冤罪を創る人々vol.15

2004年06月29日 第15号 発行部数:213部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




「1)職員は語る」より続く


http://www.mz-style.com/item/71




2)銀行マンは語る




 第一勧業銀行柏支店 E.S氏の話




一、 当時の支店長、副支店長、みんな替わっちゃいまして、当時の


 なりゆきを知っているのは私だけだということで、指名で呼び出し


 がかかったんです。




二、 松江の支店に査察が入りますね。すぐ、副支店長が本部に連絡


 を入れた。今日、査察が入りましたと。本部の方で、協議がありま


 してね、当時の事情を説明させるために、E.Sを行かせろ、とい


 うふうになったんですね。私は柏の支店長の管轄ですから、松江の


 支店長が勝手に呼び寄せることはできないんです。人事部直轄なん


 ですね。査察が入ったその日に、もう行け、ということでした。




三、 出雲便の最終の飛行機で行きました。松江支店に着いたのは7


 時頃で、それから真夜中の2時頃までですか、延々と取調べが続き


 ました。向こうとすれば、これだけの金が動いたんだから、鮮明に


 覚えているはすだ、と言うんですけれどね。私、そうは言われても


 3、4年前のことなんて覚えてないんですよね。私も気がちっちゃ


 い男のもんですからね、3人位ですごい声なんですよ。テレビでやっ


 ている警察の取調べそのままでした。3人に取り囲まれて、脅され


 るわ、すかされるわで、本当に参ってしまいました。


 


四、 私、その時言ったんですよ。「別に変なことしてませんよ。ま


 してや、山根先生は、公認会計士ですよ」そう言いましたらね、逆


 にまた、とことん怒られましてね。いやー、すごい剣幕でしたね。


 ただ、手は触れませんよね。言葉がすごかったんです。「おまえの


 一言で、明日銀行のシャッターを開けさせないことだって、できる


 んだ。」彼らは、シャッターを閉める権限がありますからね。「嘘


 なんか言ったら、おまえのところの常務だろうが、専務だろうが呼


 びつける。そうなってもいいんか。」こう言うんですね。脅かしで


 すよ。ゾーッとしましたね。




五、 向こうは、煙草パクパク吸うわ、お茶はガブガブ飲むわ、こっ


 ちはなーんもないですからね。水一杯飲ませてくれませんでした。


 これが、査察の取調べなんだと思いましたね。


  山根先生が極悪人で、私は共犯なんですね。頭から決め付けてる


 んです。メチャクチャですよ。「これだけのお金を動かすなんて、


 山根一人じゃ、絶対できないことだ。おまえも関与している。」こ


 う言うんですよ。「おまえがいなけりゃあ、こんなお金、右から左


 へ動かせるわけがない。」と、こうなんですね。




六、 夜中の10時か、11時頃でしたでしょうか、彼らは電話のや


 りとりをしていました。「最後のキーポイントは、こいつだ。」な


 んて、私の目の前でやっているんですよ。“こいつ”呼ばわりです。


 「こいつを落としゃあ、いいんだ。」と、私の目の前で言っている


 んですね。「ここじゃあなんだから、え?税務署まで行くか。」な


 んて言われましてね。完全な脅迫ですよ。


  私はなんにも悪いことしていないんだから、知らねえや、と思っ


 てね、12時過ぎた頃から、完全に開き直っていました。




七、 山根とつるんで悪いことをしたに違いない、この考えで凝り固


 まっているんですね。向こうは、山根から何か物をもらったんだろ


 う、と言いますからね、私、「もらいましたよ。転勤するとき、餞


 別もらいました。」そう言いますとね、向こうがまた、「コノヤロー、


 馬鹿にするな。」と怒るんですよ。その怒り方がすごかったですよ。




八、 取調べが終ったのが夜中の2時。ホテルには3時頃入りました


 が、眠れないんですよ。次の朝、7時頃ホテルを出て、8時にはも


 う、向こうは来ていましたね。




九、 一時間位たった頃でしょうか。「君、帰りは何時頃だ。」なん


 て、急に言葉が違うんですよ。おかしいな、と思いましたね。「山


 根の件に関しては、君は関与していないんだな。」関与もなにも、


 と言いたいんですけど、とたんに態度が変わって、お茶は出してく


 れるわ、コーヒーは出してくれるわ、私、査察は噂には聞いていま


 したが、経験するのは初めてでした。大変なことをする連中ですね。




一〇、その後、体調を崩したこともあって、5キロぐらい痩せましたよ。






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「司馬遼太郎さんについて-その1」より続く


http://www.mz-style.com/item/70






  空海24才の時の真筆に接したことは既に述べました(山根治


 blog.2004-04-27)が、その後空海関連の書をいくつか読んで


 みました。


  その中の一つに司馬遼太郎さんの「空海の風景」(中公文庫)が


 ありました。




  「空海の風景」は、もともと1973年1月から1975年9月


 までの足かけ3年の間、中央公論に連載された小説です。作者が


 50才から53才までの作品で、10年間の準備期間を経て完成し


 たと言われています。


  作者の円熟期にさしかかる頃の作品であり、相当の気合が込めら


 れています。司馬さんの奥さんによれば、生前の司馬さんご本人が


 最も気に入っていた作品だったそうです。




  作者自らが作品の中で、小説である旨くりかえし述べてはいるの


 ですが、普通に考えられるような小説ではありません。作者が空海


 という巨人と真正面から向き合い、作者なりの空海像を定着させよ


 うとした力作であり、学術論文に近い評伝といってもいいでしょう。


  ただ、私のように仏教、とくに真言密教のことなどほとんど知ら


 ない門外漢にでも分かり易く説明するために、全体的に小説の手法


 が取り入れられているのでしょう。




  この作品は、かなりのボリュームを有し、しかも不犯とされてい


 る空海の性愛について「三教指帰」と「理趣経」とを踏まえて、か


 なり踏み込んで作者の意見が開陳されているものです。しかし、だ


 からといって決して低俗に流れることはありませんし、読者に阿


 (おもね)るところも全くありません。それでいてこのような大部


 の作品を一気に読ませる作者の力量は、さすがというほかありませ


 ん。杉本苑子さんの最高傑作である(と私が考えている)「穢土荘


 厳」(えどしょうごん)に匹敵するできばえです。




  私は自分にとって大切な作品であることを判断する際に、二度三


 度と読み返すことができることを、そのメルクマールの一つに数え


 ています。独房内で読んだ司馬さんの7つの作品の他にもいくつか


 作者の作品を読んではいるのですが、残念ながら「空海の風景」以


 外に読み返すに足るものはありませんでした。


  「空海の風景」は既に二回読みました。今後とも折りにふれて読


 み返していくことになるでしょう。




  今は、司馬さんの中の「私の一冊」に出会うことができた喜びを


 噛みしめているところです。


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