冤罪を創る人々vol.16

2004年07月06日 第16号 発行部数:209部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




「2)銀行マンは語る」より続く


http://www.mz-style.com/item/74




3)証券マンは語る




 コスモ証券 Y.H氏の話




一、 その日、私は鳥取に行っていました。飛行場で、お客さんがお


 いでになるのを迎えに行っていたんです。その後、鳥取の中堅企業


 を10社ほど回る予定でした。




二、 ところが、飛行場で呼び出しがかかりまして、すぐ松江に戻っ


 て来い、と言うんですね。私が担当しているお客のことで、査察が


 入った。Y.Hじゃないといけないから、すぐ呼び戻せと国税が言っ


 ているので、すぐ帰ってきてくれ、というのですね。グズグズ言う


 と、店のシャッターを閉めると言って脅しているというのですから、


 仕方ありませんでした。鳥取から汽車に乗って、松江に帰ったのは


 1時頃でした。




三、 それから、夜の7時頃まで、6時間ぶっ通しで尋問されたんで


 す。向こうは魔法瓶かなんか持ってきていて、お茶を飲んだり、コー


 ヒーを飲んだりしているんですが、私にはお茶なんか飲ませてくれ


 ません。6時間も水一杯飲ませてくれませんでした。6時間、缶詰


 状態でしたね。あんなに厳しくやられたのは、生まれて初めてです。




四、 「おまえも共犯じゃないか。山根と一緒に株で相乗りしている


 んじゃあないか。」というようなことを言うんですね。「この1億


 か2億の山根の玉(ぎょく)の中に、おまえのお金も入れて、チャ


 ンポンで資金運用をしているんじゃないのか。」と言うんですね。


 あるいはまた、「山根に女でも抱かせられたり、500万円か1千


 万円位の謝礼金でももらって、裏金の管理をしているんじゃないの


 か。」と言うんですよ。


  まったく、やくざに絡まれて脅し上げられているような感じでし


 た。一人は、わりかた静かな男だったんですが、“黒目”(黒目啓


 治、査察第一部門査察官)というやつが、広島弁でやくざみたいな


 男でした。




五、 山根先生は、もちろん呼び捨てで、私のことも“おまえ”呼ば


 わりですから。定年間近の私が、30才前後の若造に、“おまえ”


 呼ばわりされるなんて、本当に情けなくなりましたよ。


 「おまえ、なんで、山根の悪いことを知っとって言わないんだ。な


 んで山根の肩をもつんだ。おまえもあちこちの支店長を経験してお


 るが、なかなか手強い奴だなあ。」こんなことまで言うんですね。




六、 次の日も、尋問が続きました。「昨日はゲロせんかったけども、


 今日こそ、本当のことを言ってもらおうか。おまえはお客寄りで、


 我々に全く協力しない。山根が隠しているようなこと、偽名とか仮


 名の取引口座があるんだろう。早く言ってしまえ。」と、前日と同


 じようなことをしつこく言うんですね。


  我々証券会社は、銀行と同じように、大蔵省の管轄にあるもので


 すから、査察としては好き勝手なことができると思っているんです


 ね。私は、長い株屋生活の中でも、このような査察は初めての経験


 でしたので、改めて、とんでもない連中だと思いましたね。






4)配偶者は語る




 配偶者 山根澄子の話




一、 朝8時半に、大勢で押しかけてきて、家の中をひっくり返すよ


 うにして、いろんなものを持っていきました。


  女性が一人まじっており、総勢で7人位でした。






(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/77






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「司馬遼太郎さんについて-その2」より続く


http://www.mz-style.com/item/73






  「空海の風景」における主人公空海は、日本の古代にたくましく


 生きた一人の人間として描かれています。後世付加された3000


 にも及ぶ数多くの空海伝説はことごとく捨象され、できる限り当時


 の資料にもとづいて、筆者の人間空海像が浮かび上がるようになっ


 ています。


  空海を弘法大師として讃仰し、即身成仏として礼拝の対象として


 いる人々からすれば目をむくような叙述がなされていますので、い


 くつか取り上げてみます。




  まず作者は、作品の冒頭から、空海の出自について異議を唱え、


 ズバリと切り込んでいきます。


  空海は承和2年(西暦835年)3月21日に、62才を一期と


 して高野山で入定するのですが、その6日前の3月15日に、弟子


 達を集め遺告しています。このときの遺談をもとにしたのが「御遺


 告(ごゆいごう)」であり、空海関連資料の中では第一級のものと


 されているものです。




  「御遺告」の縁起第一に、




 ”吾が父は佐伯(さへき)の氏。讃岐の国多度の郡(たどのこほり)


 の人なり。昔、敵毛(てきばう。東北地方の未統治のもの。えみし)


 を征して班土(はんど)を被(かうむ)れり。”




 (わたくしの父は、佐伯氏の出身で、讃岐の国多度の郡の人であっ


 た。むかし、東国の毛人(えみし。蝦夷)征伐に功があって領地を


 得た。)




  とあり、古代名門豪族の大伴氏の一派に連なる佐伯氏の華やかな


 家系が空海自らの口から遺談として伝えられています。




  しかし、と作者は異を唱えます。作者は、佐伯氏には二つあって、


 中央にいる佐伯氏は、確かに名門大伴氏の一派であり、東国の毛人


 を征したかもしれないが、讃岐の佐伯氏は違うというのです。


  作者は、讃岐の佐伯氏は、毛人を「征し」どころか、毛人そのも


 のであると言っています。つまり、空海は毛人(蝦夷)の末裔であ


 るというのです。たいへんな違いですね。




  根拠として、作者は日本書記(景行紀51年条)を挙げます。つ


 まり、景行天皇の皇子ヤマトタケルは、東国の毛人を征し、多数の


 毛人を捕虜にして畿内に戻ってきます。この捕虜たちはひとまず伊


 勢神宮におかれるのですが、




 ”神宮に献れる蝦夷等、昼夜喧譁(なりとよ)きて、出入礼無(で


 いりゐやな)し。”




 (神宮に献上された蝦夷たちは、昼といわず夜といわず大騒ぎし、


 傍若無人のふるまいをした。)




  このために、伊勢神宮を預かっているヤマトヒメが音をあげて、


 朝廷(みかど)に進上することにして、厄介払いしてしまいます。


  そこでこの捕虜たちは、三輪山のふもとに居住させられるのです


 が、ここでも




 ”未(いま)だ幾時(いくばくのとき)を経ずして、悉(ふつく)


 に神山(かみのやま)の樹を伐りて、隣里(さと)に叫呼(さけび


 よば)ひて、人民(おほみたから)を脅(おびやか)す。”




 (ほどなく、神の山である三輪山の木をかたっぱしから切り、近く


 の民家に繰り出しては大声で騒ぎたて、人々を恐怖におとし入れた。)




 景行天皇は困ってしまいます。そこで、




 ”其(か)の、神山(かみのやま)の傍(ほとり)に置(はべ)ら


 しむる蝦夷(えみし)は、これもとより獣(あや)しき心ありて、


 中国(なかつくに)に住ましめ難し。故(かれ)、その情(こころ)


 の願ひの随(まにま)に、邦畿之外(とつくに)に班(はべ)らし


 めよ。”




 (あの三輪の麓に住まわせることにした蝦夷は、元来よこしまな心


 を持っている者達であって、畿内に住まわせることはできない。よっ


 て、その心の願いにまかせて、畿外に住まわせよ。)




  このような詔(みことのり)が発せられ、畿外の五カ国、つまり、


 播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波に分住させられたのです。タライ回


 しになったんですね。ヤマトヒメや景行天皇がどんなシブイ顔をし


 たのだろうかと考えると楽しくなってきます。


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