山根治blog

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大塚家具の親子ゲンカ-①

 夕刊タブロイド紙、週刊誌、テレビと、連日のように取り上げられているのが、ジャスダック市場に上場されている大塚家具の身内騒動である。会社の経営権をめぐる争い、いってみれば財産の分捕り合戦だ。  店舗展開をめぐる経営方針の違いが親娘ゲンカの原因であるかのようにマスコミは報じているが、果してそれだけなのか。創業者であり筆頭株主である父親の大塚勝久氏が多くの幹部社員を引きつれて記者会見し、「このまま娘に […]

疑惑報道

 このところ安倍内閣の閣僚にまつわるスキャンダル報道が相次いでいる。西川農水相、下村文科相、望月環境相、上川法相と、レストランの日替りメニューのように連日マスコミを賑(にぎ)わせている。すべて政治資金、つまりお金に関するスキャンダルだ。  疑惑を指摘された当の本人は、「何が悪いんだ」とばかりに言い逃れに終止し、任命責任者である安倍首相までもが彼らを擁護するのに懸命だ。  しかし、マスコミが取り上げ […]

モラロジーの呪縛-④

 幼いころに教わったモラロジー(道徳科学)。たしかに道徳の規範としてはよくできている。日本人としての道徳のあり方を示す一つの指針であることは確かである。  しかし、モラロジーはあくまでも統治者・為政者の立場から説かれた道徳だ。有徳の統治者に付き従っていくために、百姓(ひゃくせい。おほみたから)、つまり一般大衆はどのような心構えをしたらよいか具体的に説き明かしたものだ。  一握りの統治者・為政者のた […]

モラロジーの呪縛-③

 私が日本書紀の原文をはじめて通読したのは、今から19年前、53歳の時である。冤罪で逮捕され、松江刑務所拘置監に収容されていた時だ。(「冤罪を創る人々」-書写と古代幻視)  この時は、万葉集と風土記の学習が中心で、日本書紀はいわば副読本のつもりで読んだのであるが、1000年以上にわたって読み継がれてきた古代の言葉-古訓(こくん)にすっかりはまってしまった。面白いのである。古代の人々が古訓(こくん) […]

モラロジーの呪縛-②

 「尻尾のある人間」(有尾、有尾而)は、神武天皇紀戊午(つちのえうま)年八月の条に2回出てくる言葉だ。尚、同様の話は古事記にも「生尾人」(をおふるひと)として登場する。“吉野に至る時に、人有りて井(ゐ)の中より出でたり。光りて尾有り(光而有尾)。天皇(すめらみこと)問ひて曰(のたま)はく、   「汝(いまし)は何人(なにもの)ぞ」 とのたまふ。   「臣(やつかれ)は是(これ)国神(くにつかみ)な […]

モラロジーの呪縛-①

 モラロジー(Moralogy)は、広池千九郎という人が造り出した言葉である。モラル(道徳)にロジー(学問、論理)をくっつけた和製英語だ。日本語では道徳科学といい、それは科学である故に唯一無二の教えとされ、普通道徳と区別して最高道徳と名づけられていた。科学を標榜(ひょうぼう。行動の目標や理由づけと・する(して、ある主義・主張を公然と示す)こと。-新明解国語辞典)する宗教である。現在派手な広告を打っ […]

新しい情報論(認知会計)の構築に向けて

 近く公表する松江市における不祥事の分析結果は、10年来行なってきた検証-情報論としての認知会計の実務的有効性についての検証-の集大成である(『福沢諭吉と自民党政権』参照のこと。)。6000ページに及ぶ公文書を一ト月ほどかけて分析したものだ。  今年の私の仕事は、これまでの分析結果を踏まえて一般的な理論構築を行ない、新しい情報論を確立することである。この情報論は、会計・税務実務に資するだけでなく、 […]

福沢諭吉と自民党政権

 慶應義塾大学の創設者・福沢諭吉が、一般に流布されている人物像とは全く異なっていたことについては詳しく論じたところである(「福沢諭吉の正体」①~⑯、補足1~6)。  基本的には、福沢諭吉に関する緻密な論述書・安川寿之輔著『福沢諭吉の戦争論と天皇制論-新たな福沢美化論を批判する』に従ったものではあったが、私は安川氏の論述に次の二つを付け加えた。。  一つは、近代簿記を日本に初めて紹介したとされている […]

「福沢諭吉の正体」-補足6-“ええじゃないか踊り”の背景(2)

 前回述べたように、“ええじゃないか踊り”は、維新のクーデターを企らむ連中が仕組んだ騒動であり、民衆のエネルギーの捌(は)け口の役割を果たすものであった。これが歴史家・樋口清之の見解である。  たしかに、それはそれでこの特異な社会現象を解明する一つの見方ではあろう。  しかし、この見解では、何故600万人もの民衆が伊勢神宮をめざして狂ったように押しかけたのか、今一つすっきりしないものがある。  そ […]

「福沢諭吉の正体」-補足5-“ええじゃないか踊り”の背景(1)

 明治維新が断行された慶応3年(1867)、全国的に「お陰(おかげ)参り」が大流行した。  この全国的な規模で展開された「お陰参り」は、“ええじゃないか踊り”として必ず日本史の教科書に取り上げられる項目である。  しかし、「ええじゃないか、ええじゃないか」と囃(はや)し立て踊りながら、600万人もの人々が伊勢神宮をめざして乱痴気騒ぎを起したことまでは事実として語られることはあっても、何故そのような […]

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