疑惑報道

 このところ安倍内閣の閣僚にまつわるスキャンダル報道が相次いでいる。西川農水相、下村文科相、望月環境相、上川法相と、レストランの日替りメニューのように連日マスコミを賑(にぎ)わせている。すべて政治資金、つまりお金に関するスキャンダルだ。

 疑惑を指摘された当の本人は、「何が悪いんだ」とばかりに言い逃れに終止し、任命責任者である安倍首相までもが彼らを擁護するのに懸命だ。

 しかし、マスコミが取り上げている数々の疑惑が真実、的を射たものであるならば、言い逃れをすればするほど本人の首を絞めていくことになるであろう。政治資金、つまりお金は歴然とした足跡を残す習性を持っており、お金に関する問題は全て認知会計(「冤罪を創る人々ー123 認知会計の発見」参照)の対象になるからだ。お金の足跡を追っていって、お金がどこから出て(原資)、どこに行った(使途)のか解明し、その足跡が記録に残されているならば、帳簿なり預金口座の記録を吟味し、会計的意味合いと法律的意味合いを考えればいいだけのことだ。

 帳簿とか預金口座を通さないお金(俗にタンス預金)の場合であっても、お金の足跡は比較的容易に判明するものだ。お金を渡したと思われる側と、お金を受け取ったと思われる側の双方について、財産全体の形成状況とお金の使い道とを過去に遡って調べていくだけでよい。時系列もしくは年輪調査と呼ばれているもので、税務調査で常用されている手法である。仮に当事者がウソを言っているとしたら、必ず矛盾する事実が浮び上ってくるのである。通常、ウソを重ねれば重ねるほど矛盾点が増々大きくなっていくものだ。

 数年前のことである。ある横領事件の調査をしたことがあった。私は公権力を持たない一介の会計士にすぎない。法律上の調査権限はなく、ましてや密室に閉じ込めたり、身柄を拘束して取り調べができるわけではない。当事者の了解のもとで、任意に調査するわけであるから、真実を解明するのにかなりの時間を要した。
 まず、本人の言い分をそのまま素直に聞くことから始まる。私のほうは数億円の横領がなされているであろうことは予備調査で知っていたが、それは一切前提とせずに当事者の弁明だけを徹底的に聞くのである。一日に1時間か2時間の質問調査であったが、都合30回、2ヶ月もかかった。本人の了解を得た上で、眼の前にICレコーダを置いて録音し、その全てを文書化した。録音することだけでなく、文書化することも相手方の了解の上である。
 質問調査が10回目を過ぎたころのことである。当事者の言い分の中にいくつかの矛盾点が浮び上ってきた。
 それからは、その矛盾点を本人に分かり易く説明し、改めて全体の説明をしてもらうことにした。一日か二日後に本人に問い質すと、これまでの説明とは全く異なる説明が飛び出してきた。私が指摘した矛盾点のつじつま合せをしてきたのである。
 ウソの説明であることは明白であったが、どなったり、叱りつけたりすることなく、同じようにICレコーダに録音し、文書化した。このような作業を何回か繰り返していったら、とうとう本人が音(ね)を上げてしまった。ウソを重ねるたびに次々と新たな矛盾点が生まれ、収拾がつかなくなってしまったのである。
 ようやく本人から真実が具体的に語られることになったのは調査開始から一ト月余り経ったころのことだ。横領金額は約3億円、その大半は本人が経営する会社の赤字に補てんしたり、愛人関係を含めた遊興費にあてて費消していたが、家族名義の預金に2000万円、現金は3000万円だけ残っていた。現金は本人の申し出通り自宅の屋根裏に隠されていた。タンス預金ならぬ屋根裏預金である。本人が自由意思によって、自らの横領事実を認めたのである。

 このところのマスコミの疑惑報道の真偽については、当事者に弁明を十分にさせるだけでよい。何でもいいからとにかく喋らせることだ。安倍首相も認めているように公人たる政治家には『説明責任』があり、マスコミあるいは国会の審議を通じて国民はその説明を聞く権利がある。仮に疑惑が単なる疑惑ではなく、法に触れるもの(脱法行為を含む)であるならば必ずボロが出るはずだ。矛盾点が浮かび上がり、当事者が説明に窮することになるだろう。いわばマスコミと疑惑政治家との根くらべである。急ぐ必要はない。過去のお金の足跡は決して消えることはないからだ。

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 ここで一句。

”星たちはかくも賑やか過疎の村” -大分、春野小川

(毎日新聞、平成27年2月25日付、仲畑流万能川柳より)

(パラダイム・シフト。過疎の村こそ“まほろば”、東京は30年以内に人の住めない廃墟と化すのでは?)

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