に異を唱え、


 異性との性交渉を推断していることは、仏法者としての空海を何ら


 傷つけるものではないことが判ってきます。


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