「福沢諭吉の正体」-補足1-東大話法の元祖

 16回にわたって連載した本編は、内容が福沢諭吉と慶應義塾大学を全面的に否定しかねないものであるだけに、慎重の上にも慎重に書き進めてきた。事実関係を何回も確認した上で、一字一句おろそかにすることなく、推敲に推敲を重ねて、私の考えをまとめたものだ。



 本稿を書き終えてから久しぶりに安冨歩著『原発危機と東大話法』を読み直してみた。

 この著書の標題に用いられている「東大話法」は、安冨氏による造語であり、当ブログでたびたび言及してきたものである。黒を白と言いくるめるインチキ話法のことだ。東大関係者、あるいは東大関係者もどきが、人を煙(けむ)に巻いたり、騙したりするときに用いるレトリック、論法のことである。安冨氏は、『屁理屈のためのレトリックの体系』(前掲書.P.240)と言っている。

 安冨氏は、その具体例として、精神科医、香山リカ氏とか東京大学の原子力御用学者を俎上(そじょう)にのせる一方で、自称経済学者・池田信夫氏を取り上げている。

 この池田信夫氏については一つの思い出がある。かつて私が「ホリエモンの錬金術」を書いて一時期アクセスが殺到したときに、一部のマスコミが私のことを勝手に“アルファ・ブロガー”として取り上げたことがあった。その時に同じ“アルファ・ブロガー”として池田信夫氏も紹介されていたので、一体“アルファ・ブロガー”とは何だろうかと思って、池田氏のブログをのぞいてみた。
 そこには、主として経済とか経済学の解説と称するものが載せられていたのであるが、何やら内外の経済学者とかエコノミストが言っていることをテキトウに引用しながらのツギハギ細工であり、とてもまともな経済学の解説とか経済分析といえるものではなかった。まさに経済学の基礎知識に欠け、経済の実態に触れたことのない人物による戯言(たわごと)のオン・パレード、あまりのことにのけぞってしまった。
 このような人物が“アルファ・ブロガー”であるならば、私に勝手に与えられた“アルファ・ブロガー”の称号は謹んで返上しなければならないと真剣に考えたものだ。
 その池田信夫氏が、経済学と同様にシロウト同然の原発問題に口を出したものだから、早速、安冨氏にとっつかまり、その正体を抉(えぐ)り出されてしまったという訳である。

 安冨氏は、「東大話法」を次のような20の類型(規則)に分類し、池田信夫氏の原発論議はそのほとんどの規則にあてはまると述べている(前掲書.P.144~P.185)。

「東大話法規則一覧」

規則1.自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
規則2.自分の立場の都合のよいように相手の話しを解釈する。
規則3.都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
規則4.都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
規則5.どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
規則6.自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
規則7.その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
規則8.自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
規則9.「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
規則10.スケ-プゴ-トを侮辱することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
規則11.相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
規則12.自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
規則13.自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
規則14.羊頭狗肉。
規則15.わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
規則16.わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
規則17.ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
規則18.ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
規則19.全体のバランスを常に考えて発言せよ。
規則20.「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。
(前掲書.P.24~P.25)

 安冨氏が分析した池田信夫氏の正体は、安川寿之輔氏が『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の中で明らかにした福沢諭吉の正体とそっくりである。福沢諭吉の言説は、「東大話法」の20の規則にピッタリ当てはまるからだ。
 即ち、「思想が無節操であり、原理原則・哲学がなかった」(「福沢諭吉の正体-⑮」)点で、福沢諭吉と池田信夫氏とが一致するのである。しかも、両者とも多くの著作、評論、時評を書き散らしている。もちろん、全体的に見て戯言(たわごと)の域を出るものではない。慶應三田会についてのヨイショ本を書いた島田裕己氏(「福沢諭吉の正体-⑭」)と同様、売文(ばいぶん。(つまらない)小説・評論などを書き、その原稿料・印税などで生活すること。-新明解国語辞典)の徒である。池田氏はまだ元気のようで、時おりテレビに出て何やら喋っているが聞くに耐えない。ヤメ検とかタレントが得意顔で政治やら経済のことに口を出すのと同様、聞くに耐えない戯言(たわごと)である。
 このように考えてみれば、福沢諭吉こそ、「東大話法」の元祖とでも呼ぶべき人物なのかもしれない。

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 ここで一句。

”糠床を混ぜるIT時代にも” -北九州、お鶴

 

(毎日新聞、平成26年11月14日付、仲畑流万能川柳より)

(IT時代にこそ。)

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