冤罪を創る人々vol.17

2004年07月13日 第17号 発行部数:210部

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 「冤罪を創る人々」-国家暴力の現場から-




    日本一の脱税事件で逮捕起訴された公認会計士の闘いの実録。


    マルサと検察が行なった捏造の実態を明らかにする。


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 山根治(やまね・おさむ)  昭和17年(1942年)7月 生まれ


 株式会社フォレスト・コンサルタンツ 主任コンサルタント


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●(第五章)権力としてのマルサ ―暴力装置の実態




五.マルサ取調べ言行録




(1)大木洋




(ア)経歴




  広島国税局調査査察部第三部門統括国税査察官。


  マルサの現場の統括指令官。偽りの事実を捏造して、私と多くの


 関係者から多額の税金を追徴し、破産の淵に追い込み、犯罪人の汚


 名を着せるべく架空のシナリオを創作した中心人物。




  昭和18年生まれ。ガサ入れ当時、私より一つ年下の四十九才で


 あった。


  中学校(松江市立第四中学校)、高校(島根県立松江高等学校)


 を松江市で過ごすも、松江出身ではない。同級生によれば、出雲弁


 ではなく、言葉が違っていたという。旧姓、梅木。 


  昭和37年3月、松江高校普通課程卒業。高校卒業と同時に広島


 国税局に就職。広島大学の第二部で勉強し、卒業。




  高校時代の友人評。まじめでおとなしい。でしゃばらず、控えめ


 で、コツコツ努力するタイプ。中学時代、バレー部所属。全体に無


 口の印象。


  これらは大木の高校時代の同級生10人余りからの聞き取り調査


 によるものだ。評価として決して悪いものではない。


  広島市安芸区にある大木の自宅は、小さな家庭菜園のあるつつま


 しいものである(平成5年当時)。




  以上から導き出される大木洋の人物像は、国税局に入ってから大


 学の夜学で苦学し、過失のないように定年まで実直に勤め上げよう


 とする、ごくありふれたノンキャリアの公務員のイメージである。


  10年前、初めて会った大木洋の印象は、このようなイメージと


 ほど遠いものであった。何が大木を変えたのであろうか。




  その後、大木は、順調に出世の道を歩み、ノンキャリアのポスト


 としては最高位の一つである広島国税局調査査察部長にまで登りつ


 め、一年ほど部長を勤めた後退官し、平成14年、税理士登録。現


 在は広島市で税理士事務所をかまえている。




(イ) 証拠の隠匿




一、 佐原良夫が、広島国税局に嘘の密告をする3年前のことである。


  平成2年9月6日、佐原は、私とのトラブルの後、一人で益田市


 の組合に乗り込み、私を交えずに、組合の人達と本音で話し合った


 事実がある。


  佐原と組合との間の不動産取引(マルサが架空取引であるときめ


 つけたものである)は、真実の売買であることが前提となっている


 話し合いだ。佐原は、この時点では、国税局に嘘の密告をすること


 など考えていなかったので、本当のことをそのまま話しているので


 ある。




二、 このときの状況について、私は組合の人達から詳しく聞いてお


 り、仮にこの事実を証明することができれば、私と組合の無実を完


 全に立証することができるものであった。




三、 しかし、私達の側には、物的な証拠がなかった。当時、組合の


 人達は、佐原が後日、事実に反する密告をして、組合と私とを窮地


 に陥れることなど、夢にも考えていなかったので、記録に残すこと


 など考えていなかった。




四、 ところが、物的証拠がでてきた。


  それは、マルサのガサ入れの際、千葉の佐原の自宅から押収され


 た録音テープとテープ起しの反訳文とであった。佐原良夫が当時ひ


 そかに録音しテープ起しをしていたのである。




(続きはWebサイトにて)


http://www.mz-style.com/item/81






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●山根治blog (※山根治が日々考えること)


http://consul.mz-style.com/catid/21






「司馬遼太郎さんについて-その3」より続く


http://www.mz-style.com/item/78




  タライ回しにされた蝦夷の人達にしたら、いい迷惑だったのでしょ


 うね。この人達は、なにも好きこのんで故郷である東国を後にした


 わけではなく、ヤマト朝廷に反旗をひるがえさないための、いわば


 人質として強制的に連れてこられたわけですから。


  ともあれ、このように強制移住させられた蝦夷の人達が、




 ”五国(いつくに)の佐伯部(さへきべ)の祖(おや)なり。”


 (五ヶ国の佐伯部の先祖である。)




  と、日本書紀は伝えています。




  尚、作者は佐伯(さへき)について、蝦夷たちが、異語をつかっ


 ていたため騒(さえ)ぐように聞こえることから、佐伯とは言騒(


 ことさえ)ぐ”さへぎ”のことであろうと述べていますが、どうで


 しょうか。




  作者は、当然のように、”騒(さえ)ぐ”とか、”言騒(ことさ


 え)ぐ”という言葉を用いています。少し気になりましたので、私


 の乏しい手持ちの資料をひっくり返して調べてみたのですが、日本


 の古代において、騒ぐことを”サエグ”あるいは”サエク”とした


 例を見つけることはできませんでした。現代と同じサワグ(サワク)


 はたくさん出てくるのですが。


  少なくとも日本書紀の古訓の中には見当たりませんし、万葉集の


 中にも用例はないようです。




  サヘキは、岩波の古語辞典によれば、サヘ(障)キ(者)の意か、


 とされ、朝廷の命を妨害し反抗する者とされています。用例として、


 ”山のサヘキ、野のサヘキありき。あまねく土窟(つちむろ)を掘


 り置きて、常に穴に住み(常陸風土記)”が挙げられています。


  また、万葉集には、サヘグあるいはサヘクの用例はなく、コトを


 頭に付したコトサヘク(言佐敝久)の用例が2つだけ(歌番号135


 番と同199番)あります(萬葉集総索引-単語篇、正宗敦夫編、


 平凡社)。




  これらによれば、サヘクとは、日本の古代において、「妨害する、


 障害になる」という意味合いで用いられていたようで、従って、佐


 伯(サヘキ)とは、「ミカドに抵抗し逆らった者達」ということだっ


 たのでしょう。


  もとより作者は博覧強記の人でしたから、以上のことは十分に承


 知の上で、小説の流れの上で敢えて牽強附会の説ともいえるものを


 持ち込んだのではないでしょうか。




  いずれにせよ、空海が、佐伯氏であり、そのルーツを辿ってみれ


 ば、被征服民である蝦夷であったとする作者の推断は、私のように


 「日本書紀」を座右の書としているものにとっては、興味深い指摘


 であり、十二分に説得力のあるものでした。




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