「福沢諭吉の正体」-⑥
- 2014.09.16
- 山根治blog
実は、『帳合の法』にも、当時のアメリカで借方、貸方をめぐって、学者の間で甲論乙駁(こうろんおつばく)の議論が交されていたことが記されている。
「借と貸の事」として、難しい問題があることを指摘して、『帳合の法』は、“借と貸の字をよく解して其字の義を明(あきらか)に定(さだむ)るは勘定学の一大難事にて、これがためには勘定の学者先生も常に困却せり。”(『帳合の法』-p.475)と述べ、“元来学義を説くの良法如何(いかん)とてこれを詮索するは、唯学問の議論にして事実に関係することに非(あら)ず。勘定学を教(おしう)る人の主とす可(べ)き所は、学義を説くの巧拙に在(あ)らずして、学義を知(しり)てよくこれを活用するに在(あ)るなり。”(『帳合の法』-p.476)として、借方と貸方の意味合いをめぐる議論は棚上げにして、定められた規則をしっかりと覚えて実際に活用することが大切であると説いている。
続けて、
として、以下の覚えるべき七つの規則を列挙している。
第一則 主 人
商売に元入金を出したる主人は、其元入の金高と商売の利益の高とを以て貸
と為(な)し、主人の引請たる払口と、商売の高より引去たる金と、引請た
る損亡とを以て借と為(な)すなり。
第二則 正 金
正金の勘定は、請取たる高を借と為(な)し、払出したる高を貸と為(な)す
なり。
第三則 品 物
景気見込を以て仕入たる品物は、仕入元代を以て借と為(な)し、其品の売
上げ代を以て貸と為(な)すなり。
第四則 請取口手形(注、現在の受取手形のこと)
請取口手形の勘定は、他人の手形、他人引受の証文、其外都(すべ)て金子
引替の約條書を此方へ請取たるときに、其書面の高を以て借と為(な)し、
これを引替る歟(か)、又は他に用るときは、其高を貸と為(な)すなり。
第五則 払口手形(注、現在の支払手形のこと)
払口手形の勘定は、此方の手形、此方引請の証文、其外都(すべ)て金子引
替の約條書を出したるときに、其書面の高を以て貸と為(な)し、これを引
替たるときは借と為(な)すなり。
第六則 他 人
バンク其外都(すべ)て此方と取引する他人の勘定は、其当人が此方へ対し
て引負と為(な)る歟(か)、或は此方より兼ての引負を先方へ返したると
きに借と為(な)り、此方が先方へ対して引負と為(な)る歟(か)、或は
先方より兼ての引負を此方へ返したるときに貸と為(な)るなり。
第七則 雑 費
何等の名目にても費す所のものは、其費したる高を以て借と為(な)し、何
等の事柄にても利を得るものは、其利の高を以て貸と為(な)すなり。
定
商売の元高は借なり。商ひ高は貸なり。
(『帳合の法』p.476-P.477)
この7つの規則は、前回掲げた仕訳の原則(5つ)と全く同じものだ。『帳合の法』は、この7つの規則を丸暗記(“七箇條の規則に熟してこれを忘るることなく”)せよと教えているのである。
尚、ここで訳出されている、「学者」、「勘定の学者先生」、あるいは「学問の議論」、「勘定学」という言葉がいかなることを意味するのか定かではない。私の手元に英語の原書がないので確かめることができないからだ。
ただここで「学者」「勘定の学者先生」を簿記のイロハを習ぼうとしている初心の学習者と解し、「学問の議論」、「勘定学」を借、貸の字句についての詮索と考えるならば、初級の手引書の記述としては納得がいくものとなる。このような理解が正鵠(せいこく)を射たものであるとするならば、50年以上も前に日本の片田舎、松江市で簿記のセンセイと私達悪ガキとの間で繰り広げられた茶番劇(「福沢諭吉の正体-⑤」参照)と何ら変るところがないことになる。この教科書(“Bryant and Stratton’s Common School Book-keeping”)で習んだ、140年前のアメリカの若者達が、同じガキ仲間としてにわかに身近な存在になった思いがする。
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ここで一句。
(“この猫(オレ)は一体どこの猫(オレ)なんだ”)
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